連続テレビ小説「らんまん」 (第50回・2023/6/9) 感想

第41回/第9週『ヒルムシロ』の感想。
公式リンク:Website、NHK高知局応援ページ、東京もご当地!首都圏の「らんまん」情報、Twitter、Instagram
第50回/第10週『ノアザミ』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
万太郎(神木隆之介)は、画工の岩下(河井克夫)から石版に絵を描くことを許され、ヒルムシロを描く。出来は今一つだったが、“本物を伝えるために描きたい”という万太郎の想いを理解した大畑(奥田瑛二)はその情熱に感心する。ある日、寿恵子(浜辺美波)はダンスの練習の帰り道に、ノアザミに話しかける万太郎を見かけるが、思わず身を隠してしまう。そのまま二人はすれ違い…。二人の恋、次週大きく動き出す!
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
作品の 粗探しや重箱の隅を楊枝でほじくる こと、スタッフの人格否定や俳優の個人攻撃 が 目的ではない ことをご理解ください。
原作:なし
脚本:長田育恵(過去作/マンゴーの樹の下で、群青領域、旅屋おかえり)
演出:渡邊良雄(過去作/ゲゲゲの女房、花燃ゆ、まんぷく) 第1~3,6,7週
津田温子(過去作/龍馬伝、西郷どん、いだてん) 第4,5,8週
深川貴志(過去作/とと姉ちゃん、半分、青い。、カムカムエブリバディ) 第9,10週
音楽:阿部海太郎(過去作/恋せぬふたり)
撮影:西鍵真治(過去作/カーネーション、マッサン、べっぴんさん、まんぷく)
照明:前田藍里(過去作/大阪発地域ドラマ「アオゾラカット」)
主題歌:あいみょん「愛の花」
語り:宮崎あおい
植物監修:田中伸幸(現・国立科学博物館、高知県立牧野植物園[2000-2015])
制作統括:松川博敬(過去作/篤姫、てっぱん、カーネーション等の演出担当、エンディングカット)
※敬称略
今作が拘る"補完し合う人間関係"と"弾き合う人間関係"描写
あしのブログに、ようきんしゃったなぁ。
(私のブログに、よくぞいらっしゃいました。)
あしが管理人の “みっきー” やか!
(私が管理人の “みっきー” です!)
さて、今回もどこから書いて良いのやら、嬉しいくらいに悩ましい… ってことで、いつもどおりに放送順に書いてみる(笑)
まず驚いたのが、アバンタイトルで「石版印刷の解説」を入れてきたことだ。
先日、第46回(6/5放送)の感想で、私が中学生時代に鉄筆とヤスリの板で書くガリ版をやる「孔版印刷部」にいたと、伏線を張っておいたのだが。
意外と「石版印刷=石板を彫ってインクで刷る」と思っていたのでは?
要するに、メッチャ大雑把に言うと、凸凹という “補完し合う性質” を利用するのではなく、水と油という “弾き合う(反発し合う)性質” を利用するのが石版印刷なのだ。
ここまで書けば、気づかれる読者様もいると思う。
今作は、これまでず~っと、 “補完し合う人間関係” と “弾き合う(反発し合う)人間関係” にこだわって描いてきたのでは? ってこと。
細かい事例は挙げないが、時に “見方関係” だったり、時に “敵対関係” であるような人間関係が、主人公の言動でオセロの駒がパタパタと変わっていくように変化してきたと思う。
もちろん、直近では植物学教室の面々、大畑印刷所の人たちも、オセロの駒のように立場を変えていく。
この辺の、人間関係の変化が今作の大きな見どころになっていると思う。
"地域差"を盛り込むのは、時代表現として真っ当なこと
そしてアバンで、もう一つ驚いたのは、「ヒルムシロ」まで展開したことだ。
勝手に、ヒルムシロのネタは先週で終わったと思っていたから、こういうのは嬉しいサプライズであり、“連ドラ” だからこその醍醐味だ。
また、以前にも書いたが、劇中の時代の「東京」は、全国各地から人が集まってきたわけだから、むしろ “地域差” を盛り込むのは、時代表現として真っ当なこと。
最近は、違いや差を描くと、何かと “○○差別” とされる風潮があるが、こういう描写はむしろ特性を認める描写だから、必要であるなら今回のようにしっかりと盛り込むべきだと思う。
そして何より、“地域差” を盛り込むことで、万太郎が高知出身で、上京した “設定” の意味が出てくると思う。
万太郎と寿恵子のギャップ、ズレ、距離感の見(魅)せ方
今回で、最も評価したいのは、万太郎と寿恵子(浜辺美波)のギャップ、ズレ、距離感の見(魅)せ方だ。
ふたりを別々のシチュエーションに置いて、それぞれのやるべきこと、果たすべきことを描きながら、終盤になって相手への思いをさらりと盛り込んだ。
「万太郎の物語」と「寿恵子の物語」をしっかりと描いた後で、「ふたりの “すれ違い” の物語」… という展開は、最近のドラマでも、朝ドラでも見ないような。
昨今は、すぐに騒動を作って、ふたりがバチバチやり合って… みたいな展開で、だんだん距離が縮まっていくのが多いが、これくらい焦らして焦らして描く方が面白いに見応えがある。
例えば、馬車の中で、高藤の秘書・鹿島(金剛地武志)と寿恵子のやり取りなんか興味深かった…
鹿島「いくら 鹿鳴館が出来ても
ああいう みすぼらしい連中が目に付けば この国の恥ですよ」
寿恵子「あの方は みすぼらしくはありません」
ここ、ほんのちょっとだけ、映画『ルパン三世 カリオストロの城』の名ゼリフの直前のやり取りを思い出してしまった…
銭形「くそーっ、一足遅かったか!ルパンめ、まんまと盗みおって」
クラリス「いいえ。あの方は何も盗らなかったわ。私のために闘ってくださったんです」
似ているわけではないが、クラリスと寿恵子も、どちらも外見にそぐわない “芯の強さ” が共通点のように見えた… そんな感じだ。
やはり、ここまで “永遠の自然児” の相方になるわけだから、これくらい “簡単に怯まないキャラ” であることを強調するのは悪くない。
馬車の車輪が踏み壊す「やじろべえ」を深読みしてみる
「なるほど」と思ったのが、終盤で馬車の車輪が踏み壊す… 子供のオモチャ「やじろべえ」だ。
もちろん、この「やじろべえ」は揺れ動く時代を象徴するアイテムであること間違いないが。
自身の足場の状況次第で簡単に傾いてしまう「やじろべえ」は、その正しさは絶対的なものではなく、曖昧で且つ もろく優柔不断的な正しさ、その場その場の正しさを表す時にも使われるアイテムだ。
それこそ、司法や裁判の公正さのシンボルである「剣と天秤を持つ正義の女神」とは違う位置づけだ。
要するに、「やじろべえ」が、万太郎と寿恵子の距離感がなかなか縮まらない場面で踏み壊されるということは、ふたりには “曖昧で且つ もろく優柔不断的な正しさ” は無関係である… と、言いたいとも受け取れる。
この辺の、人それぞれが解釈できるように作ってある懐の広さも今作が「安易に映像で見せて終わり」でないことの表れであると思う。
あとがき
大畑印刷所の絵師・岩下(河井克夫)の…
岩下「本物を伝えるための手だてとしての絵だ」
… も、良かったです。
今週も、テンコ盛りで描いてきましたが、やはりメインは、万太郎が学会誌を出版しようとする熱意を描くことなので、そこを万太郎の植物画の才能で描いたのは秀逸だったと思います。
みっきーの植物図鑑(今回は長編です!)
今回ご紹介するのは、第41回(5/29放送)で扱った千葉県印西市にある「泉福寺薬師堂」(国指定重要文化財・建造物)の園庭に咲いていた花です。

