すきすきワンワン! (第10話/最終回・2023/3/27) 感想 ※「コタくんへ」全文掲載!

日本テレビ系・シンドラ『すきすきワンワン!』
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第10話/最終回『犬、去ぬ』、EPG欄『犬と人 終わらぬ愛の 物語』の感想。
日に日に薄れていくてん(浮所飛貴)の記憶。このままてんの記憶がなくなったら……それならいっそ、残りの日々はたくさん笑って楽しく過ごしたい、と「やりたいことリスト」を作って昔を懐かしみながら今までのように過ごす。ついに「その日」はやってきた……。しかしてんは思いがけないプレゼントを炬太郎(岸優太)に残していったのだった。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:水橋文美江(過去作/朝ドラ「スカーレット」、死にたい夜にかぎって、古見さんは、コミュ症です。)
工藤鈴子(過去作/詳細不明) 第7話
演出:中島悟(過去作/デカワンコ、世界一難しい恋、俺の話は長い、新・信長公記) 第1,2,5,6,9,最終話
丸谷俊平(過去作/もみ消して冬、俺の話は長い、#リモラブ、ハコヅメ) 第3,4,7,8話
音楽:青木沙也果(過去作/この初恋はフィクションです、ユニコーンに乗って)
主題歌:King & Prince「We are young」
制作協力:オフィスクレッシェンド(過去作/世界一難しい恋、もみ消して冬、俺の話は長い、ジャパニーズスタイル)
※敬称略
まえがき
私、睡眠障害で2年ほど前に心療内科に通院して1年間の禁酒もやって克服したのですが、担当医から「治ってもできるだけ夜10時は寝ること」と指導されているので、ずっと守ってきました。
でも昨夜は、テレ朝『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』で‘てん’の次の人生を見て(笑)寝ようとしたのですが、『罠の戦争』はスルーできても、 King & Prince「We are young」が脳内でヘビロテしちゃっうので、夜中に起きて見ちゃいましたろ。
おかげで「こりゃあ、感想書くのに時間がかかるぞ」ってわけで、午後に回しました。
では、最終回も愛を込めて書きますよ。
炬太郎と‘てん’の照明の違いについて
まず、最終回を演出と脚本重視で掘り下げてみる。
まず、前回の振り返りが終わって、例の “アヒルの記憶” が言及されるシーンでの照明(ライティング)に注目だ。
今回、この後にメインタイトルがあって、その後から違うので “差” は分かりやすいと思う。
下記のシーンの照明に注目してほしい。

©日本テレビ
後ろの炬太郎(岸優太)の顔は比較的全体にベタっとした感じの明るい照明が当たっているが、手前の‘てん’(浮所飛貴)はやや暗い中に、ハイライト(最も明るい部分)と暗い部分の対比があるのが分かると思う。
これは、難しい説明は省くが、キャラクターの心情を証明で表現する時に、均一に光が当たっている人よりも、光の強弱がある人のほうが “困惑” や “不安” を感じているように見えるという習性を利用している。
このシーンでは、アヒルの記憶が無くなりつつある‘てん’のほうが、そんな‘てん’を見ている炬太郎よりも困惑や不安が大きいと示しているわけ。
誤解してほしくないのは、これが「主人公の入れ替え」的な意味ではなく、のちに詳しく解説するが、‘てん’の存在が主人公を動かく重要な要素だから、30分の序盤で “脇役の重要性” を印象付ける演出なのだ。
だから、その後はこの「明暗の対比が強い照明」はあまり使われない。
※‘てん’が部屋で一人でいる場面は、逆にほぼ全部が「明暗の対比が強い照明」になっている。

©日本テレビ
坂道を登ってくる二人のカメラワークにも注目
今回の物語の「起承転結」の「転(‘てん’じゃない!)」が、次のシーンだったと思う。
二人がやりたいことを遂げて一夜が明けて、過去を振り返る場面だ。

