わろてんか (第27回・11/1) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『わろてんか』(公式)
第5週『笑いを商売に』
『第27回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
藤吉(松坂桃李)はキース(大野拓朗)のもうけ話に乗り、外国からパーマ機を大量に買いつけたが、その機械が欠陥品だと分かってぼう然となる。てんは家に戻って来ない藤吉を心配してあちこち探し回り、リリコ(広瀬アリス)の家にいるところを見つけてショックを受ける。藤吉はキースを捕まえるためリリコの家で待ち伏せしていたと言い訳するが、それを信じられないてんはリリコの家に上がり込み一緒に待ち伏せすることにした。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
苦手だったはずの役者さんを好きになる位の朝ドラを作れ!
NHK総合『おはよう日本』の高瀬耕造アナが「頼むよ、藤吉さん。新しい1日の始まりです」と、『あさイチ』の “朝ドラ受け” に対抗して言うのことに最近ハマっている私。「新しい1日の始まりです」の言葉に元気を貰い、今朝からアイキャッチ画像を変えてみた。今の私の心境を盛り込んだ傑作?だ。
前回から私が「わろてんか名物」と決めた、不愉快にさせまくるアバンタイトルが始まった。今回は何かと期待?したら、藤井隆さん頼みのコント一発だけ。藤井隆さんと言えば「マシュー南」時代から好きな芸人さんだけに、こんなことに利用されるのは本当に不愉快。苦手だったはずの役者さんを好きになる位の朝ドラを作れ!
また、藤吉の商売下手が露呈してしまった…
主題歌明け、藤井隆さんが気の毒過ぎるコントも終了。そして、何と藤吉らはパーマ機を1,000個買い付けたと言う。まあ「わろてんか」のための過剰なエピソードにしたつもりだろうが、やはり最初は数台購入し商品確認をするのが自然。不自然な展開にしたことで、余計に藤吉の商売下手が露呈してしまっただけ。
きちんと日数を指定した方が、物語に深みが出るのに…
こう言う↓ナレーションも雑だよね。
N「その日から 藤吉は家に帰らず 何日も たちました」
きちんと日数を指定した方が、従業員たちが辞めると考えるまでの重みが描けるし、次の藤吉を見つけた時のてんの驚きの大きさや、藤吉の無責任さも表現できたのに。どうして、ずっと本作はこんなに時間経過を曖昧に描くのか意味不明だ。
今更、「お嬢さま」と「笑い」を思い出せと言われても…
それは、突然に訪れた…
てん「うちは 笑いは人を癒す薬やと思うとりますんで」
以前にも書いた通り、「大阪編」から本作への見方を変えるべく意図的に「京都編」を忘れるようにしていたため、この↑てんの台詞を聞いて驚いてしまった。そうだ、てんは薬問屋のお嬢さまで、人生の辛い時こそ笑って生きようと言っていた…ような設定だったことを思い出した。後出しジャンケンにも程がある…
藤吉の上半身裸で視聴率稼ぎ この作り手の根性が不潔
そして、てんが捜し歩いた末に藤吉を見つけ出す。リリコが藤吉の背中に膏薬を貼っているのを見てショックを受けるてん…と言う訳だが。不潔…の一言。決して私は潔癖症でないが、この場に及んで松坂桃李さんの上半身裸の姿で、あざとく視聴者を喜ばせようと言う作り手の根性が不潔極まりないとは思わないか。
「京都編」を思い出させる脚本は矛盾を思い出させるだけ
そして、リリコとの仲の誤解を解くために藤吉がこんな↓ことを言うが、これも先のてんの台詞と同様に「芸人一座は家族」と言う、遠い昔の設定を今さら持ち出すから面倒くさい。
藤吉「リリコは家族や。妹のように面倒見てくれたんや」
まだ、今回のように回想シーンを挟まないだけ演出はマシではあるが、感覚的に「京都編」を思い出させるような展開の脚本は矛盾や不連続性を思い出させるだけなのに、なぜやる?
