とと姉ちゃん (第156回/最終回・10/1) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(公式)
第26週『花山、常子に礼を言う』『第156回/最終回』の感想。
なお、本作のモチーフで、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』は既読。
花山の死後、常子はある晩、夢を見る。常子が会社にいくと、一人の男がいる。果たしてそれは幼い頃に常子が死に別れた父、竹蔵(西島秀俊)であった。常子は竹蔵に社内を案内し、「今はこの会社が自分の家族だ」と語る。竹蔵は常子の頭を優しくなでる。常子はとと姉ちゃんとしての人生を全うしたのだ…そして昭和63年。老女になった常子は今日も東京の町を駆け抜けていく…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
前回と昨日の『あさイチ』への更なる不信感,怒り,憤り…
前回に続いて…この記事を書いている時点で、前回の感想へのWeb拍手が127回に及んだことにお礼を述べたい。でも、この数は当blogへの共感よりも、本作やNHKやスタッフへの不信感、怒り、憤りが、数字に表れたと信じている。と言うことで、最終回だけにいつも通りの “ドラマ愛” で本作を見届けたい。
「最高に残念なアバンタイトル」だった…
結果的に月曜日から金曜日まで5日間も脇役「花山伊佐次」の死を散々引っ張って、且つ強引にお涙頂戴に描いておいて(結果的に私には何の効果もなく、むしろ苛立ちだけが心に残っただけが)、前回の「日本出版文化賞受賞」のおめでたいラストに続いて、最終回の冒頭も小橋家関係者全員でハッピーに乾杯でスタート。
もう、今更何を言ってもしょうがないが、サブタイトルにもまだ『花山、常子に礼を言う』とあるのに、全く花山(唐沢寿明)の死はおろか、存在にも触れずに最終回が始まったのには驚愕の一言。もう、今朝は何が起きても驚かない。そう言う覚悟をさせてくれた、敢えて言う「最高に残念なアバンタイトル」だった。
社員への労いの言葉もなく、ヨイショとセクハラの祝賀会
そもそも、このアバンでは「日本出版文化賞受賞」が、常子(高畑充希)一人の業績のように描かれているのに腹が立つ。もちろん、内々の祝賀会だから、「常子おばさんヨイショ合戦」で構わないのだが…
一応元社員を含めて鞠子(相楽樹)、美子(杉咲花)、水田(伊藤淳史)の3人がいるのだから、常子社長として「いえ、社員の皆さんのお陰で受賞できたのよ」と謙遜して欲しかった。それから「常子おばさんヨイショ合戦」を始めて欲しかった。
しかし現実は、あろうことか、水田による社長ヨイショと女の口説き方入門。それも我が子たちの目の前で、セクハラ紛いの言い方なのに妻たちまでまんざらでもない様子でコミカルな場面に。これで、やはり小橋一家はおかしいことと、こう言う家族を朝ドラに登場させる脚本がおかしいことが、最終回で証明された。
物語より、視聴者へのサプライズ演出と編集を優先したか
最終回は主題歌抜きでメインタイトルのみで、本編が始まった。また、「あなたの暮し出版」にいつも通りの日常が戻って来た、と思いきやいきなりファンタジー風演出。やや『あさが来た』の最終回を思い出させる(彷彿はさせてない) “黄泉の国人” の登場だ。
確かに、今は亡きとと(=父)・竹蔵(西島秀俊)が目の前に現れたのだから、真黒なビー玉のように目を見開いて驚くのは、至極当然の演技指導であり演技だ。しかし、ここは脚本で、常子に後姿を一目見ただけで「とと」であることを認識するように、常子の行動を制御するように書いて欲しかった。
その方が、間違いなく「とと」と「とと姉ちゃん」の “密な関係” を表現できたはずだから。しかし、撮影現場の演出家は、「西島秀俊さん登場」の視聴者へのサプライズ演出と編集を選択した。お陰で、ここでもまた常子が非情な女、冷徹な娘の上塗りをしてしまった。あの第1週で病身の竹蔵を外出させたように…
「花山伊佐次」は、幻だったのか…
