とと姉ちゃん (第8回・4/12) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(公式)
第2週『常子、妹のために走る』『第8回』の感想。
なお、本作のモチーフで、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』は既読。
美子(根岸姫奈)の教室にたどりついた常子(高畑充希)はそこで一人ぼっちの美子を見てしまう。一計を案じた常子は、ともだちに美子の魅力を伝えようと一芝居うつが、見事に失敗。逆に美子の信頼を失ってしまう。その夜火災が発生、火消しにでた常子だったが、男たちの迫力に気おされ、ろくに役に立つこともできなかった。常子は父親代わりがなにひとつできないことに落ち込む。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
どんどん期待が裏切られていく…
うーん、久し振りの男性脚本家だし、主演の高畑充希さんにも期待し応援したいのだが、どんどん期待が裏切られていくって感じ。その最大の原因は、劇中で連呼される…
“とと” ってどう言う人物だったのか?
第1週でのとと(=父)・竹蔵(西島秀俊)の印象って、好意的に書けば、「拘りがあって丁寧な物言いの仕事も家庭も大切にするよき父親」ってだけ。言ってしまえば「丁寧」位しか印象が薄い登場人物が、長女に「ありきたりの毎日を大切にし、家族のことを頼む」と言い残して死んでいったに過ぎない。
そして、週明けには4年が経過して、3姉妹の丁寧語もどこかへ行ってしまい、「どうしたもんじゃろのぉ」の連呼が始まった。そう、第1週と第2週が繋がっていないのだ。今回を見ても、ほぼ今週が第1週として観た方が明らかに矛盾がない。なぜ、こんな全体の構成にしたのだろうか?
このままでは “とと” が浮かばれない…
だから、いくらタイトルでも劇中でも「とと姉ちゃん」や「ととだったら?」と連呼しても、ただの父親代わりをする女学生以上にならない。常子(高畑充希)に “とと” の面影が無いのだから。まずは常子が大人になる前に “とと” がどう言う人物だったのかを追加撮影して回想で再挿入した方が良いと思う。
そして、丁寧語の復活と、大声と「どうしたもんじゃろのぉ」の排除。これを断行しないと “とと” が浮かばれないと思う。
あとがき
前回のおはじき、今回の聖徳太子などのコミカルなつもりの部分も、暫く封印してと “とと” の面影を描くことに集中した方が良いと思います。でないと、単なる「父親代わりをする女学生の奮闘記」にしかならないと思います。まだまだ第2週。いくらでも巻き返しは出来ると思いますので、期待します。
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