花子とアン (第36回・5/10) 感想
NHK総合・連続テレビ小説『花子とアン』(公式)
第6週『腹心の友』【第36回】の感想。
ふじ(室井滋)の温かい言葉に蓮子(仲間由紀恵)がひそかな決意をした翌朝、はな(吉高由里子)と蓮子は近くの池へ魚釣りに出かける。楽しそうだが「今日を決して忘れない」などと言う蓮子に、はなはどうしたのかと問うもののはぐらかされる。そこへ朝市(窪田正孝)と吉太郎(賀来賢人)もやってきて、4人は大きな魚を釣り上げる。朝市や蓮子の言葉に背中を押され、帰京したはなは高等科への進学を決意する。しかし、蓮子は…
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
だ、か、ら、誰の思い出を描こうとしてるの?
冒頭。例の老けメイクのはなのシーン(昭和20年設定だから52歳前後と言うことになる)での語りを聞き、改めて今作の主人公は誰なのか解らなくなってしまった。
Na「はなにとって腹心の友蓮子さんとの思い出は「一代記」と言っても、本作の原作は村岡花子さんの孫娘・村岡恵理さんの手による「一代記」であり、ある意味で誰かの「思い出話」であるから、主人公はな(吉高由里子)の思い出の中で、今週の出来事がどれほど印象的だったかと解釈するとしよう。だから、自分(はな)のことよりも蓮子(仲間由紀恵)のことが多く描かれたと…。本当にそれで正しいのか?
楽しいものだけでなく辛いものもあったのでございいます」
なぜ、主人公の描写が時間経過と語りであやふやなのか?
確かに、はなと蓮子は腹心の友であり、生涯に亘って互いに影響し合い成長していくのだろうから、第1話からを「第1章」として悪かったとは思わない。でも、やはり気になるのは、主人公は誰なのかと言うことだ。本作が「村岡花子一代記」なら、花子の視点での蓮子を描いて貰わないと面白味が半減してしまわないだろうか。
だって、いくら主人公にとって大切な「思い出」だろうと、主人公以外の登場人物たちの描写はしっかりと丁寧にやっているのに、肝心の主人公については、時間経過と語りで、さも成長し話が進んでいるかのようにあやふやにされては、いつまでも「花子一代記」に興味を持てない。
もう今月中には全体の4分の1が終わってしまう。それまでに「はながこの先どうなるのか?」に興味関心を持てるようなドラマにして頂きたい。
あとがき
結局はなぜ蓮子が突然に甲府へ行きたいと言い出したのかは、解らず仕舞いで今週は終わりました。「腹心の友」と台詞で言い合うだけの1週間だったような。さて、来週こそはな中心になるのか。とにかく私の視聴ポイントは先を観たくなるかどうかですね。
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