常子の「大きくなったと言いますか、歳をとりました」の台詞が、1階の実験室に虚しく響いたのは、前回の感想で触れた “登場人物たちに「年齢」が無い” ことが最大の原因。そのまま常子は、視聴者には一切必要のない会社説明。2階へ移動する会話の中に一瞬「花山さん」が登場するが、その後の記念写真は三姉妹だけ。
せめて、花山を含めた創業直後の写真でも良かったと思うのは、私が脳内補完をやり過ぎて花山への思いが強いからだろうか。きっとそうだ。だって、常子と武蔵のやり取りも、花山の存在を消してある歴史年表の読み上げてたし、ちっとも感情のやり取りを感じない台詞ばかりだから、「花山伊佐次」は幻だったんだ。
常子と竹蔵の再会を、あっさり風味の「夢オチ」にするか
しかし、常子と常子が尊敬する父との再会を、思いのほかあっさりした「夢オチ」で終わらせた演出にも正直不満。個人的には、「とと」が黄泉の国から帰ってくるのは、もっと常子が高齢で重篤な病気の中での夢や、死期が間もない頃の幻視で登場するべきだったのでは?驚けない「サプライズ」程お寒いものはないから…
最終回の最後が、最悪のシーンになるとは想定外だ
そして一気に昭和63年夏にワープ。第1回の冒頭のシーンの巻き戻し風に時間経過を描くと言う手法は、本作にしてはなかなか凝った脚本と演出。これ自体は間違っていないし、むしろ半年間の締めくくりには相応しい映像構成だ。第1回の映像が手元にあれば是非見て欲しい。いい感じにシンクロ(時代設定は、第1話の方がメイクや衣装がだいぶ若い)している。
しかし、褒めるのはここまで。第1回も最終回も常子の衣装は、白色のブラウスと紺色のパンツルックと揃えているが、髪型が違う。第1回はロングヘアで、最終回はポニーテールを丸くまとめたシニヨンスタイル。そう、如何にも年を取った風のヘアスタイルだ。まさか、最終回の最後が最悪のシーンになるとは想定外だ。
14年後?の70歳近い常子と思われるが、恐ろしいのは美子(杉咲花)を筆頭に施された、過激な老けメイクでの極端な老化の表現だ。これも前回の感想で触れたが、本作で一番やってはいけないことを最後の最後でやってしまった。
"今の高畑充希さんの全力疾走"と言う驚愕のラストカット
全く、劇中の時間軸相応の「経過した時間」を、俳優の演技で魅せる演出を微塵も感じない空虚で笑いも出来ない最後の出版社のシーンがそれだ。
それもなぜか最後の「どうしたもんじゃろのう」の常子を、手持ちカメラで押さえたのも必然性が感じられない。むしろ、常子の椅子からの立ちあがり方、前のめりで話しかける姿、階段を駆け下りるのも、ラストで公演を颯爽と走る姿にも、全く「老い」を感じさせない演出と演技が揺れるカメラで強調されちゃうから。
これが「いつまでも若い」と思わせるのが演出力であり演技力なのだが、鞠子も常子も冒頭の内々の祝賀会と全く変わりがない。そしてまさかのラストカットが、で高畑充希さんの全力疾走シーン。驚愕のラストカット(カメラもグラついてるし)として、朝ドラの歴史に刻まれるに違いない。
総括:ひと言で言うなら「雑と無責任」
さて、総括を書くまで1時間も掛かってしまった。急ごう。ひと言で言うなら「雑と無責任」だろうか。想像の域を出ないが、多分登場人物の初期設定を十分にせずに脚本と撮影を見切り発車した。その影響は第2週の運動会を過ぎた辺りから見え始め、母を含めた小橋一家のキャラが定まらないまま、最終回に至ったのでは?
そして、キャラが確定しないまま、「テンポよく」の制作統括の号令の下、次から次へと「騒ぎ」を起こしては、ヒロインの鶴の一声で解決してまた次へと言う「騒動至上主義」に陥った。そのため、ヒロインの問題解決に必要な登場人物とそうでない者に分ける必要が出てきた。
それが、すべての登場人物を常子の「味方と敵」に分けること。味方は徹底的に常子に利用され、敵は用が済めば即刻退場となったり、強制的に再登場させられた。こうしてキャラクターの使い捨ても目に余るようになった。ここまでは「雑」に関する話。
さて、長くなるから(もうなってる!)ここで視点を変えてみる。物語は、常子の問題解決で、どんどん進んで行ったのだが、問題はその常子自身が「ストーリー」を持っていないことだ。常子自身も物語の流れの一部になってしまったってこと。そして、編集者の物語なのに編集作業が描かれない不可思議。それは、どうしてか?
