とと姉ちゃん (第22回・4/28) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(公式)
第4週『常子、編入試験に挑む』『第22回』の感想。
なお、本作のモチーフで、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』は既読。
仕事の合間で勉強していた常子(高畑充希)と鞠子(相楽樹)は無事に編入試験に合格し、女学校に通い始める。しかし、新たな学校生活で待ち受けていたのは、クラスメイトの冷たい反応だった。孤立している時、常子は一人で読書にふける中田綾(阿部純子)を見つける。「私は一人で平気だから」と取り付く島のない綾。うまくいかず悩む常子の前に、以前配達の帰りに出会った植物学を学ぶ珍妙な帝大生・星野(坂口健太郎)が現れる。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
また、勉強もせずに合格と言う "出来事" だけで終わり?
サブタイトルが『常子、編入試験に挑む』の割に、週の前半に編入試験があることだけネタ振りしておいて、あとは数秒のちゃぶ台での勉強のシーンがあっただけ。あとは、語りで弁当屋の手伝いで試験勉強が出来なかった言い訳をして、結局は期待を裏切りあっさりと合格しちゃった。
私がこの表現に違和感を覚えるのは、常子(高畑充希)と鞠子(相楽樹)が優秀だから…ってことで、大した勉強もせずに、ドラマ的に何の紆余曲折もなく合格するエピソードなら、なぜサブタイトルにしたのかってこと。だから、本作お得意の “出来事” を描いただけと思えちゃうのだ。
なぜ、君子を娘らの制服を買い揃えない設定にするの?
そして、貧困だとは言え、常子(高畑充希)だけが以前の学校の制服と言うのはどうかと思うが、幼稚園や小学校低学年ならともかく女学生のあの態度はやり過ぎって感じ。それに、姉妹の制服を買い揃えないと言うかか(=母)・君子(木村多江)を描くから君子が、すべてに鈍感な “まれ” に見えてしまうのだ。
9月上旬に、滝子と栄太郎だけが白い吐息の意味は?
語りでも「とうとう夏休みが終わり」と告げ、テロップでも「昭和十年 九月」とあるのに、滝子(大地真央)と栄太郎(片岡鶴太郎)の口から吐く息が白い。早朝で朝が寒いと言っても流石に9月上旬では厳しくないか。常子たちは会話をしても白い息で無いのに。
普通は、口の中に氷を入れて…止めておこう。だって、終盤ではあんなに満開のヒマワリが咲いてるってことは、見落としでなく確信犯に違いないのだから。大人の事情でもあったのだろう。残念。
ととは「なぜ僕が負ける前提なんです?」と言ったのに?
第4回で、子どもたちが庭で羽根突きをしているくだりで、美子がふざけて「ととのお顔に墨ぬりたい」と言うと、とと(=父)・竹蔵(西島秀俊)は「なぜ僕が負ける前提なんです?」と答えていた。
今回の合格通知を受け取るシーンは、このシーンの焼き直しになっていたと思う。なのに、常子は鞠子へ「落ちてる前提で話すのやめて」としかも現代調n言い回しで答えた。やはりここは “とと姉ちゃん” らしく、「なぜ私が落ちてる前提なの?」としてた方が良かったような。未だに、ととの言い回しが活かされない…
あとがき
前回は良いところがあったのに、今回は大きなクエスチョンマーク4つ。仕上がりに差がありますね、今週のサブタイトルだって『常子、森田屋の女将に褒められる』にしたら良かったのに。ネタバレが嫌なら『常子、家族の窮地を救う』とか『常子、女学校に入学する』って程度の内容しか無かったと思います。
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