©日本テレビ
大胆にカット頭(カットの最初の部分)を大胆に上手(画面右)半分を壁で隠して二人が坂道から登場する。
上手(‘かみて’と読む)は以前に説明したように被写体の未来や希望を表す空間だから、そこが埋まっているってことは、二人のこの先に暗雲が立ち込めているってことだ。
そして、カメラは少しずつ下手(画面左)に向いて、暗雲が薄まっていくイメージなのだ。
そしてもう一つの注目は、恐らく今作では1、2を争うくらいにカメラポジションが “低い” ってこと。
だって、排水管と同じくらい、そうほぼ地面すれすれにカメラが置かれている。
このことから分かるのは、カメラがほぼ “散歩中の犬目線” で壁の向こうをのぞき込んでいる感じになっていることだ。
このことで、次の炬太郎とカメラがシンクロしているのだ。
炬太郎「今 思うと てんは 俺の歩調に合わせてくれたんだよな」
視聴者が “犬” になった気分で二人のやり取りを見ることで、‘てん’に感情移入すると同時に、炬太郎への感謝すら感じるような雰囲気だ。
だから、二人が坂を上がってくる速度と、カメラがゆっくりと動く速度がぴったり合っている。
そして、二人の全身を見せ身長差をあえて強調することで、犬の‘てん’の視点と、青年・天の視点の高さの違いも描いて。
更に、炬太郎がやや上目線で‘てん’に話しかける姿を描くことで、今後の展開のフラグを立てているのだ。
炬太郎が‘てん’を探す時の目線が意味するものとは?
そのフラグを受けるカットがこれだ。
‘てん’の反応が亡くった異変に気付いた炬太郎が振り返るカットだ。

©日本テレビ
ここで注目すべきは、炬太郎の目線がやや下を見ていること。
この場所は既に坂道でないから、本来は下を見る必要はない。
しかし、炬太郎の目線は明らかに “犬のてん” を探しているように見える。
そのあとのカットでは、正面を探すカットがあるが。
このことから想像できるのは、炬太郎は青年・天と話している時に、実は常に‘犬のてん’と話しているような気分でいた… ということではないかと思うのだ。
坂道を登ってくるときは青年の目を見て話しているけど、青年が見えない時は‘犬のてん’と話しているような気分だってこと。
だから、前段の「犬アングル」がフラグになっているって推測だ。
これに気づくと、今回の炬太郎が‘てん’のどこを見て話しているのか、意外に気になってくるのだ。
ついに、「コタくんへ」全文掲載!
さて。
本来は、著作権上もあまりやりたくないのだが、最終回、いや今作を語る上で‘てん’が書き残した「コタくんへ」の文章を掲載するわけにはいかないと思う。
それも、部分的では “ドラマ” の本質を伝えられないから、敢えて全文(字幕ママ)に掲載してみる。
コタくんへ
もしかすると ある日 いきなり前世の記憶を
ぜんぶ失うことだって あるかもしれない。
そんな日が どうか来ませんようにと願いながら
それでも いつか そんな日が来た時のために
こうして 書きとめておくことにしました。
これは 犬としての僕の気持ちです。

©日本テレビ
1月16日。
何年かぶりにコタくんと再会した。
コタくんの姿を見つけたとき嬉しくて嬉しくて。
駆けだして抱きついて 顔中 なめまわしたくて。
心のシッポが千切れんばかりだった。
コタくん 逢いたかった!
僕の話を信じてくれて ありがとう。
一緒に暮らそうって いってくれて ありがとう。
お寿司とケーキ 一緒に食べてくれてありがとう。
モフモフしてくれて ありがとう。
体操 一緒にしてくれて ありがとう。
ドライヤーで乾かしてくれて ありがとう。

©日本テレビ
手をつないでくれて ありがとう。
笑ってくれて ありがとう。
看病してくれて ありがとう。
嫉妬した僕を許して受け止めてくれて ありがとう。
ありがとう ありがとう コタくん ありがとう

©日本テレビ
コタくんは100億円 動かすことより
100円のコロッケが120円になることの方が
気になるって言ったよね。
お金だけじゃ ない 例えば
SNSで 100万人に「いいね」を押されるより
たった1人に 「いいね」を押される方が嬉しかったりするって。