様々なNHKのテレビ局としての大人の事情や、一部の俳優の自分本位の事情が、脚本に、演出に、次々と波及していき、全体的にプロの仕事として、連続性の乏しい主人公不在の「無責任」な朝ドラが完成したのではと推測する。ここで、犯人探しをするつもりはないが、名の通り「制作統括」の判断が最大の原因だろう。
あとがき
ついに終わりました。まだまだ書きたいことはあるので、気持ちと頭の整理が出来て、更に書く意欲がわいたら書こうと思います。それにしても、最終週は多くの読者の皆さんならたくさんのコメントや拍手を頂き、ありがとうござました。お陰で、何とか最終回の感想まで辿り着きました。
それに、家族や友人と泊りがけの旅行に行っても携帯電話で録画をチェックし、暇を見つけては記事を投稿してました。「旅行先まで来てブログ書くの?」と思いつつも私のブログ更新を温かく見守ってくれた家族や友人にも感謝です。
そして最後に、半年間こんな身勝手なブログにお付き合い下さりありがとうございました。次の『べっぴんさん』もいつまで続くかわかりませんが、よろしかったら、またのご来訪をお待ちしております。おっと、2時間経ってる(汗)
【追記 2016/10/03 06:36】 『「とと姉ちゃん」関連の"161"の投稿で書けなかったこと ~全156回の総括~』を投稿しました。
★ケータイの方は下記リンクからご購入できます。
【ポケット版】「暮しの手帖」とわたし (NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』モチーフ 大橋鎭子の本)
花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部
しずこさん 「暮しの手帖」を創った大橋鎭子 (暮しの手帖 別冊)
大橋鎭子と花森安治 美しき日本人 (PHP文庫)
大橋鎭子と花森安治 戦後日本の「くらし」を創ったふたり (中経の文庫)
花森安治のデザイン
花森安治伝: 日本の暮しをかえた男 (新潮文庫)
花森安治 増補新版: 美しい「暮し」の創始者 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)
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【これまでの感想】
[読書] 「暮しの手帖」とわたし (大橋 鎭子/著・花森 安治/イラスト・暮しの手帖社) 感想 ※平成28年度前期 NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』モチーフ,大橋鎭子の自伝
第1週『常子、父と約束する』
1 2 3 4 5 6
第2週『常子、妹のために走る』
7 8 9 10 11 12
第3週『常子、はじめて祖母と対面す』
13 14 15 16 17 18
第4週『常子、編入試験に挑む』
19 20 21 22 23 24
第5週『常子、新種を発見する』
25 26 27 28 29 30
第6週『常子、竹蔵の思いを知る』
31 32 33 34 35 36
第7週『常子、ビジネスに挑戦する』
37 38 39 40 41 42
第8週『常子、職業婦人になる』
43 44 45 46 47 48
第9週『常子、初任給をもらう』
49 50 51 52 53 54
第10週『常子、プロポーズされる』
55 56 57 58 59 60
第11週『常子、失業する』
61 62 63 64 65 66
第12週『常子、花山伊佐次と出会う』
67 68 69 70 71 72
第13週『常子、防空演習にいそしむ』
73 74 75 76 77 78
第14週『常子、出版社を起こす』
79 80 81 82 83 84
とと姉ちゃん あの第82話で「連続20%超え」が途切れたそうだ
第15週『常子、花山の過去を知る』
85 86 87 88 89 90
第16週『“あなたの暮し”誕生す』
91 92 93 94
「とと姉ちゃん」自己最高25.3%。これでテコ入れも期待薄か?
95 96
第17週『常子、花山と断絶する』
97 98 99 100 101 102
第18週『常子、ホットケーキをつくる』
103 104 105 106 107 108
第19週『鞠子、平塚らいてうに会う』
109 110 111 112 113 114
第20週『常子、商品試験を始める』
115 116 117 118 119 120
第21週『常子、子供たちの面倒をみる』
121 122
朝ドラ「とと姉ちゃん」の高い視聴率と増える厳しい意見の“ねじれ”を考える
123 124 125 126
第22週『常子、星野に夢を語る』
127 128 129 130 131 132
第23週『常子、仕事と家庭の両立に悩む』
133 134 135 136 137 138 138(その2)
第24週『常子、小さな幸せを大事にする』
139 140 141 142 143
朝ドラ「とと姉ちゃん」 やはり「暮しの手帖」関係者も怒り心頭だった
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第25週『常子、大きな家を建てる』
145 146 147 148 149 150
第26週『花山、常子に礼を言う』
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