わろてんか (第15回・10/18) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『わろてんか』(公式)
第3週『一生笑わしたる』
『第15回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
てん(葵わかな)は藤吉(松坂桃李)のケガが治るまで店の蔵でかくまうことにし、儀兵衛(遠藤憲一)ら家族にバレないよう風太(濱田岳)に協力を頼んだ。てんは藤吉を一生懸命に看病するが、それ以上は関わらないように一線を引く。だが藤吉の行方を探していたリリコ(広瀬アリス)が店に押しかけて来て、藤吉を返せと騒ぎを起こした。てんが藤吉をかくまっていたと知った儀兵衛は激怒し、蔵の中にいた藤吉を引きずり出す。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
手代や女中の役割を与えたなら、その通りに書くべき!
いつもは時間軸に沿って感想を書くのだが、今回はいくらか行ったり来たりするのでご勘弁を。まず、序盤でのこの↓ナレーションだ。
N「いやいやながら 風太も協力する事となり
てんたちは 藤吉を かくまい始めたのですが…」
風太がてんたちに協力をする必然性が全くない。もちろん、脚本家にとっては、 “風太のてんへの片思い” を笑いのネタに使おうと言う目的で協力させているのだが、どう考えても手代なのだから、てんより店の信用を守る立場を優先すべきだ。
以前も書いたが、丁稚でも手代でもてん付きの女中でも、店での役割を与えたのなら、基本的にその役割を果たすような脚本を書けと言いたい。なぜ何度同じことを言わせるのだ。
別の場面の組合せが最悪で、恥じらうてんが嘘臭く見える
中盤で、笑顔が無くなったてんを心配する儀兵衛としずの会話の中の、しずのこの↓台詞に違和感を覚えた。と言うか、この台詞の時の映像とのチグハグさが良くないのだ。
しず「頭で考えてる事と心で思てる事が
かみ合うてへんような」
ところで、てんは学校に行っているのか?普通なら芸事の稽古や行儀の見習いでもするのがお嬢さまだと思うのだが、そう言う気配が一切ないのが気になっている状態で、この↑しずの台詞を、お年頃の娘のてんが恥じらいも無く、年上男性の素肌を消毒する映像に被せるセンスが最悪。
直後に、わざとらしく恥じらい驚くてんが描かれるが、せめて祖母のハツが妹のりんと一緒に “行儀作法の躾け” でもする場面でもあれば、「怪我を治してあげたい一心で恥じらいも忘れて…」と超好意的脳内補完できるのだが、何せてんと藤吉が互いを惹かれた理由すら分からぬ状態だから、わざとらしい恥じらいで終わって残念…
必死に台詞で藤吉のキャラクターを後付けしても無駄!
さて、劇中では、藤吉を蔵の中にかくまって数日経過しているように見えたが、蔵の中にトイレはあるのか?あんな不潔な環境で何日間過ごしたのか?それを考えるだけでも、こちらの身体が痒くなる。実は、このあたりも私が一番言いたいことに通じるのだが、それは後述するからもう少し待って欲しい。
で、中盤過ぎにリリコがやって来た後、蔵の中で藤吉とてんがキースやリリコのことを話すくだりで、てんが突然こんな↓ことを言い出す…
てん「相変わらず お人よしやなぁ 藤吉さんは」
この「相変わらず」とは、いつのことを指すのだろう?私には「相変わらず」と言うほど藤吉がお人好しの部分を見ていないし、そもそも藤吉の出番自体が少なかったから納得し難いのだが…。
こうして必死に、「お人好し」とか「仲間や家族を大切にする」とか、藤吉のキャラクターを後付けしているようだが、台詞の一部に入れたところで、テレビドラマなら映像で描かねば全く視聴者に伝わらないのを、まだ分からないのか?
俳優の演技を語りで修飾するのは蛇足以外の何物でもない
終盤と言うかラストの、この↓ナレーションのウザいことったらありゃしない。なぜ、遠藤憲一さんの渾身の演技に「ギョロ目」と説明を入れるんだ!?
