わろてんか (第20回・10/24) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『わろてんか』(公式)
第4週『始末屋のごりょんさん』
『第20回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
北村屋で女中として働くことになったてん(葵わかな)は、掃除に炊事、洗濯と毎日忙しく働いた。娘が心配なしず(鈴木保奈美)はトキ(徳永えり)を大阪に送り込み、てんはトキの加勢を得て、啄子(鈴木京香)のイケズにいっそう明るく立ち向かう。藤吉ははっきりと楓(岡本玲)に結婚する気はないと伝えるが、啄子(鈴木京香)がてんと楓に米を売る勝負をさせて、二人のどちらが嫁に相応(ふさわ)しいかを決めると宣言する。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
今朝は、驚きと不安で始まった…
ついに私の心の中の「視聴離脱」へのカウントダウンのスイッチがONになった本作。だからこそ、ドラマ愛をもって前向きに見ようと思うのだが、アバンタイトルの冒頭から、どう見ても寝ている顔には見えない『わろてんか』てんと、『あさが来た』の女中かのが目に飛び込んで来て、驚きと不安で始まった第21回だ。
ホントに「わろてんか」に笑顔で応えられる作品になるの?
アバンからあまりに面白くないので、少し本作を振り返ってみる。まず、てんと藤吉が惹かれ合った理由も、それ以前にキャラクターも不明瞭で、言動に共感も魅力も無いこと。また、てんの子役が演じた幼少期の印象が強く、今でも2人の関係が犯罪(未成年者との恋愛)に “私には” 見えてしまっていること。
もう、この2つは払拭出来ない(されない)と諦めている。しかし、いくら諦めドラマ愛をもって前向きに見ようと思っていても、こんな↓ナレーションが入ると、本作がいつになったら “笑い” をテーマにした、笑って楽しめる朝ドラに仕上がるのか不安しかない。
N「あらあら 今度は まるでシンデレラです」
既に『ロミオとジュリエット』『あさが来た』『ごちそうさん』をパクっておいて、これ?今回の15分間を見ても、これまでの3週間を見ても、「わろてんか?」の問いにこちらが笑顔で応えられるような作品に繋がっていくとは思えない脚本と演出なのだが…
てんの俯瞰ショットを印象的な場面で使う、その理由は?
今週の演出担当の東山充裕氏は、てんの俯瞰ショット(水平よりも下方向を見下ろした映像)を、先の「シンデレラ」のくだりのような印象的な場面で使う。理由は不明だが、もし私がカメラマンで「やれ!」と言われたら、「水平のアングルだとてんの表情に変化が無いのことや、笑顔のぎこちなさが目立つからからやるのか?」と考える。
更に、今回のように上向きで飛び跳ねれば、あまり表情の細かい部分に視聴者の目が行きにくい。そんなことを配慮して演出しているとしたら、これまた葵わかなさんは「50歳のてん」まで表現しなくてはいけないのだから、現時点では不安しかない…
トキが来たお蔭で、また本作の闇が深まってしまった
さて、本編。藤吉が描いた鬼の絵が「笑い」とするなら不安が絶望に変化する日も遠くはないか…。で、てんの女中仕事の出来ない様も大したものだが、なんと唐突に、「てんの母が送り込んだ」と言う設定で、藤岡家の女中トキが北村家にやって来た。
トキが来ると、また本作の闇が深まってしまった。てんは「使用人※と女中」の関係は知っているはず。特に「てん付き女中」と言う役目のトキといつも一緒にいた(と言う設定)だから、いくらてんがおバカさんでも、当時の結婚適齢期である19歳?になって分かっていないと言うのはあり得ない。
※ここでは「使用人=人や物を使用する人」の意味で使用しています。詳細は以下の『拍手コメントへ返信 (2017/10/24の分)その2』の空さんへの返信で。
http://director.blog.shinobi.jp/Entry/10602/
てんの学業や習い事、躾を描かなかった、その理由は?
