わろてんか (第32回・11/7) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『わろてんか』(公式)
第6週『ふたりの夢の寄席』
『第32回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
藤吉(松坂桃李)は近所の廃業した寄席を一目見て気に入り、てん(葵わかな)の後押しもあって、その寄席を手に入れようと決める。だが持ち主の亀井(内場勝則)は偏屈者で、藤吉の話を聞こうとすらしない。蓄えを切り崩す生活の中、啄子は日銭を稼ごうと芸人のアサリ(前野朋哉)に手伝わせて野菜の行商を始め、てんも昼は食堂で働き、夜はお針子の内職をして寝る間もない。ある晩、藤吉がリリコ(広瀬アリス)から呼び出される。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
藤吉が「寄席をやりたい」なんて、一度も言っていない!
てん「この人の寄席をやりたいいう気持ちは
誰にも負けません」
本作名物の「不快なアバンタイトル」だが、今回は不快と同時に大きな疑問が、開始1分も満たないうちからやって来た。それが、この↑てんの台詞だ。前回のラストではこの部分まで描かれていないから、わざわざ脚本家が第32回の冒頭のために書いた台詞であることは間違いない。
あのね。藤吉が「寄席をやりたい」だなんて、たった一度も言ってないの。前回の終盤で、てんが「寄席をやるんです」と言い出しただけ。そして、てんが寄席をやろうと思い付いたのは「(藤吉が)芸が そない好きやったら」でしょ?
脚本家は、現状をこんな "仕掛け" で視聴者を騙している
もう懸命な読者さんならお気付きだろうが、脚本家はこの度の「寄席開業」のくだりをこんな “仕掛け” で構築・構成して、視聴者を騙しているの(言っちゃった)。
[1] 自己主張しない藤吉の曖昧な気持ちや態度を…
[2] てんが、勝手に “藤吉はそうに違いない” 推測して…
[3] てんが、藤吉を動かして…
[4] 藤吉とてんが、二人三脚で進んでいるように錯覚させる…
なぜ、こんなことを脚本家がやるって? その理由は、こうしないと藤吉は以前に芸人や芸を見下す発言をしているし、笑わせようとしたことはあっても芸が好きだと言うようには見えていないから。だから、今回のこの↑台詞の中でも、言ってはいけない言葉↓をてんに言わせて、更に視聴者を騙している。
てん「誰にも負けません」
てんは、藤吉の「寄席をやりたいいう気持ち」をいつどこで誰と比べたの? そもそも、これまでに劇中に “寄席をやりたいと言う人物” が登場した記憶すらないのに。
僅か1分20秒のアバンタイトルの、たった1つのてんの台詞だけで、これまで全く描かれていないことを盛り込み、こんなにも視聴者を欺いて、強引に「寄席開業」にこじつけようとする脚本。酷過ぎるにも程がある。
キースは邪魔だし、遠回りの見せ方も、いちいち腹が立つ
主題歌明け、いよいよ本編だ。まっ、これはわざわざ拾う必要は無いのだが。相変わらずキースが邪魔だし、芸人の岩さんが小屋主を知っているならさっさと進めろって感じ。どう見てもあの男が小屋主なのは雑な演出で分かっているのだから。こう言う遠回りの見せ方も、今はいちいち腹が立つ。
藤吉の新居は、亀井の小屋に対してどの方向にあるの?
さて、場面変わって小屋主の亀井に会いに来た藤吉。前回は画面奥の階段を降りて来て天神様に手を合わせて振り向いたところで小屋に辿り着いたのに、今回の藤吉は画面手前から登場。
前回で小屋の前から立ち去る映像が無いから、私は引っ掛かってしまったの。要は、藤吉の新居は亀井の小屋に対してどの方向にあるのか?ってことに。
どうでも良いことのように思うかもしれないが、本作は「京都編」で京都と大阪の距離感や、藤岡家と神社、神社と屋根に上った店など、場所や方角についての描写がとても雑で中途半端で毎回違う。視聴者は気にならなくても、演出家は真っ先に気になる部分だと思うのだが、この演出家には馬耳東風か…
益々「松坂桃李さんのプロモーションビデオ」になっていく…
5分頃、場面変わって新居。お金が減るばかりと愚痴る啄子が、姿を見せない藤吉のことをてんに聞くくだりで、また脚本家がさりげなく視聴者を欺く言い回しが入る。
啄子「藤吉郎は何してますねん」
てん「気に入った小屋を見つけはったようで
毎日 小屋主さんとこ通うてはります」
この↑てんの言い方ででは、如何にも藤吉が “自主的に” 気に入った小屋を見つけて、“能動的に” 毎日通っているように聞こえないか?しかし、事実は「見つけたようで(標準語訳済み)」でなく、「ほぼ決定した」であり、「毎日通っています(標準語訳済み)」ではなく、「毎日通っているらしい」だ。※あとで「ほぼ毎日」と分かるが。
このような姑息な手法で、どんどん藤吉をメインに持って行き、てんを横並びな扱いにし、今はどうだろう?「ほぼ松坂桃李さんのプロモーションビデオ」と化しているとは思わないか?恐らく、葵わかなさんを前面に出すより得策と考えたのだろうが。そう言えば『マッサン』や『あさが来た』を思い出さないか…
一体、啄子は "何日間" 振り売りをやっていたの?