N「とうとう ギョロ目の鬼さんに見つかってしまいました」
先も書いた通り、台詞の一部よりも映像で描くのがドラマ。俳優が脚本に沿ってそう言う演技をきちんとしているのに、語りで修飾するのは蛇足以外の何物でもない。こんなことをするから、「鬼さん」を上目遣いで見るてんが、“可愛い子ぶっている” としか映らないのだ。
なぜ、てんが藤吉を蔵にかくまう設定にしたのか?
さ~て、ここからが今回の15分を見て、一番言いたいことだ。それは、「なぜ、てんは藤吉を蔵にかくまったのか?」。言い換えれば「脚本家は、どうしててんに藤吉を蔵にかくまる設定にしたのか?」だ。
前回から思い返して欲しい。そもそも、藤吉が怪我をする羽目になった騒動の火付け役はキースだ。キースが藤吉のことを思ってやろうが、原因がキースなのは間違いない。だから、藤吉をチンピラ?からかくまう必要など一切ない。きちんと事情を説明すれば済む話。それこそ、第三者の協力者である風太が説明すれば終わりだ。
てんは即家族へ相談し医師の診断を受けさせるべきでは?
なのに、蔵にかくまった。なぜ、怪我人を神社から遠く離れた自宅の蔵に…と言う疑問は残るがそんなのはもはやどうでも良い。藤吉は怪我をしているのだ。頭から血を流して一時的に気を失っていたような描写さえある。現代なら「即救急車を!」と言う状況だ。それなのに…
ここで最大の疑問が湧いてくる。てんの自宅「藤岡屋」は「薬問屋」だ。以前に儀兵衛自身も言っていた “命に関わる商売” をしているのだ。てんは、その薬問屋を継ごうと決心した娘と言う設定もある。だとしたら、てんは真っ先に家族に相談し医師の診断を受けさせるのが普通、いや当然の流れでないのか?
脚本家や演出家が "命" を軽視し過ぎ!!!
しかし、この脚本家は、あろうことか命に関わる怪我を負っているかも知れない藤吉を、てんに薄暗い不潔な蔵にかくまわせると言う無茶苦茶なシーンを創り上げた。そして主人公を、落ちて来た大きな箱から自分を助けてくれた藤吉を、かくまって健気に看病したから “お人好し” 以上に “心優しい女の子” と思えと言わんばかりに。
更に酷いのは、てんが先日 “最愛の兄を病気で亡くしている” と言う設定があることだ。それなのに、この主人公のてんは、人の命を軽んじて扱い過ぎる。いや正しくは、脚本家や演出家が “命” を軽視し過ぎるのだ。先日の、こんな言い方はしたくないが、ゲスで不愉快な「首吊りコント」然り、「新一のナレ死」も然りだ。
命に関わるエピソードを恋バナにでっち上げるのは絶対ダメ!
「首吊りコント」は別にして、「主人公の実家が薬屋であること」と、「兄の新一が、薬が無くて亡くなったこと」のデフォルトの設定が無ければ、気にならない。しかし、薬屋と新一の一件がある状態で、藤吉の命に関わる事態を、ヒロインの恋バナにでっち上げるのは、やってはいけないことでは無いか?
登場人物は笑っていても、こちらは一向に笑えない。人助けの話もトンチンカン。ヒロインの恋バナにもちっとも胸キュンしない。時間軸も時間経過もよく分からん。共感できる登場人物も見当たらない。これをどう見ろと言うのだ。即時の脚本家の交代か打切りも視野に入れるべきとさえ思った第3週目の真ん中だ。
あとがき
ドラマ愛が強すぎて、投稿が遅くなりました(謝) とにかく、思い半ばでこの世を去った兄の代わりに薬屋の後継ぎを宣言した主人公が、今なら救急車を呼ぶような怪我人を、不潔な蔵にかくまうと言うのは、流石に呆れます。これ、NHK内部で問題にするべきだと思います。本当、朝から気分が悪くなる朝ドラは久し振りですよ。
最後に。前回の繰り言の感想に 76回ものWeb拍手と、たくさんの応援コメントを頂き、ありがとうございます。折角2回連続で不快でなかったのに、今日はこれですか?てんと藤吉のくだりを楽しく見られるようにして欲しいのに、真逆ですね。これでは応援したくてもエネルギーが湧きません…
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