©日本テレビ
フツーの小さな幸せでいいんだって。
たった1人 俺のことを分かってくれる人がいれば。
そう言って 僕を見たよね。
ありがとう。ありがとう コタくん。
あの時 心のシッポが また 千切れんばかりに
すごくすごく 嬉しかった。
でもね 僕がいなくなったら どうする?
コタくんの人生は まだまだ続くんだよ?
今は コロッケが良くても
タワマンの最上階に住みたい人になるかもしれない。
100万人の人に
「いいね」って言われたくなる日が来るかもしれない。
それでもいいと思う。
自分の言ったことに縛られないで
気持ちは いつだって自由でいて欲しい。
だって コタくんの人生は
これからもまだまだ ずっと続くんだから。

©日本テレビ
でも 忘れないで。
一緒に笑ったこと。
一緒に暮らしたこと。
なんでもない日々。
他愛ない お喋り。
それは 誰かと一緒に生きたってことで
それは 力になるから。
なんでもない小さな幸せを知っている人は きっと大丈夫。
どんな人生になろうと ぜったい大丈夫。
それを僕の分も覚えいてください。ありがとう。
ありがとう コタくん。
コタくんの驚いた顔 笑った顔 困った顔 すねた顔。
コタくんのすべてが 好き。大好きでした。
約5分間の “浮所さんの語り” と回想シーン、そして “岸さんの一人芝居” で構成された今作最大の見せ場だ。
<最終回でこれまでの回想シーンを使って振り返るケースは度々見かけるが、ここまで丁寧に作り込んだのは、あまり見たことがない。
過去のシーンのダイジェスト版として見事に編集した上に…
愛と未来を感じさせるモノローグを追記して…
更に新規撮影の “読みながら変化する炬太郎” を組み合わせ…
《過去があるから今があって未来もある… 成長物語》を創出したのは完ぺきといっていいと思う。
「効果音の演出」にも傾聴してほしい!
「コタくんへ」が終わった《また‘てん’がいなくなった世界の炬太郎》も素敵だし、感動的だった。
その中でも、私が注目(傾聴)した「効果音の演出」が、次のカットの効果音だ。

©日本テレビ
亡くなる前の‘てん’と炬太郎がじゃれ合うシーンに「キ~ン」といった効果音がついていた。
前後が無音だから特に目立った効果音だが、これによって炬太郎の思いが天国の‘てん’に届いたような感じがした。
いや、恐らく炬太郎の気持ちが‘てん’に届いたことを知らせる “着信音” を表現したと思う。
これ、あると無しでは全然印象が違うから、可能な人はボリューム調整して見てほしい。
「無い」と、直後の炬太郎が完全に悲しみに打ちのめされてしまっているように感じると思う。
でも「あり」だと、「ありがとう」と空を見上げる炬太郎に未来を感じる。
この辺の音響演出は、サウンドデザイン担当(台詞以外の音すべてを制作・管理するパート)の石井和之氏の巧みな業だと思う。
そして言うまでもないが、主題歌のタイミングも非の打ち所がない…
「大事なのは、どう生きるか?」を伝えたいと考えたドラマ
ここから、全話の総括的な感想を綴ってみる。
以前にも書いたことだが、脚本担当の水橋文美江氏は、朝ドラ『スカーレット』(NHK/2019年度前期)の脚本を書いた時のインタビュで、次のように語っている。
「スカーレット」脚本家・水橋文美江が「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決意するまで | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/36855
私は母をがんで亡くしています。それとうちには武志と同じ年齢の23歳になる息子がいるんですけど、息子が小さい頃、すごく大きな病気をしたことがあって。いまはすっかり元気ですけど、それこそ生死の境をさまようような状態だったんです。この2つの出来事には、「スカーレット」だけでなく脚本を書くうえで大きな影響を受けています。
「かわいそうな話を朝からやるのはどうなの?」と考えること自体がおかしくないか、そうやって避けていると、友人が亡くなったことも否定してフタをしてしまうような気がしたんです。だったら、「書こう。死を扱おう」と腹を括りました。そして、「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決めました。賛否両論は覚悟の上です。
これらのことから誤解を恐れずに妄想すれば、水橋氏が書く “ドラマ” における “死” は “生きる” を描くためのアイテムに過ぎないってことだ。
そう、「死にざま」よりも「生きざま」を描きたい… ってこと。
そう考えると、次の2つのことが分かってくる。
1つは、「‘てん’の死」によって自分が死ぬほど辛い思いをした炬太郎の “生きる姿” や “成長する姿” を通し)て、一度は死んだ “‘犬のてん’としての前世” と、“‘青年の天’としての今世” の記憶や感覚を同時に持ち合わせながら青年の天が “どうやって生きていくのか?” を描いた… と。
そして、2つ目が私が提唱していた、今作が、「主人公の炬太郎の物語」と、炬太郎を動かす “エネルギー” である転生した‘てん’が宿った「脇役である青年・天の物語」の《二重構造》になっていたことだ。
この2つの事から分かるのは、“愛し愛され成長する” のは炬太郎と‘てん’が宿った天の両方であり、誤解を恐れずに書くなら、互いに相手が生きていようがいまいが、存在を意識することで、常に互いは “愛し愛され成長する” のだ。
そして、最終回のラストシーンに象徴されるように、自分さえ心のどこかで意識していれば、ふっとまた目の前に姿やカタチは変わっているかもしれないが必ず現れるのだ。
恐らく、岸優太さんのファンの人たちは若い人が多いだろうから、こんな面倒な解釈なんて興味はないと思うが…
親を亡くしていれば、似たような年齢の人を見ると親が重なって見えてくるし、ペットを失くした人なら… そういうことだ。
きっと、脚本の水橋氏も演出家陣も中年世代だから、若い人たちに「大事なのは、どう生きるか?」だというのを伝えたいと考えた “ドラマ” だったと思う。

