わろてんか (第17回・10/20) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『わろてんか』(公式)
第3週『一生笑わしたる』
『第17回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
藤吉(松坂桃李)は風太(濱田岳)から、てん(葵わかな)をあきらめろと言われて初めて、てんを愛していることに気づいた。蔵に閉じ込められたてんは一切の食事を拒絶して笑わなくなり、藤岡家は暗い雰囲気に包まれる。風太は伊能(高橋一生)を訪ね、てんとの縁談を考え直して欲しいと頼みこむが、きっぱり断られてしまう。藤吉は母が倒れたと知らせを受け、大阪に帰る前、最後に何とかてんを笑わせようと決意して蔵に向かう。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
未だに設定が不明瞭な登場人物同士が感情を競っても…
なんの感想も浮かばない2分弱のアバンタイトルで始まった第18回。私の視聴継続の見極めと(今のところ)決めている最初の1か月まで、残り9回しかないとは信じがたい、ヒロイン不在のシーンが主題歌明けもダラダラと…。
その上、素性も設定も未だに不明瞭な藤吉とリリコが互いに感情をぶつけ合って、「芸も仕事もせんでええ」とか「惚れてるからや」と言い合っても、こちらは口をポカーンと開けて見るだけしか出来ない…。と、思っている矢先に、突然てんの仏頂面なのか無表情なのか見分けのつかない中途半端なカットが繋がるから、頭が痛くなる…
ただ、唯一言えるのは、昨晩放送の『ドクターX』での海老名を演じた遠藤憲一さんの方が、遥かに魅力的に映っていたと言うことだ。
脚本家の自虐ネタ? 視聴者が共感すると信じているのか?
さて、差し入れたご飯をてんが食べないと言う、これまたどうでも良いシーンが今回も続くのかと呆れていたら、なんと祖母のハツからこんな↓台詞が、ため息と共に吐かれた…
ハツ「はっ。てんには ほとほと あきれたわ」←字幕表記のまま
これ、脚本家の自虐ネタと受け取るべきなのか?それとも、物語が思い通りに進んでおり、ハツのこの心境に多くの視聴者が共感するとでも信じて書いているのだろうか?いずれにしても、脚本家がそんな余裕を持ちながらこんな脚本を書いて納品しているかと思うと、NHKには「我々の受信料の使い道を真剣に考えろ!」と言いたくなる。
儀兵衛は背中に目があるのに、背後の梯子は見えないか?
どうも、今回は所々に気になる、いや気に障る台詞が多い。本業そっちのけで、てんの見合い写真の品定めに没頭する儀兵衛に、番頭の平助が仕事のことを聞こうと背後から近づくと、「今忙しい!」と一喝されるシーンで、平助がこんな↓ことを言った。
平助「ホンマに 背中に目ぇあるんちゃうか?」
儀兵衛は、“背中に目が付いている程に注意深い人物” であると言う説明描写だが、娘を閉じ込めた蔵の梯子には気付かないのも妙な話であり、不自然だ。また、毎晩のように通ってくる藤吉に、風太しか気付かないのも、これまた妙であり不自然ではないか。
藤吉に風太しか気付かぬ事で、母の冷たさが透けて見える
しかし、「風太しか気付かない」と言う描写から私にじわじわと伝わるのは、家族のてんへの思いの無さ、特に母・しずの冷たさだ。新一が生きていた時から感じていた、てんへのどことなく他人行儀の態度。これも、本作がホームドラマらしく映らない原因の1つではないだろうか?
てんの "笑いのセンス" に大疑問! 「チョコ衛門」での大笑い
13分過ぎにも気になる描写が。夜、蔵に閉じ込められたてんにチョコレートを持って来た藤吉が、口の周りに髭のようにチョコを塗りたくり、満月に向かってこの↓見栄を切るシーンだ。
藤吉「天下の大泥棒 石川チョコ衛門たあ あっ 俺の事よ!」
これを見て聞いて、てんがここ一番と言わんばかりに声をあげて大笑い、「チョコ衛門さんや!」と大はしゃぎもする。あの~、そもそも主人公は “笑い上戸” と言う基本設定があるから、面白くなくても笑うのが普通でしょ?それなのに、この程度のネタで大笑いって?
