首都圏ネットワークのリポート「花子とアンのモデルがラジオで伝えた思い」 (2014/8/19) 感想
花子とアンのモデルがラジオで伝えた思い…
今日夕方放送されたNHK『首都圏ネットワーク』(公式)のリポートコーナー『花子とアンのモデルがラジオで伝えた思い』を偶然観ました。内容は、下記の企画展の現場レポートでした。因みに私はまだ展示会には行っていません。
企画展『花子が残したラジオ番組」
開催日:2014年8月1日(金)~2014年9月28日(日)
場所:NHK放送博物館企画展示室B(公式サイト)
内容:
朝の連続テレビ小説『花子とアン』のモデルになった翻訳家・児童文学者の村岡花子は、昭和初期に、ここ愛宕山にあった東京放送局で、子どもニュース番組の読み手を務めていました。(中略)
今回の企画展では、『花子とアン』のモデルが実際に担当した『コドモの新聞』とともに、当時の資料から村岡が文章や放送を通して子どもたちに伝えた思いをたどります。当時の愛宕山の講演用のスタジオを再現してみました。あなたも『花子』の世界を体験してみてください。
---上記の展示内容は[公式サイトの該当ページ]より引用---
花子さんの声は滑舌が良くてやさしい語り口…
放送では、当時の実際の村岡花子さんがマイクに向かって話している映像が流れました。ドラマの影響もあるでしょうが、読み聞かせ的なホワーンとして印象とは全く違い、かなり滑舌が良い上にやさしい語り口で、聞き易くて耳馴染みの良いちょっと低目の硬い音で、強い説得力も感じました。
戦争の残酷さを子どもたちに伝えたくない…
花子さんは、子どもたちに夢や勇気を届けようと心掛けていたそうです。しかし、番組が始まる前年に起きた満州事変をきっかけに日本は戦争に向かい、番組でも次第に戦争の話題を取り上げることが多くなります。
「ラジオのおばさん」として全国の子どもたちから人気を博していた花子さんですが、「戦争の残酷さを子どもたちに伝えたくない」ことを理由に、太平洋戦争が始まる1941年(昭和16年)に、9年間務めた番組を自ら降板したそうです。
どこまでNHKは村岡花子さんを捻じ曲げるのか?
リポーターの森花子さんが「私も同じ花子として、彼女の伝えていこうと言う思いを引き継いでいけたらいいなと思っています」とトンチンカンなまとめをしていました。
森花子さんはNHKのアナウンサーだから「事実を正しく伝える」のが仕事であって、当時の村岡花子さんは同じニュースの読み手でも、「子どもたちに夢や勇気を届ける」のがやりたいことであり仕事だったのでは?でも、今日の第122回の放送では、「亡くなった歩がラジオが大好きだったから」が引き受けた理由として描かれてましたが…
こう言う妙な解釈違いでNHKのアナウンサーが“偶然の花子つながり”だけで軽率な放送を垂れ流すのは、朝ドラ『花子とアン』での実在した村岡花子さんと劇中の花子と妙な改変(改悪?)と同じなんだなあと思いました。NHK、ちゃんと仕事しろって感じです。
あとがき
偶然にチャンネルを合わせたのですが、村岡花子さんの本来の姿や生き様を観ることができて良かったです。そして、こうして実際の花子さんのことを知れば知るほど、朝ドラの残念さが際立ちますね。ホント、なぜ村岡花子さんをきちんと描かないのでしょうか…
【当blog内の関連記事(本家)】
花子とアン (第122回・8/19) 感想
拍手コメントへ返信 (2014/8/11の分) 第115回で梶原が花子に託した本『VOICES OF THE BIRDS』について ※修正あり
★ケータイの方は下記リンクからご購入できます。
連続テレビ小説 花子とアン オリジナル・サウンドトラック
白蓮れんれん (集英社文庫)
アンのゆりかご―村岡花子の生涯 (新潮文庫)
村岡花子童話集 たんぽぽの目
★本家の記事のURL → http://director.blog.shinobi.jp/Entry/5945/
★FC2ブログへトラックバックが送信できない方へ → コメント欄に、ブログ名、記事のタイトル、URLをご記入下れば、確認次第公開させて頂きます。お手数をお掛けします。
- 関連記事
-
- 「味いちもんめ」の今井雅之さん、死去 大腸がん、容体急変…54歳 (2015/05/28)
- 台風18号で疑問。歯を食いしばる現場リポ映像は必要か? (2014/10/06)
- 首都圏ネットワークのリポート「花子とアンのモデルがラジオで伝えた思い」 (2014/8/19) 感想 (2014/08/19)
- 小保方晴子氏の記者会見を観て思ったこと (2014/04/09)
- 談志が死んだ。 (2011/11/23)