べっぴんさん (第13回・10/17) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『べっぴんさん』(公式)
第3週『とにかく前に』『第13回』の感想。
なお、ヒロイン・坂東すみれのモデルは、アパレルメーカー「ファミリア」創業者の1人である坂野惇子(ばんの あつこ)さんで、関連書籍は未読。
近江の本家に疎開していたすみれ(芳根京子)と姉のゆり(蓮佛美沙子)は、戦後の食糧難の中で、祖母の坂東トク子(中村玉緒)や叔父の長太郎(本田博太郎)、妻の節子(山村紅葉)、息子の妻の静子(三倉茉奈)に遠慮しながら、肩身の狭い生活を送っていた。そんなある日、長太郎に呼び出されたすみれとゆりは、家を出て行くよう促される。感情的に飛び出したゆりを追うすみれ。その時、二人の前に現れた男の姿は…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
期待感を高ぶらせてくれた、アバンとメインタイトル
さて、第3週目が始まった。思ったよりも長尺のアバンタイトル。内容は、ほぼ先週の総括って感じで、ちょっとあれっ?と感じてしまった。その違和感の原因は、クレジットにあった今週担当の演出家の名前で謎が解けた。ご存知の通り、朝ドラは概ね3名の演出家が交代で担当する。そして、近年の朝ドラでは…
● 『あまちゃん』『ごちそうさん』『マッサン』…第1,2週が同一演出家
● 『まれ』『あさが来た』『とと姉ちゃん』…第1~3週が同一演出家
● 『花子とアン』『べっぴんさん』…第1と3週が同一演出家
そう、意外と第1週から第2週は1人の演出家で統一感を出そうとしているのだ。しかし、今作は、第1週と第2週の演出家が異なる。しかし、私がこれまで演出家自身に触れてこなかったのは、第1週と第2週で演出家の違いによる違和感が無かったから。しかし、当の本人にしたら “違い” は必ずあるはずだ。
その辺の本人の再確認と、ここまでガッツリと自分とは違う演出家の映像をアバンで使っても、視聴者に違和感を感じさせないと言う “自信” と、敢えて本編の始まりを感じさせる “予感” を魅せようとしているのではないだろうか。そんな期待感を高ぶらせるアバンとメインタイトルだ。
"近江"のテロップ直前 エキストラ2名の配置と動きが絶妙
主題歌明けの「近江」の2つの情景カットにグッと来てしまった。特に「近江」のテロップが入る直前の、近江八幡の特徴的な白壁の土塀が建ち並ぶ八幡堀に、腰の曲がった老婆が手前に歩き、暑そうに扇子で扇ぐ紳士が奥に歩く何気ない情景カットが、2名のエキストラの配置と動きが絶妙。
名匠・セシル・B・デミル監督作品『十戒』(1956年)では、ユダヤ民族のエジプト脱出シーン5,000人のエキストラが動員されたが、監督が撮影中に群衆の中に光るものを見つけたら、1人のエキストラの腕時計だったと言う逸話がある。エキストラの動きを制する監督に名匠が多い。それを言いたかったのだ。
しっとりとじっくりな演出と演技を堪能できる仕上がり
そして、回想シーンは敢えて強めに紗をかけてぼかして幻想的な映像美を創り出し、現実の辛さや怖さや悲しみは現在進行中のシーンで描こうと言うメリハリを目指した演出方針なのだろう。
正蔵(名倉潤)の死に涙するゆり(蓮佛美沙子)、部下に号令をかける正蔵の回想、五十八(生瀬勝久)の苦痛の表情が、とても良い感じのコントラストがついた。とにかく、今回はしっとりとじっくりな演出と演技を堪能できる作風に仕上がってる。
戦後の食糧難を描くための、カメラの構図と編集に注目
戦後の食糧難を描く、すみれに物々交換を申し出る母子のシーンも巧みに計算されている。まず、このシーンの2カット目で裏庭(勝手口?)をやや斜め俯瞰から見下ろす構図で、物理的にすみれの小ささを強調しておく。カメラはそのまますみれの目線の高さまで降りてきて、母子の顔が見えるカットに切り替わる。
