映画「悪人」DVD鑑賞 感想と採点 ※ネタバレあります
昨年公開され2011日本アカデミー賞5部門受賞した映画『悪人』(公式)を、DVD鑑賞。なお、吉田修一氏原作の原作小説『悪人』は未読。
採点は、★★★☆☆(5点満点で3点)。100点満点なら50点。誤解しないで頂きたいのは、共感もしなければ、異論を唱える気にもならないと言う本作への否定的な意味での50点だ。
ざっくりストーリー
数日前、三瀬峠(福岡と佐賀の県境)で福岡の若い女性保険外交員・石橋佳乃(満島ひかり)が殺された。当初は一人の地元の金持ちの大学生・増尾圭吾(岡田将生)に容疑が向けられるが、捜査が進む内に長崎の土木作業員・清水祐一(妻夫木聡)が真犯人として捜査線上に浮かんでくる。
その裕一は出会い系サイトで知り合った紳士服量販店店員・馬込光代(深津絵里)と車で田舎町を転々と逃走する。その間にずっと孤独だった二人は互いに惹かれあい、家族を巻き込み逃避行を続ける…。
どこが「人間の善悪をリアルに描いた究極のヒューマンドラマ」なの?
Yahoo!映画の『映画『悪人』妻夫木聡、深津絵里 単独インタビュー』に“人間の善悪をリアルに描いた究極のヒューマンドラマ”と書いてあった。となれば、この手の作品は「感動した」「名作」と書かなければ責められるのが必至だが敢えて言おうと思う。映画そのものよりも、そう言う感想を持つ観客が多いことが驚きだ。
今回も相当辛口の感想なので、原作小説、出演者や監督はじめスタッフのファンの方や、最初から3点の採点に異論のある方は、読まないで下さい。また、誹謗中傷の類のコメントは掲載及び返事を控えさせて頂く場合があります。
それでも、「意見には個人差があるから」と寛大なお心の方のみ、採点理由も含めて、詳細はネタバレが含まれますので、ご理解の上、“続きを読む”よりお進み下さいませ。
観客を悪意と向き合わせたいなら…
もし本作のテーマが(最大限に好意的に解釈して)「あなたに大切な人はいますか?」「本当の悪人は他にいる!」と言うもので、“観客を悪意と向き合わせたい”のと、“地方の閉塞感や人間関係が希薄になった現代社会をベースに描きたい”と言う企画意図であったとしよう。
ならば、なぜ「悪人とは何なのか?」「そもそも悪とは何なのか?」などと余計なことを観客に考えさせようなどと思ったのか。更に、こう言う主人公たちでエンターテインメント性を取り除いた社会派を気取った映画と言う点が、「またこの類の邦画が来たか」って感じで、益々日本映画の将来が暗くなる…
至極当然なことを観客に考えさせてどうする?
「人間にはいろんな側面がある」
「殺人犯だからと言って全員が悪人とは限らない」
「誰でも些細な事で加害者にも被害者にもなる」
「殺人犯にも家族がいるし、愛する人がいる」
「殺人犯を大切に思う人もいる」
こんな至極当然なことを観客に考えさせようとする本作の企画自体に違和感を覚える。少なくとも私は、一度も脳裏を横切らなかった。一体、こう思った人たちは普段の生活の中で、犯罪者をどう捉えているのか?
犯罪者には何らかの不遇な背景がある。その上で法がある…
本作を観て、いろいろ考えさせられた人たちは、
「犯罪者なんて皆同じ」
「犯罪者は全員極悪非道で許す価値無し」
「犯罪者の犯行に至るまでの過程や背景はどうでもいい」
「犯罪者を大切に思う人なんていない」
と普段から思っているのだろうか。そもそもマフィアや殺し屋は別として、日常的に起こる窃盗や強盗や傷害や殺人事件は、経済的に貧しかったり、生まれや育ちが不幸な境遇の人たちが起こしているのでは無いだろうか?