さて、8分過ぎ。この直前の5分頃に、啄子が芸人のサクラに頼んで、自分の食い扶持は自分で稼ごうと仕事(野菜の振り売り)を始めるが、すぐに腰を痛めて帰って来たと言うくだりだ。
藤吉「振り売りやって また腰痛めた?」
藤吉のこの↑台詞から、啄子は以前から振り売りと言う商いを始めていて、何度も腰を痛めていると推測できる。だとすると、5分と8分の間で少なくとも数日間以上の時間経過があることになる。いや、このシーンで私が訴えたいのは、既に諦めている本作の時間経過表現の雑さや曖昧さでないのだ。
藤吉とてんは、啄子の稼ぎに寄生して呑気に小屋探し?
啄子が倒れたシーンで私が突っ込みたいのは、この↓てんの台詞だ。
てん「うちも働きますさかい どうか休んでおくれやす」
おいおい。藤吉とてんは生活費を稼ぐと言う仕事を母親の啄子1人に押し付けて、自分たちは “能天気に楽観的に呑気に暮らしていた” と言う訳か? そして、その働き手が倒れてから働き出すとは、何たる人でなしだ。
このように視聴者が考えるのを先読みして、これまたこんな↓姑息なナレーションで強引に2人の働きっぷりを補強するが…
N「そうして 藤吉は てんびん棒を担ぎ…
てんは 昼は 一膳飯屋。夜は お針子の内職」
時既に遅し…とは、正にこのことだ。どんなに働く映像を重ねても、少なくとも私は藤吉とてんをこう↓見ている。
[1] 僅かな所持金で芸人長屋に引っ越して…
[2] 暮れから正月は “能天気” に「小屋探しデート」…
[3] 生活費は啄子頼みで “お気楽” 生活…
[4] 啄子が倒れて “仕方なく” 働き始めた…
藤吉は、一度も現を抜かすほど芸に没頭などしていない!
その上、藤吉にとんでもない設定変更の台詞を言わせちゃう。藤吉と亀井の会話の場面だ。
藤吉「芸に うつつ抜かして それでも懲りんと
席主になりたい言うバカ息子ですわ」
おいおい(今回2日目)。まず「芸にうつつを抜かして(標準語訳済み)」いたかどうかが正確でない。だって、「うつつを抜かす=何かに必要以上に熱中したり没頭したりすること(Weblio辞書)」の意味であり、藤吉は旅芸人一座と実家を行ったり来たりしていた訳で、現を抜かすほど芸に没頭などしていないのだ。
なぜ亀井はてんの仕事を、てんは「席主」を知り得たの?
もう書くのも面倒だが、もう一度書くが、てんは義理の母になるであろう啄子一人を働きに出して、自分はお気楽生活をしていたのだ。そんなてんが、亀井のために着物を持って来るくだり。もう不可思議のオンパレードだ。
まず、なぜ亀井が「昼は 一膳飯屋。夜は お針子の内職」を知っていたのか? 亀井は変人だから芸人たちから聞くのは不自然。だとしたら、藤吉かてんがわざわざ言った? それでは、如何にも亀井に自分たちの苦労話をして、なびかせようと姑息すぎないか? まっ、脚本家が姑息だから登場人物たちも姑息なのは至極当然だが。
てん「寄席を手に入れるためやったら へいちゃらです」
亀井「そんなに寄席やりたいんか?」
てん「へえ!あの人を日本一の席主にしたいんです」
そしてこの↑てんの台詞で不思議なのは、てんが初めて「席主」と言う言葉を発した点。これまでは「小屋主」と言っていたのに、ここから突然「席主」になった。当然、藤吉との会話の中で「席主」と言う言葉を学んだ…と好意的に解釈できるが、やはり不自然さは拭えない。本当、こんな雑な描写ばかりで困ったものだ。
次々と砂山を作っては、自分で踏み潰して歩くのと同じ
11分過ぎからのリリコのくだりはどうでもいいや。と言うか、折角姑息な手段を使って、人でなしのヒロイン夫婦(でないが)が「寄席開業」に向かって、まい進しているように視聴者を騙しているのに、どうして主人公の「寄席開業」と恐らく無関係な話を盛り込むのだろう?
こんなことをすれば、藤吉の「寄席開業」への思いを、またまた曖昧に見せてしまうだけなのに…。こんなことも脚本家は気付かないのか? 自分で、いつ崩れるやも知らぬ砂山を次々とこしらえて、自分の足で踏み潰して歩いているのと同じことでなはないだろうか。
一体、この15分間のどこが「この人の寄席をやりたいいう気持ちは誰にも負けません」なんだ?
あとがき
どうせ、贔屓の旦那と金目当ての結婚を企むリリコを藤吉が夜中に猛反対して、それが長屋に知れ渡って、てんとの仲に一時的に亀裂が入るだけでしょ?広瀬アリスさん目当てへのサービスカットだとしても、入れれば確実に物語は一時停止します。ホント、この脚本家は恋バナを入れたくてしょうがないようだ。
最後に。前回の感想に、110回ものWeb拍手と、たくさんの応援コメントを頂き、ありがとうございました。今回の感想は少し目先を変えて、脚本家・吉田智子さんと演出家・川野秀昭さんの姑息な視聴者騙しとその意味が全く無いことを書いてみました。
恐らくまだ本作を見ていて、当blogを読んで下さっている皆さんなら騙されはしないと思います。それだけに、毎日イライラしますね。お気持ち分かります。
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