しかし、「どうにか生きていかなあかんのです」の母親のアップの1カットだけは、下から煽り気味になってる。見上げる構図は、その対象を大きく見せると同時に、カメラ(観客)が対象より身分や立場が下位であることを表現する時に良く使われる。
最初の俯瞰で見せた「小さなすみれ」ですら、生きるために頼らざるを得ない「もっとちっぽけな人間」がいることを、土下座する母親を見上げるような構図で描いたことで、この母よりも苦しい人たちがいることを見事に表現していた。その後も野菜庫や野菜を渡すシーンも俯瞰で「ちっぽけな人間同士」を魅せたのは言うまでもない。
そして、静子(三倉茉奈)の「何してくれた?」から突然カメラが手持ちになる。「人の家の食べもん、勝手に恵んで人助けか?」の台詞周辺は、意図的にブレを大きくして、すみれと静子の心の動揺にカメラをシンクロさせてる。緊張感のある素晴らしいシーンだ。
肇との夕食のシーンで、計算された照明の美しさを堪能
戦地から帰ってきた肇(松木賢三)との夕食のシーンは美しかった。特に画面下手(左側)に台所、上手(右)に居間が直角に配置された美術セットによって、単純に奥行き感を出すだけでなく、2つの距離を遠ざける効果もある。
そして照明も下手は小さな電球だが手前だから大きく映り、居間のペンダントライトは奥だから小さく映り、結果的に2つは同じ明るさと大きさに映ってる。実は自分物たちも映る大きさはそんなに変わらない。これが意図するのは、単純に長太郎たちとすみれたちの “人生の明暗” を照明で魅せることだろう。
しかし、その引きの画の直後の登場人物たちの泣き顔は照明がしっかり当たっており、長太郎たちとすみれたちも戦争の被害者として同じ立場であることを描いてる。もちろん、すみれたちの方が顔への照明は明暗が付けられており、長太郎一家との差別化もきちんと図られている。これが、計算された照明の美しさだ。
本作のすべてが、緻密に考え尽くされている
さて場面は、長太郎に家を出て行くよう促されるくだり。ここで、アバンに登場した暑そうに扇子で扇ぐ紳士が役に立つ。そう、長太郎の扇子が必要以上に光り輝いているのだ。アバンでの扇子は暑さの象徴、長太郎の扇子は家長の威厳の象徴として使い分けられている。
アバンで扇子が登場してなかったら、ここまで光らせる必要はなかったはずだ。だから、本作のすべては、緻密に考え尽くされているってわけだ。
潔とゆりの再会を"焦らすストレートな演出"も良かった
感情的に飛び出したゆり、それを追うすみれ。そこに潔(高良健吾)が帰って来る。ここは敢えて凝った策を講じずに、単純に人物配置を田んぼを挟むことで、潔とゆりの再会を焦らすストレートな演出。14分間凝りに凝りまくった脚本と演出を続けたからこそ映えるシンプルな再会シーン。ホント構成が上手い。
あとがき
15分間のラストカット、何か言っているような意味深なすみれのアップが実に印象的でした。すみれ、一体何と言っていたのでしょう?静かに、そして確実に本編が動き出した、そう感じさせてくれる第3週の月曜日でした。もう少し、すみれにスポットライトが当たると良いのに…は欲張りですかね。
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坂野惇子 子ども服にこめた「愛」と「希望」 (中経の文庫)
ファミリア創業者 坂野惇子 - 皇室御用達をつくった主婦のソーレツ人生
坂野惇子の人生 (MSムック)
上品な上質---ファミリアの考えるものづくり
時空旅人別冊 “べっぴんさん"坂野惇子の生涯: サンエイムック
連続テレビ小説 べっぴんさん Part1 (NHKドラマ・ガイド)
NHK連続テレビ小説 べっぴんさん 上
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