©日本テレビ
表面上はアイドルドラマだが、実は骨太のヒューマンドラマ
ここからは、オッサンではありが「俳優・岸優太」推しならではの目線でちょこっとだけ書いてみる。
私が「俳優・岸優太」に注目したのはドラマ『仮面ティーチャー』(日テレ/2013)の獅子丸 役からだが、最初にノックアウトされたのは『お兄ちゃん、ガチャ』(日テレ/2015)トイ / 御手洗明彦 役だ。
そこで、今作って、どこか『お兄ちゃん、ガチャ』に通じる点があると思うのだが。
どちらも、岸さんが大切な人と別れてしまう悲しい役なのはあるとして…
前者はポップで近未来なホームドラマとして、今作は青年の成長物語をファンタジー仕立てにして、両方とも “愛と死と過去と記憶” という壮大なテーマを組み込んだ意欲作… な点が共通点だったと思う。
それこそ、どちらも表面上はバリバリのアイドルドラマなのに、色眼鏡を外せる人なら間違いなく骨太のヒューマンドラマに見える良作なのだ。
もちろん、嫌々見る必要など全くないが、ただの食わず嫌い、見ず嫌いならば、一度は見てみる価値は十分にあるとおすすめしたい秀作ドラマだ。
あとがき(その1)
いやあ、感想を書くために録画を何度も見直しては感動しちゃって、気がついたら5時間以上もろたっていました(汗)
それにしても、‘てん’が去っていく具体的な映像がないのに、「コタくんへ」で見事に‘てん’が橋を渡って行く後ろ姿が見えましたよね。
私も「なんでもない小さな幸せを知っている人」になろうと思います(遅いか…)
あとがき(その2)
「俳優・岸優太」の代表作がまた増えましたね。
やはり、うまく言えませんが、この「岸優太」と「雪井炬太郎」の境界線がいい意味で曖昧といいますか、メッチャ隣接している緊迫感が “ドラマ” の中の炬太郎に命を吹き込んでいると思います。
その意味では、オシドラサタデー『ザ・ハイスクール ヒーローズ』(テレ朝/2021)の時より進化した浮所さんも素晴らしかったです。
もっと、いろいろ書きたいですが、うまくまとまりません(謝)
それにしても、EPG欄『犬と人 終わらぬ愛の 物語』ってピッタリですよね。
最後に
最後に、最終回までオッサンの勝手な感想を読んでくださった読者の皆様、SNSで紹介してくださった皆様に、感謝します。
そして、当ブログからお買い物をしてくださった方々にもお礼を申し上げます。
他のドラマの感想も、よかったら読んでみてください。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/17797/
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