「藤吉捜索」は、てんの自発的行動か? 啄子の指示か?
てんが藤吉を捜しに行くのは悪くないし、むしろ自然な行為だ。しかし、帰って来ないてんを心配した啄子が女中のトキにこんな↓ことを言う。
啄子「まさか ミイラ取りがミイラになったんやないやろな」
このたった1つの台詞のせいで、前回で書いた啄子や北村屋の闇が更に深まってしまった。それは大きく2つある。
1つは、てんが藤吉を捜しに行ったのが、
●てんの自発的な行動なのか?
●啄子の指示に従った行動なのか?
と言う点。
この↑啄子の台詞からはどちらにも取れる。「てんが捜しに行くのは自然だから認めている」とも受け取れるし「捜して来いと命令した」とも受け取れる。ここが厄介なのだ。
「自発的行動」だと、てんも藤吉と同じ「無責任な人」に
まず、前者の「てんの自発的行動」としよう。とすると、店が大変な時に店を放り出している時点で、藤吉と同じ「無責任な人」になる。そして、先述の「笑いは人を癒す薬や」が示したように、ここへ来てリリコと張り合う場面もそうだが、突然に “お嬢さまキャラ” が復活した。これ、おかしいよね。
「大阪編」に入った時に、てんは「小さな工夫で日常生活に潤いを与えて生きる人」になり、「トキのヒントは必要ながら様々なアイデアで商売に向いている人」にキャラクターが大きく変更されたのは、皆さんもご存知の通り。それと同時に「お嬢さま」も「笑い」も無関係にもなったのに。この一貫性の無さが1つ目。
「啄子の指示」だと、啄子の子育ても商才も底が知れた
啄子や北村屋の闇が更に深まってしまったもう1つは、「啄子の指示」だった場合だ。おさらいをしてみよう。ここは本作の脚本家に習って、分かり易く箇条書きで
【1】そもそも店を傾かせたのは “先代の借金” であること
【2】借金返済をして来たのは啄子で、儲けを出していたのは番頭の又八
【3】その頃、藤吉は旅芸人一座と行ったり来たりの状態で店の仕事はせず
【4】従って、今、藤吉が不在でも経営状態には無関係のはず
【5】「味より値」で利益を出していた又がいなくなり、経営悪化?
【6】今度は、不況のせいで経営が傾いたことにした
【7】だが、ライバル店は人気が出て儲かっている様子
【8】従業員が大量に辞めて、啄子は商才のあるてんの手も借りたいはず
【9】なのに、啄子はてんに「藤吉捜索」を指示した
結局、この↑の9段階の過程を見て分かるのは、元々自分が家の商売に向いていないことを知っていた藤吉に、啄子が「お前なら出来る」と “根拠の無い期待” をかけた上に、てんを嫁に認めさせたいと言う気持ちもあって、調子に乗った藤吉が、今回の店と土地を担保にして強引な商売に出た…と考えることが出来る。
この場合は、「啄子の子育ても商才も大したことは無い」と言うことになって、これまで描いて来た啄子のキャラクターも大幅に変更して、脳内補完する必要が出て来るのでは?
あとがき
うーん。「藤吉捜索」が、てんの自発的行動なのか啄子の指示なのかは別にして、藤吉とてんが店を放棄しているのは事実ですし、藤吉は芸人に、てんはお嬢さまに戻ってしまったのも事実。こんな無責任で商才のない2人が、今後「笑いの殿堂」を作ると言う展開は、流石に無理がありませんかね。脚本がダメ過ぎます。
最後に。前回が疑問だらけの感想に、97回ものWeb拍手と、たくさんの応援コメントを頂き、ありがとうございました。ついに11月に突入です。もっともっと藤吉とてんに魅力を吹き込んで共感できるキャラにしないとダメですね。その点『あさが来た』はお見事でした。パクるなら良い所をパクれば良いのに…
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