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「花子とアン」を初回から第46回(5/22)まで観て思うこと

まえがき

今日、第46回(感想記事はこちら)の放送が終わりました。もうすぐ全体の約1/3である8週間目が終わろうとしています。『あまちゃん』に興奮し、『ごちそうさん』に呆れ、そして迎えた本作ですが、先が楽しみと言う程でもないし、かと言って呆れるほどくだらなくもない。この中途半端さは何なのか?私自身の備忘録として残しておこうと思います。
   注)かなりの長文になっております。ご容赦くださいませ。

粗探しするつもりはないのに、粗が見えてしまう…

私は、『赤毛のアン』にも、その名訳で有名な村岡花子氏に特別な思い入れがある訳では無い。また、この『花子とアン』についてもお目当ての俳優が出演している訳でもないから、単純に朝ドラを楽しみたいと思っているだけ。

ただ、カナダの作家L・M・モンゴメリが記した名作長編小説とそれを翻訳した実在した人物を扱うドラマとしての、脚本の構成や時代背景等の演出については興味関心がある。しかし、残念ながらその視点で本作を観ると、粗探しをしようとせずとも違和感を覚える表現が多過ぎる…

これまで最大の違和感は…

第45回(5/21放送)まで観ての最大の違和感は、これまで描かれてきたヒロイン“はな”の人生だ。地方の貧困家庭からおとうが東京のお嬢さま女学校へ入学させ、高等教育を受けさせたのに、なぜ実家の甲府へ帰って尋常小学校の代用教員をやっているのかと言うこと。学校で一番の英語力を持ち、出版社から就職して欲しいと言われたのに…

“かよ”が可愛そう過ぎる…

そして、妹の“かよ”は家の借金(これも“はな”のためにおとうやおかあが大地主・徳丸甚之介に借りたもの)のために製糸工場の女工として心身ボロボロになるまで働き、姉だけを頼りに東京に逃げてきた。なのに、“はな”は“かよ”を東京の洋品店の奉公に残して、自分だけ故郷に帰ってしまう…

“おかあ”は何を考えてるの?

そして“おかあ”こと母の“ふじ”の言動も良く解らない。我が娘が好きな勉強で学校や企業に認められつつある時に、「仕事もないし貧乏だけど母の私が寂しいから帰って来い」と考えるだろうか。旦那も行方不明、次女は東京で奉公働きしているのに心配もせず、他人の子どもにたくさん飯を食えと言うのも…

“はな”はいつまでお客さまなのか?

脚本家に百歩譲って、“はな”は“おかあ”の傍に居てあげたいと思ったから帰省したしよう。だが今のところは同居しているだけで、農作業、内職、家事を手伝ってるそぶりは無い。周りはみんな不自然なほどの“汚しメイク”で懸命に生きている風に描かれているのに、きれいな着物を羽織ってバッチリメイクでお客さま状態ってのも…

「教師編」になって矛盾も増え…

今週になってからのエピソードは更に矛盾ばかり。突然屋根に上ったり、教会に不法侵入したり。今日の話で言えば、先生のお宅で夕食をご馳走になっている最中にスクッと立ち上がり本を手にする“たえ”もどうかと思うが、そのまま“はな”が本をプレゼントしたらスッキリしたのに…

思い立ったが吉日と言わんばかりに教会へ。なぜ「また叱られるかもしれないけど、たえには経験させてあげたい」と言う気持ちの葛藤を描かないのかと…

私が考える3つの“違和感の源”とは?

結局これらの違和感の源は何かと考えると三つあると思う。一つは、今の“はな”が幼少期と全く違うこと。表面的な行動は同じでも、“子ども時代のはな”と行動に至るまでの原点と経緯が違い過ぎる。だから「一代記」としての連続性を感じにくい。

もう一つは、ヒロインに近い周辺の登場人物像がハッキリしないこと。父、母、妹、ご近所などの肩書き的な設定だけで、各人物の背景が描かれていないから、どうしても物語に入り込み難い。まるで電車内で偶然隣に座った人に身内の苦労話を聞かされているような妙な感じとでも言おうか。

三つ目は、特に教師編になってから顕著になったヒロイン“はな”の脚本と演出の心理描写が粗いってこと。“はな”を中心にした出来事を箇条書きのように並べているだけに見えてしまう。時間経過も描写不足も美輪さんの語り頼みになっているのも気になる。あの蓮子登場から再婚まで魅せたあの情熱は、ヒロインに注ぎ込むことは無いのか?

自ら「安東花子」と書いたことの意味って何なの?

そして今日の第46回。切手が買えないから人伝に届いたたえからの手紙は、大人のファンタジーとして許しても、雑誌に掲載されればたえが読んでくれるはずと言うのは、子供レベルのファンタジー。貧しいかよがどうやって雑誌を読むと言うのか。

史実云々は抜きにして創作ドラマとして、あの投稿がはなの将来を左右するかもしれないし、はなの夢に繋がる可能性は十分にあると思うのが普通。だって、「花子と呼んでくりょう」を自分自身で叶えた重要なエピソードでもあるのだから。それを蓮子の衝撃波のあとに持ってくる演出(編集)も脚本もよくわからない。

あとがき

「文句ばかりで嫌なら観るな」との声が聞こえてきそうですが、嫌ではないですし、前作に比べればイラッともしません。だから“まだ”毎日観ていられるのです。でも、観れば観るほどに違和感と矛盾が増えていくのです。それこそが本作の本当の隠された魅力(隠れてませんが)だとしたら、上手くつくったものです。

最後に、乱筆乱文の長文を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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