裕福な人間は強盗はしないだろうし、自分なりの幸せな生活を送っていれば犯罪を犯す必要も無い。やはり、犯罪者には何らかの不遇な背景があるわけで、それをも含んだ前提で「それでも盗んではダメ」「殺してはいけない」と法律で定めている訳だから…
単純に哲学的に語ってみても、世の中は変わらない…
もし「犯罪者の背景にも一定の同情をすべき」と言うなら、今の格差社会や社会的弱者救済システムみたいな部分の強化と、現代社会そのものに反旗を翻すような視点で描かないとあまり意味が無いと思う。
「悪にもいろいろある」とか「一概にすべての悪を悪と決め付けられない」と単純に哲学的に語っても、そこから何か生まれるだろうか?「殺人を容認しているわけではない」と言いつつ主人公に自分を投影して、地方の閉塞感や人間関係が希薄になった現代社会に嘆いても、それこそ社会は変わらない…
悠長なメッセージは要らない!
殺人シーンや殺人犯が登場する映画を否定するつもりは無い。むしろ殺人が無ければ成立しないホラー映画やサスペンス映画が私は大好きだ。しかし、それはエンターテインメントとして成立しているからだ。
本作のように社会派気取りのテイストで「犯罪者にも逃亡補助者にも事情がある」なんて切り口で殺人を扱って欲しくない。もちろん「それでも殺人は犯罪です」なんて悠長なメッセージを観客に共有させないで欲しい。
それ以前に、映画はもっとエンターテインメントであって欲しい。日頃の疲れを癒してくれたり、明るい未来の夢を見せてくれたり。映画会社に道徳の教科書を作って欲しいなんて思わない…
映像作品としては…
冒頭からメインタイトルまでの、暗闇で獲物を探す狩人のような裕一目線の車載キャメラの滑り出しは良い。殺人事件が起こり二人が出会う前半はそれなりに重厚で計算して作り込まれた印象で悪くなかった。
しかし、裕一が殺人を告白した辺りから急にトーンダウン。映像そのものが説教臭くて説明口調な上に、観客に考えさせるべき部分も、なぜかバスとタクシーの運転手の台詞で補強されちゃうと、こちらは思考停止にならざるを得ない。
中盤以降は、
裕福と言うだけで大学生が悪者扱いになってきたのでは?
詐欺事件は樹木希林さんのためにだけに必要だったのでは?
とか…
特に回想シーンに悪意が…
逃亡劇の割りに緊迫感は乏しいし、ベッドシーンもおなざりに見えたし、音楽もピンと来なかったし。また、何より回想シーンに使い方(編集)に悪意(誰が悪人かを観客を誘導するような)を感じた。
美術は、光代みたいな女性が髪を上げて額を見せるかなとか、いくら何でも光代が出会って寝て直ちに一緒に逃亡したような雰囲気なのに真実の愛を知ったとか、裕一が金髪なのは如何にもビジュアルでPRしたかったのなかとか、最後の夕日のカットでこれまた雰囲気モノですべて良しって感じとか。
俳優さんは押並べて皆さん好演だったと思うが…
観ても決して良い思いはしないと思ってましたし、感想を書けばこうなるのは観る前から予想はできましたし、なのに何時間もかけて記事を推敲して。でも、何よりこんな記事をここまで読んで下さった読者さまに感謝します。
今の私たちがやるべきことは殺人を減らすことだと思います。特にムカついたから、目立ちたかったとか言って凶行される通り魔殺人や無差別殺人、子供が言うことを聞かないからとか、自分の子じゃないからと虐待死、いじめられたから、生活が苦しいからと言う理由での自殺(“他殺”と“自殺”を“殺人”が包括していると言う立場で)を、一つでも減らす努力をすべきだと思います。
映画の感想とは無関係ですが…
少年にわが子を殺された親たち [単行本] 黒沼 克史 (著)
家のない少年たち 親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル [単行本] 鈴木大介 (著)
加害者家族 (幻冬舎新書) [新書] 鈴木 伸元 (著)
実録 犯罪者ビフォーアフター [単行本] 斎藤充功 (著)
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