てん(のモデル・吉本せいさん)の将来は、大阪の、いや日本の笑いの殿堂を作るってことでなないのか?そんな未来を背負っているてんが、「チョコ衛門さん」で大笑いしては、てんの “笑いのセンス” を視聴者に疑わせてしまったと同じこと。これ、一番やってはいけなかったのでは?
また、ナレーションで、完全に脚本家と演出家の押し付けか!
そんな、やってはならないてんの大笑いのシーンに、こんな↓ナレーションが被さって来る…
N「それは 本当に 久しぶりに見たてんの満開の笑顔でした」
もうこのナレーション、完全に脚本家と演出家の押し付け以外の何物でもない。その後のてんの「藤吉の一番のご贔屓さんや」の台詞も、藤吉の恋の告白も、全く連続性がない。辻褄も合わなければ、論理的にも破綻している。
何が何でも今週のサブタイトル『一生笑わしたる』に繋げたい一心で描いたのは分かるが、根本的にこの2人の恋バナが、28歳の男と11歳の少女の “犯罪まがい” な出会いが出発点である “映像上の事実” から生じる違和感が、私の脳裏から消されない限り、8年間の嘘の手紙を含めて納得できないのだ。
繰り返して恐縮だが、その違和感が払拭されないと、いつまで経ってもヒロインとその夫となる人物を応援することは出来ない。以前も書いたが、あの幼少期の回想シーンの放送は止めるべき…と思う。
本作のスタッフがモデルへのリスペクトを感じない "最悪の台詞"
既にお気付きの読者さんも、いらっしゃるかも知れない。実は、今回の15分間で最も気に障ったシーンのことを割けて書いてきた。それは、本作のテーマを考えると、藤吉に一番言わせてはいけない台詞であり、本作のスタッフがモデルとなっている人へのリスペクトを感じない最悪の台詞。それが、アバンの40秒辺りのこの台詞だ。
藤吉「俺は 商人としては役立たずや。
そやから なんとか 芸で身を立てるしか…」
藤吉のモデルである吉本吉兵衛さんは、芸人遊びが大好きな若旦那を経て、芸人をこよなく愛し、妻のせいさんと吉本興業を創業する。そんなモデルを背景に持つ藤吉に、芸人をリスペクトするのではなく、商売人目線から芸人さんを見下すような台詞を言わせるのは絶対に間違っている。
芸人を蔑む表現は、本作で一番やってはいけない事では?
一見気に留めずに聞き流せば、「藤吉は笑いが好きで、米問屋の若旦那より芸人をやりたいらしい」と解釈してしまいそうだが(そう言う脚本家や演出家のやり口も汚いが)、本作では “明らかに芸人を蔑む表現” は一番やってはいけないことではないだろうか。
中盤の梯子の上で、藤吉に若干芸人をリスペクトしているような台詞を言わせるが、あの時点は男が女を落とそう(くどこう)としているくだりであるから、口八丁手八丁になっているから時すでに遅し、覆水盆に返らず、そして「脚本家ここに語るに落ちた」と言うべきだろう。
うーん、今回も?視聴者をバカにし過ぎであると言わざるを得ない15分間だった。
あとがき
つまらないとか、面白くないとか以前の問題だと思いますよ。藤吉に芸人さんを見下したような台詞を書くのは?どうやら、脚本の吉田智子さんは、映画のヒット作を買われて、朝ドラに恋バナを持ち込むのを期待されての採用の噂がありますが、恋バナどうこうよりも、芸人さんやモデルとなった人をリスペクトしなさ過ぎですよ。
不快でなく、これは不愉快の部類になりますかね。モデルとなった人たちの関係者は、本作をどう見ているのでしょう?以前に、『とと姉ちゃん』で当時の関係者がNHKに怒りの告白があったのを思い出しました。また、繰り返すのでしょうか…
最後に。前回の愚痴ばかりの感想に 90回ものWeb拍手と、たくさんの応援コメントを頂き、ありがとうございます。清々しく目覚めて見る朝ドラなのに、ちっとも心に響かず心も動かず、劇中の笑えぬ笑いをただ15分間見届ける…そんな作品になりつつあるのが残念です。そろそろ表面上は脚本協力で、脚本家の差し替えも視野に入れるべきだと思います。
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