とと姉ちゃん (第7回・4/11) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(公式)
第2週『常子、妹のために走る』『第7回』の感想。
なお、本作のモチーフで、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』は既読。
クラスになじめない三女・美子(根岸姫奈)のため、美子の学校に乗り込む常子(高畑充希)。しかし、その行動が裏目にでてしまい、ますます仲間外れに…。そんな中、近所で火事が発生。常子は男性陣に交じりバケツリレーに加わるも、全く役に立てず邪魔者扱いされてしまう。何かと因縁をつけてくる玉置三兄弟にばかにされる常子。美子は、その様子を見てますますとと(=父)が恋しくなり、常子に八つ当たりをしてしまう。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
大原拓氏の巧みなカメラワークは良い
冒頭、常子(高畑充希)が消防訓練をしているのを、最初少し引きで撮ってからズームインするのでなく、ゆっくりカメラごと寄って行き、常子自身も前後するから、不思議な遠近感で常子の生き生きとした表情が見えたアバンタイトル。
演出は、第1週に続いて今週も大原拓氏。『梅ちゃん先生』『軍師官兵衛』等を担当した人だそうだが、私は本作が初見だ。先週も幾つかあったが、大原氏の演出の特徴の1つに巧みなカメラワークがあるようだ。第2週はその辺にも注目しようと思う。
語りとスーパー(字幕)が多過ぎやしないか?
記事の冒頭では褒めた演出だが、「小橋君子」のスーパーが入った辺りから怪しくなってきた。カメラワークも劇伴の出し入れのタイミングなどはアバン同様に本編も良いのだが、とにかく語りが多過ぎる。語りについては脚本家が原因に寄るところが多いと思うが、流石に多過ぎだし、演出と上手く噛み合っていない。
例えば、「何とか一家を支えていました」と言うなら、遺族援助があるにせよ冒頭の朝食シーンでおかずを1品減らしたような描写があっても良かったろうし、「検反(けんたん)」を振り仮名付きで入れる必要なんてあるのだろうか。その後の「消防自動車」なども折角の物語の流れを止めてるだけのような気がするのだが。
エピソードに連続性が感じられないのが残念
私の記憶が正しければ、小橋一家は家の中でも丁寧語で会話していたように思うが、父の死の4年後で、父の家訓は生きているのに丁寧語は無くなってる違和感。「どうしたもんじゃろのぉ」の由来とかも…
そんな中でも、「ととの思い出がないから友だちと話せない」と自ら友だちから距離を置いた美子(根岸姫奈)の解決策が、母・君子(木村多江)の「明るい顔を作ってみない?」と言うのは無理があるような。4年、4年は経っているのだ。その間の母や姉との思い出は?って思ってしまった。何か、エピソードに連続性が感じられない。
あとがき
全体的な雰囲気は悪くないし、映像的にもいろいろ工夫されているとは思う。だから気になってしまう。始まってまだ7話で重箱の隅を楊枝でほじくるのも嫌なのだが、どうも気になる表現が多い。特に気になるのは、第1週の子ども時代が本当に必要だったかってこと。
ここまで第2週の月曜日で子ども時代を活かさぬ設定で話が進むなら、やはり、父の葬儀での常子の喪主の挨拶のシーンくらい強烈な描写を入れなかったのが悔やまれる…
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