小保方晴子氏の記者会見を観て思ったこと
論文の仕上がりより研究の成果を評価すべきなのか!?
先日、ある知人と今騒動になっている小保方晴子氏について話した。彼女はこう言った。「論文の仕上がりの良し悪しや多少の表記の間違いと、研究の本質的な部分は違うのではないか。木を見て森を見ず的な、重箱の隅を突くようなことをしてたら科学は正しく発展しないのでは?」と。
研究者は学術論文を書いてなんぼのもの!
私は科学者でも研究者でもないが、知り合いに50年間以上科学者として研究者生活していた人がいる。以前、彼に「研究者とは何か?」と聞いたことがある。
すると彼は、「研究者は学術論文を書いてなんぼのもので、その論文が引用されてなんぼのものだ。そして(共著でなく)単名でも学術論文を書けなければならない。それに学会で学術発表だけして論文を書かないのも真の研究者ではない」とあっさり答えてくれた。
研究論文は可能な限り完璧で正確でなければならない!
研究者にとって研究論文は研究業績の証拠であり、即ち研究の全てだと思う。だから可能な限り完璧で正確でなければならないはず。なぜならその研究結果を他の研究者が実証してこそ、その研究に意義があり研究者の存在に価値があると思うし、その成果が社会に還元されてこその研究であり、研究者の目的だと思うから。
何のための記者会見だったのか?
今日の記者会見で小保方氏が、「私の論文の書き方が不勉強で稚拙だったのは認めますが、結論は間違っていません」と言うような内容を話したが、もはや意味が無かったと思う。
だって、可能な限り完璧で正確でなければならない論文を書くべき時に、未熟で適当な論文書いた時点で研究者としてアウトなんだから。「STAP細胞は存在します。実験は200回成功しました」と幾ら訴えても、証拠が無ければ釈明自体も意味が無いし…
あとがき
完全な想像の域ですが、小保方さんは理化学研究所の売名や利権構造と言う大きな渦の中に、運悪く巻き込まれてしまったのではないでしょうか。割烹着姿やピンク色の研究室だって、小保方さん本人発信でなく理研がマスコミに流した情報だと思います。
今回のSTAP細胞発見の件にしてもそれが事実かどうかは別にして、最先端科学の1つの論文で発表された発見は、大きな自然現象の中の小さな一側面であり一部分でしかないと思います。それが妥当であるかどうかは、何年何十年もかけて実証・検証されていくのではないでしょうか。
そう言う長期的な側面がある科学のニュースを、いつもの“ノリ(持ち上げて落とす)”手法で扱ってしまったマスコミの功罪は大きいと思います。これで若い科学者が「次は私がやり玉になるかも?」と恐れず研究に励んで欲しいと願うばかりです。
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