とと姉ちゃん (第9回・4/13) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(公式)
第2週『常子、妹のために走る』『第9回』の感想。
なお、本作のモチーフで、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』は既読。
美子(根岸姫奈)のことで悩む常子(高畑充希)のもとに突然、ふらりと叔父の鉄郎(向井理)が現れる。鉄郎は小橋家が大切に食べてきた米を食べ尽くし、再び逃げてしまう。困り果てたとき、常子は一枚のチラシを見つける。そこには運動会の二人三脚で一位になれば、米が一俵もらえると書かれていた。これだ!と母・君子(木村多江)と二人で早速、練習し始める。しかし運動会前日、君子は手首にけがをして走れなくなってしまう…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
今回も、エピソードの連続性が乏しい…
月曜日の第8回で、母・君子(木村多江)が「何とか一家を支えていました」と語りで言っていたのに、今回は一気に困窮してる。だから、あの時、冒頭の朝食シーンでおかずを1品減らしたような描写があっても良かったと書いたのだ。どうして、こうエピソードに連続性が無いのだろうか。
長女より次女が「とと」に見えちゃう?
「お金も稼げない。美子の悩みも解決できない。これじゃ、ととやっているとは言えないもん」
連続性の無さで言えば、この台詞もそう。では、父の死後の4年間、常子(高畑充希)は「とと」の代わりをやっていたつもりだが出来ておらず、今回の「まずは、目先のお米問題、何とかしよっか」と常子を励ます次女・鞠子(相楽樹)の方が余程「とと」に見えてしまっている。これでは本末転倒だ。
普通に、父との記憶の二人三脚で三女を励ませば…
困窮しているにも拘らず手堅く働いて稼ぐ、でなくて運動会の景品に頼るとか。二人三脚の練習で母・君子(木村多江)が長襦袢を見せながら走るとか。私の中のとと(=父)の “教え” のイメージとはかけ離れた、その場しのぎ的思考回路とお下品さ。
今回の冒頭も、変な親戚の男を登場させて困窮さを描かずとも、普通に運動会のチラシを見て、二人三脚をやって三女・美子(根岸姫奈)に元気を取り戻すって流れの方が自然だと思うが。
「二人三脚で1位になる=とと姉ちゃんになる」は強引
結局、とと(=父)がどう言う人物で家族にどう “教え” を伝えていたのかがきちんと描かれていないのに、今回で言うなら「二人三脚で1位になる=とと姉ちゃんになる」と言う図式へ強引に繋げようとするから、あちこちほころびが見えて、話に矛盾しか感じない。とにかく、“ととの教え” を描くことに集中した方が良いと思う。
あとがき
うーん、まさか『「暮しの手帖」とわたし』と言うモチーフを『とと姉ちゃん』にタイトル変えしただけでは済まなそうですね。完全に「とと姉ちゃんが出来るまで」にドラマの内容がなっていますから。前作もそうですが、面白い朝ドラは細かいところが気になっても大きなストーリーの流れがそれを気にさせないのです。
残念ながら、現状の本作は大きなストーリーの流れが無いから、重箱の隅を楊枝でほじくるようなことになってしまいます。ととの教えをきちんと描くか、早く「とと姉ちゃん」になってからの話に進んだ方が良いと思います。俳優陣が良いだけに、何とか脚本を立て直して欲しいです。
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