すきすきワンワン! (第9話・2023/3/20) 感想

日本テレビ系・シンドラ『すきすきワンワン!』
公式リンク:Website、twitter、Instagram、YouTube
第9話『犬の涙』、EPG欄『サヨナラで コロッケ分け合う バカップル』の感想。
インターン経験を経て、一回り成長した炬太郎(岸優太)は「フツーの小さな幸せと、たったひとり、自分のことをわかってくれる人がいればいい」、と身の丈にあった今の生活、てん(浮所飛貴)と共に暮らす穏やかで楽しい日々の大切さを改めて噛み締めるのであった。そんなある日、どこかてんの様子がおかしいことに気づく炬太郎。てんから犬の記憶が消えてしまうかもしれない。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:水橋文美江(過去作/朝ドラ「スカーレット」、死にたい夜にかぎって、古見さんは、コミュ症です。)
工藤鈴子(過去作/詳細不明) 第7話
演出:中島悟(過去作/デカワンコ、世界一難しい恋、俺の話は長い、新・信長公記) 第1,2,5,6,9話
丸谷俊平(過去作/もみ消して冬、俺の話は長い、#リモラブ、ハコヅメ) 第3,4,7,8話
音楽:青木沙也果(過去作/この初恋はフィクションです、ユニコーンに乗って)
主題歌:King & Prince「We are young」
制作協力:オフィスクレッシェンド(過去作/世界一難しい恋、もみ消して冬、俺の話は長い、ジャパニーズスタイル)
※敬称略
言い訳で~す
待ってくださった読者の皆様、第9話の感想の投稿が遅くなり申し訳ございません。
早朝から激しい腰痛で、ホテルの仕事があって、仕事の合間を縫って2つのドラマの感想を投稿して、ようやく終業したのでこっそりホテルのロビーで、コツコツ画像処理して…
やっと、投稿にたどり着きました…
「動く影」で、作り手が何を見せたいのかが見えてくる…
では、早速ですが感想…
今回を含めて「残り2話」の今作だから、演出担当は当然のメイン監督である中島悟氏であることは予想ができた。
でも、当ブログを読んでくださってきた読者様なら、もしかしたら冒頭あたりで「?」っと思ったかも。
そこの解説の前に、是非とも気づいてほしい演出があったので解説してみる。
それは、炬太郎(岸優太)のスマホが鳴る直前の‘てん’(浮所飛貴)が柱の傷に最初に気づくカットだ。
‘てん’が柱に寄って行って、そのあと‘てん’の姿が消えて柱だけのアップになる(下図)

©日本テレビ
ここで注目してほしいのが「動く影」だ。
当然、影の主は‘てん’なのだが、「動く影」によって “映っていない‘てん’” が柱に近づいてのぞき込んでいるのを感じ取れたと思う。
この直後に、‘てん’が指で柱の傷を触るカットがあるが、その時には「影」はない。
これ、「動く影」のカットは “てんの目線” になっており、影のないカットは “第三者目線” になっているのだ。
このことによって何が分かるのか?
それは、今回が‘てん’の内面、心情を描くことに重きを置いているってことだ。
簡単に言えば、「視聴者に‘てん’の気持ちになってほしい」という演出意図が強めだってこと。
影だけでも、いろんなものが見えてくるってわけだ。
なぜ、中島氏の演出なのに"木々の影"がないのか?を考える
上記の演出意図が別の効果で分かるのが、前述しておいた、冒頭の「?」だ。
そう、中島氏の演出の場合は、これまで基本的に炬太郎の家の障子窓に庭の “木々の影” が強く映っていた。
その “木々の影” の強弱で、中島氏か丸谷俊平氏のどちらかの演出かを見分けてもきた。
では、なぜ、中島氏の演出なのに “木々の影” がないのか?
それは、序盤、中盤、終盤から私が選んだ「4つのカット」を見比べると、何となく想像がつくのだ。

©日本テレビ

©日本テレビ

©日本テレビ

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私の完全な妄想、予想、空想… 何でもよいのだが、「木々の影=‘てん’の‘てん’としての記憶の濃淡」を表しているのではないかと思う。
要するに以下のように思うのだ。
●木々の影が濃い(ある)=‘てん’としての記憶が鮮明なとき
●木々の影が薄い(ない)=‘てん’としての記憶がぼやけているとき
このように考えると、次のような描写に筋が通ると思うのだ。
●まだ犬の‘てん’だった頃は‘てん’の記憶しかないのだから、影は濃くて当たり前だ。
●‘てん’が‘天’の身体を借りて現れた当初も‘てん’の記憶は鮮明だから、影は強く出るのも合点がいく。
●今回の‘てん’としての記憶がぼやけている、曖昧な時は若干影が薄めに出ている。
こうして考えてみると、これまでの9話分で、実は “じわじわと” ‘てん’としての記憶に濃淡があったという “フラグ” になっていたとも受け取れる。
いや、そう受け取れば、演出家が交代する度に影の強弱があることを2人の演出家が修正しなかった理由も頷けるのだ。
まあ、こればかりは中島氏に伺わなければ真相は闇の中だが、こうやって考えると、中島氏が演出した湊エリー(松本まりか)が登場する前の第5話『犬と片想い』で<影が薄いカット>があるのが、意味深に感じる…
前半では、炬太郎が周囲の目を気にしているのに対して…
さて、今回は紹介したい演出がまだまだあるから続けていこう!
次は、この2つのシーンだ。
1つしか買えなかったコロッケを炬太郎と‘てん’が分け合って食べる微笑ましいシーンだ。

