半分、青い。 (第41回・5/18) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『半分、青い。』(公式)
第7週『謝りたい!』
『第41回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
秋風(豊川悦司)が自身で最高傑作とうたう新作の構想メモを、鈴愛(永野芽郁)がごみと間違えて捨てた疑いが濃厚となった。秋風の逆鱗(げきりん)に触れた鈴愛は、菱本(井川遥)や裕子(清野菜名)、ボクテ(志尊淳)らが心配する中、オフィス・ティンカーベルから追い出されてしまう。行くあてもなく途方にくれる鈴愛が辿り着いたのは、律(佐藤健)のマンション。あの笛を吹いて呼び出したが、出てきたのは意外な人物だった。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
「ネームをなくしました」を、どう受け取るか?
アバンタイトルの冒頭から、不貞腐れた鈴愛が出て来て、今回もこんな残念な永野芽郁さんを見なくてはならないのかとがっかりしたが、そんながっかりを吹き飛ばすような「語り」に耳を疑った。
N「ネームをなくしました」
実際の字幕にも、こう書いてあった。この「語り」を皆さんは、どう受け取るか? 私は、鈴愛が意図的や故意と言うのとは別に、「鈴愛は主体的に、能動的に捨てた」と捉えた。本来なら「ネームを誤って捨ててしまいました」じゃないのかな。そうしておけば、前回の不自然な出来事は無かったことに出来たのに…
鈴愛がネームを知らなかったとするのは、無理があり過ぎ!
でも、この脚本家は「ネームをなくしました」と書いた。どうやら、脚本家は鈴愛が「ネーム」を知らなかったと言いたいらしい。確かに、「ネーム」の重要性を知らなければ、うっかり捨ててしまった失敗談になる。しかし、上京してからの描写を見る限りで、鈴愛が「ネーム」を知らなかったとするのは無理があり過ぎやしないか。
面倒だから、上京してオフィス・ティンカーベルからどんなことが起きたのかわざわざ書かないが、少なくとも律で描かれている “上京してからの変化” を見れば、鈴愛は仕事をして始めている訳だから、律より“上京してからの変化” が顕著であると見るのが自然だ。それを無しにして、「ネーム」を知らなかった気の毒な鈴愛と見なさいってこと?
自業自得の鈴愛では、共感も応援も出来ない!
やはりここは、「ネーム」を知らなかったから捨ててしまったと、前回ですぐに謝罪するべきだったと思う。それをしないで鈴愛が律の前でいくら悔やんでも、どう見ても “自業自得” であり、共感も応援も出来ない。もっと鈴愛を共感や応援したくなるキャラにするよう努めるべきだと思う。
あとがき
終盤のディスコのシーンも、馬鹿馬鹿しくて見ていられませんでした。作り手の自己満足と、したり顔が透けて見えちゃって。どうして、こんな風に鈴愛を描くの?
最後に。前回の感想に、63回のWeb拍手や数々のコメントを頂き、ありがとうございます。流石に「ネーム」を知らなかったのには無理がありますよ。これでは、益々鈴愛の漫画愛に危険信号を明るく灯るのが残念過ぎます…
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