名前は、紫色の蘭と書いて「シラン(紫蘭)」。
「知らん!」と言っても「シラン」です(笑)
シランは地生蘭の仲間で、日本中の路地などで育つので、栽培するのも比較的簡単な蘭としても好まれるそう。
花言葉は、「あなたを忘れない」「変わらぬ愛」「美しい姿」。
でも、ネガティブな「不吉な予感」という花言葉もありまして、区切りの金曜日なのでちょっぴり語りますね。
シランは、海外では「ヒヤシンス・オーキッド(Hyacinth orchid)」と呼ばれています。
ヒヤシンスの名前の由来は、ギリシャ神話に登場する “スポーツ万能の美少年” である‘ヒアキントス’。
美少年ヒアキントスは、太陽神アポロンと西風神ゼブロスに愛されましたが、3人とも男性で同性愛の三角関係でした。
因みに、古代ギリシャでは同性愛は普通のことで、けがれがなく美しいとされていました。
ある日、ヒアキントスとアポロンが楽しそうに円盤投げをしている姿に嫉妬したゼブロスが強い風を吹きつけると、その風でアポロンが投げた円盤がヒアキントスの額を直撃し、死んでしまいます。
ヒアキントスの死後、彼がケガをして流した血に染まった場所から、美しい紫色の花が咲きました。
太陽神アポロンは、「ヒアキントスはヒヤシンスになった…」と言って、花言葉を「不吉な予感」として強い愛を寄せたのでした…
たまには、こんな「みっきーの植物図鑑」もアリですよね?
よかったら、ご意見お待ちしております!

結びに
ほなな~!また来とうせ。
それでは、また来てね。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/17972/