©日本テレビ

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これ、上は前半で、下が終盤のシーンから選んだのだが。
これ、同じ日の同じ場所でほぼ同じ時間で<衣装だけ替えて>ロケ撮影をしているのは気づくと思う。
でも、明らかに違う‘点’がある。
それは、前半では炬太郎が周囲の目を気にしているのに対して、終盤の炬太郎は堂々としているのだ。
もちろん、演出家の演技指導による変化だと思うが。
注目してほしいのは浮所飛貴さんはできるだけ “同じ演技” をしているのに対して、岸優太さんだけ “同じ演技” に “キョロキョロ” が加わっているのだ。
日差しの"色温度"でも、炬太郎の心理状態が表現されている
この2つのシーンの間に、撮影時刻が昼過ぎから夕方直前になっていることは日差しの色温度の違いで分かる人には分かる(笑)
色温度(いろおんど)とは、簡単いうと太陽光や照明器具などすべての光源が発する光の色を表す尺度のこと。
もっと簡単にいうと、昼間の日差しは白色から黄色い色で、夕方は夕焼けのオレンジ色っぽい色に変化するって感じ。
ほら、よく見ると炬太郎が赤いアウターを着ているシーンのほうが、‘てん’の白色の衣装も背景の看板も全体的に赤っぽいと思う。
まあ、そのことが視聴者には無意識に「夕方=ほんわかと温かくも切ない感じ」 として効果的に働いていることも分かると面白いと思う。
このように、(たぶん)冬の撮影は午後の日当たりの時間が短いから、相当テンポアップして撮影しないと難しい。
そんなタイトなスケジュールの中で、敢えてロケ撮影を行いのだから、前述の「色温度」の違いは効果的に利用するのは当然だ。
これを逆の順番で撮影したら、真逆の効果が出てしまうのだから。
ホント、撮影現場は時間との戦いなのだ。
炬太郎と‘てん’がキャッチボールをする場面でも色温度…
そのことが分かるのは、炬太郎と‘てん’がキャッチボールをするシーンでも見てとれる。
こちらは、「回想シーン」と「現在」を同じ場所で撮影している。

©日本テレビ
でも、「雲」のカタチが違うから、時間差で撮影していると思うが、これも「回想」を若干セピア色に処理することで、色温度の違いを効果的に利用している例になると思う。
この辺はうまく重ねられているので、時間があったらよく見てほしい。
ピントの位置で"作り手が伝えたいこと"が見えてくる
今回では、最後の演出の紹介だ。
それは、‘てん’の記憶が薄れていることに気づいた二人が「ちゃんと話そう」と決めた直後のカット。
ワンカットでカメラが横移動しながら、ピントが「柱の傷」から「今の二人」に移動しているのが分かると思う。

©日本テレビ

©日本テレビ
ピン送り(「ピント送り」とも言う)という撮影技術だ。
普通はカメラは固定してピントだけ、例えば「手前から奥へ」合わせるような使い方をするが、今回は、カメラの横移動と同時にピントも動かしている。
この演出で、「すべての始まりが柱の傷」であり、「結論を出すのは顔が見えている主人公の炬太郎」であることが提示されている。
最後に、全編に利用されている"色の演出"を掘り下げてみる
そう、実は “ピン送り” の演出もさることながら、実はここで‘てん’が “後ろ向き” なのがポイントってわけ。
白い襖と白い衣装の‘てん’が一体化したような印象を作ることで、視聴者に見えている青の衣装と衣装ケース、赤の座布団と吊るしの衣装が呼応して強い印象を与える中で、顔半分に強い光が当たっている炬太郎で半信半疑の心情を描いているのだ。
もちろん、‘てん’が白い犬で白色の “純粋、清潔、神聖” のイメージに対して、“情熱的・リーダーシップ・自信” を意味する赤色を避(よ)けて、やや濃いめの青色で “緊張感・孤独・内向き” な炬太郎を際立たせる演出になっている。
結局、このシーンの前に、例の “平和・健康・癒し” を意味する「緑色の炬太郎」があって、真ん中に「青色の炬太郎」があり、ピン送りを挟んで「赤色の炬太郎」になるという、色を利用した演出が今回の全編に使われていたのだ。
そう考えると敢えてキャプチャ画像は掲載しないが、予告編に登場したオレンジ色の衣装を着た炬太郎が、 “陽気・社交的・向上心” を表している可能性も大いにあるってことだ。
あとがき
今回の「俳優・岸優太」の最大の見どころは、やはり “ピン送り” のあとの “動揺を隠せないコタくん” ではないでしょうか?
浮所さんの泣きの演技も素晴らしいのですが。
両手をコタツの中に入れたまま “静の芝居” で爆発しそうな感情を抑えているのを魅せる。
ここ<コタツに手を入れたまま>が重要なんですよ。
だって、‘てん’は2カット入る回想シーンで大きく手を動かしているから、それとの対比をしているわけなので、炬太郎は絶対に手は動かさないほうがリアルに見えるわけです。
当然、岸さんと浮所さんのお芝居の息が合っているからこその相乗効果もあります。
よかったら、じっくり見てみてくださいませ。
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最終回の翌日は予定を空けているので(笑)、こんなに遅い投稿にはならない予定です…
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【これまでの感想】
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