花子とアン (第9回・4/9) 感想
NHK総合・連続テレビ小説『花子とアン』(公式)
第2週『エーゴってなんずら?』【第9回】の感想。
規律の厳しい寄宿舎生活になじめず、ホームシックにかかってしまったはな(山田望叶)と醍醐(茂内麻結)は、ブラックバーン校長(トーディ・クラーク)の悪口を言った罰として、外国人教師の部屋を掃除することになる。一生懸命に掃除し、部屋の主・スコット先生(ハンナ・グレース)に感謝されるものの、はなの心は晴れない。その後も英語の授業について行けないはなは、ある夜、寝室からこっそり抜け出して庭へ出る…
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
フィクション部分をもう少し丁寧に描いて欲しい!
はな「もし、本当に、神様がいらっしゃるなら、この台詞、冒頭でホームシックになったはな(山田望叶)が礼拝堂で神様にお願いするシーンでの台詞。はなって洗礼を受けていないのか。それとも信仰心が無いのかよくわからない。
おらの願いを聞いてくれちゃ。早く家に帰してくれよ」
私の記憶では実話では入学の数年程前に洗礼を受け、英語を勉強した上で入学した点を、ただ本が好きなはなを十分に英語の勉強もさせず、泥縄的に洗礼を受け父親が入学させると言うフィクションに置き換えた際の矛盾がそのまま出てしまっている。
もちろん全て史実に充実にしろなんて思わない。楽しくて面白い創作なら大いに歓迎だ。しかし、いくらフィクションとは言え、その中では矛盾や違和感が無いのが良いに決まってる。そこの粗さが目立つのが残念。それは次の部分でも当てはまってしまう。
話を進めたいのは解るのだが…
富山「あの子はここに馴染もうともしないし、と教師の富山(ともさかりえ)が言うが、この数日間で英語の授業やはなへの補習も描かれてはいないし、はなが自ら学校に馴染もうとしないなって描写も無かったような。ただ、強引に物語上で異分子を排除しようと言うくだりを作りたいだけにしか見えないのだが…
英語の授業も全くついてこられません。
このままではこれまでの給費生と同じように、
学校を去ることになると思います」
お伽話のようなのも悪くないが…
終盤、夜に逃げ出そうとするはなの前に偶然なのか、娘が心配でいつもいたのか知らないが父・吉平(伊原剛志)が登場するのも、どうも父の教育方針の描き方として違和感がある。歌で英語に目覚めるのは良いとして、夜に外に聞こえるような大声で歌わずに、教室できちんと歌って教えるのではダメだったのだろうか?
あとがき
つくり手が上手い所を渡ってるなと思います。今回の父親の偶然の登場や夜の大声での歌など、本作にどっぷり浸かってる視聴者なら気にすらならないでしょうし、むしろお伽話のように感動的に見えるでしょう。逆にどこか醒めて観ている視聴者には、都合良過ぎだし雑に見えてしまいます。前作同様に、話題性を重視するなら、この両極端な視聴者確保がベストですから。
私は、もっと“本作らしさ”が欲しいんです。例えば、掃除。亜矢子(茂内麻結)は出来なくても、はなは大得意なはず。英語はダメだけど掃除でみんなを驚かすみたいなはなの個性を活かした描写の積み重ねこそが、“本作らしさ”や登場人物としてのはなの人格を作り上げていくことだと思うんですが。なんか段々雑になっているような…
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