しかし、今回の土間での女中たちの朝食シーンを見ると、その辺が分かっているようには見えない。あのね。そもそも番頭から婿養子になった謂わば「叩き上げの当主」である儀兵衛が、「命に関わる仕事だから笑うな」と言った儀兵衛が、てんに徹底的な躾をしているのが普通では?祖母もいるのだし…
むしろ、てんが「跡継ぎ宣言」をした時からでも、祖母のハツの仕切りで女中のトキから「使用人※と女中」の関係を学ぶシーンがあるべきだった。そして、幼少期からハツに徹底的に「女性としての躾」を受けている設定で無いとおかしかった。このことは以前にも書いた通りだ。
しかし、今回を見て、学業を含めてそれら名家のお嬢さまとして普通なら描かれて当然の描写を意図的に描かなかったのは、今の “女中のことも家事全般もまともに出来ない可哀想なてん” にしておくためだったと言う訳だ。描くべきことを描かず、描きたいことだけ描く。だから「連続テレビ小説」なのに連続性が無いのだ。
いつの間にか藤吉が「プチ若旦那」になっている(驚)
そして、10分過ぎにもおかしなことが起こった。以前(第17回・10/20)に藤吉はこのような↓ことを言っていた。
藤吉「俺は 商人としては役立たずや。
そやから なんとか 芸で身を立てるしか…」
自分の仕事が出来ないことと、芸人さんを見下すようなことを言ったのは、つい先日のこと。劇中でも大した日にちは経っていないはず。なのに、今回の藤吉は序盤では仕事を押してくれみたいなことを言っていたが、数分後には一人前に仕事が出来ることになっていた。
それも母と番頭から1人で米市場での買い付けを任されるまでに成長しているって、どこをどう解釈すると「プチ若旦那」になっているのか意味が分からない…。これ、藤吉が遊び人で、てんが藤吉の代わりに「若女将」としての頭角を現して来るみたいな流れの方が、「女一代記」に相応しかったような…
ロミオとジュシエット、あさ、ごち、シンデレラ、そして、べっぴんさん
11分過ぎ。これまた内容はともかく大ヒットしたあの作品のパクリが…
てん「継ぎ接ぎだけやと 心寂しゅうなるけど、
こないして 刺しゅうを入れれば楽しゅうなるやろ?
『べっぴんさん』である。もはや、何でもアリか?
今までのてんの人物設定を新たに上書きするしかないか?
てんのアイデアでショウガを入れるくだりも不自然さ満タン。刺繍もそうだが、てんが藤岡家で「生活を潤わせる工夫」みたいなことをやって来たなら話は分かる。
また、トキに教わった可能性もゼロではないが、刺繍に驚いていたトキを見れば、まるで、てんが『べっぴんさん』の「すみれ」が “刺繍で生活を潤し” たように、以前から日常的に「生活の工夫」をしたと、好意的に解釈せざるを得ない。
更に、今回の流れなら女中のスミらに「勝手なことをするな!」といじめられると思いきや、女中たちみんなでてんを称賛。なんだか、てん1人の大手柄みたいな描き方。これ、僅か15分間で物語が繋がっていないよ。
結局は、「藤吉の駆け落ち相手・てん VS 藤吉の許嫁・楓」の構造を作るために、意図的に前後の繋がりを無視。
こんな描かれ方をされると、これまでの主人公・てんの人物設定を全部捨てて、「結構生活の知恵を知っていて、楽しい生活を送るために工夫をし、周りに笑顔をつくる人」と完全に上書きしてしまうが、それで大丈夫なのか?
早くも3週目で『ひよっこ』と同じ騒動至上主義に突入!?
もう連続しているのは俳優だけか?と、私の不屈のドラマ愛が折れそうになった時、また先走って煽るだけの不快なこんなナレーションが…
N「さ~て とざい と~ざい!嫁合戦の始まりでございます!」
もはや、小野文惠アナによる『ためしてガッテン』の予告編にしか聞こえない。いくら煽っても、次の展開を教えてもらっても、面白くないものは面白くないのだが…
あとがき
ここで、改めて「ディレクターの目線」で考えてみます。演出家が「京都編」は完全に無かったことにして、あくまでも藤吉の母・啄子が「藤吉の駆け落ち相手・てん VS 藤吉の許嫁・楓」の構造で、真の米問屋の若旦那の嫁に相応しいのかを決めるお話と再構築できれば、演出の工夫で何とか見られる作品になると思いますよ。
この時、一番重要なのは「京都編」で描かなかったことを絶対に盛り込まないことです。「藤岡家では、そんなことしていた?」みたいな描写をすべて排除する。今回なら刺繍のくだりは全部削除。ショウガのくだりは、トキがてんにこっそり教えて、てんのお手柄に見せてトキとてんの笑顔で終了。どうです?
最後に。前回の感想に、87回ものWeb拍手と、たくさんの応援コメントを頂き、ありがとうございます。「京都編」を無視して、演出家の解釈で上手く脚本を転がせば、何となく “朝ドラらしい嫁いびり” に見えると思います。なぜ、そうしないのでしょうか?演出、がんばれ!
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