すきすきワンワン! (第3話・2023/2/6) 感想

日本テレビ系・シンドラ『すきすきワンワン!』
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第3話『犬と小説と大リーグ』、EPG欄『抱きますか? 迫る犬 逃げる俺』の感想。
野球少年時代の友人・光太郎(前原滉)の文学賞受賞パーティに招された炬太郎は、彼の不器用だがひたむきな努力の痕跡を知り、輝いていた少年時代の自分を振り返る。 パッとしない野球少年時代、同じチームで炬太郎(岸優太)が唯一気を許していた、かつての友人・光太郎(前原滉)から文学賞を受賞したと突然の連絡が。 気乗りしないまま受賞パーティに出向いた炬太郎は、不器用だがひたむきな努力を続けられたのは炬太郎のおかげだという感謝をされ、かつての輝いていた自分を思い出す。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:水橋文美江(過去作/朝ドラ「スカーレット」、死にたい夜にかぎって、古見さんは、コミュ症です。)
演出:中島悟(過去作/デカワンコ、世界一難しい恋、俺の話は長い、新・信長公記) 第1,2話
丸谷俊平(過去作/もみ消して冬、俺の話は長い、#リモラブ、ハコヅメ) 第3話
音楽:青木沙也果(過去作/この初恋はフィクションです、ユニコーンに乗って)
主題歌:King & Prince「We are young」
制作協力:オフィスクレッシェンド(過去作/世界一難しい恋、もみ消して冬、俺の話は長い、ジャパニーズスタイル)
※敬称略
今回の演出は、今作は初担当の丸谷俊平氏に交代
今回も脚本や演出を中心に感想を書いてみようと思う。
まずは前回の感想のおさらいと、今回の演出のことについてちょこっとだけ。
前回で「炬太郎の家の「一軒家」を丸々利用したロケ撮影の面白さ」と題して、演出担当の中島悟氏の二人の背後に見える「小窓についた襖に映る木々の影」に言及した。
読んでいない方は是非とも読んでから戻ってきてほしいが。
実は、気づいたかともいらっしゃると思うが、今回の演出は今作は初担当の丸谷俊平氏に交代していた。
全体的にローアングル(カメラ位置を低めに設定して撮影すること)で視聴者を “ペット目線” に置くことで世界観に没入させつつ、演者のからだ全体を見せることで奥行き感や広がり感を出す… のは今回も踏襲されていたが、他の部分では丸山氏らしい演出もあった。
「小窓についた襖に映る木々の影」を比べてみる
その前に話を戻して… と。
今回と前回の「小窓についた襖に映る木々の影」を比べてみる。

©日本テレビ

©日本テレビ
ほら、微妙に木々の影が違うのがお分かりいただけると思う。
これは「どっちが正解か?」という問題でなく、演出家の好みが反映されていると思う。
私の勝手な思いを語ると、中島氏は基本的に画面に映り込む全体のバランスの中でメインとなる演技を魅せるタイプで、丸山氏はメインとなるお芝居を魅せるための適切な背景を持ってくるタイプだと思っている。
だから、丸山氏は小窓の外をシンプルにすることで、手前の二人の芝居に視聴者を引き付ける演出をした。
そのために、前回よりも室内に入り込む日差しの寮が若干多めになってもいた。
この辺の演出家の違いによる、ちょっとした拘りにも気づくと、ドラマを面白く見られると思う。
"ワイングラスがぶつかる音"の効果音がもたらす演出的効果
さて、第1話の感想でサウンドデザイン担当(台詞以外の音すべてを制作・管理するパート)の石井和之氏について話した。
今回では、絶妙な仕事のシーンがあったのでご紹介したい。
それは、文学賞受賞パーティ会場で炬太郎が取材を受けるシーンでの次の台詞の直後だ。
炬太郎「何もしてなくて」
このシーンの直前までは、炬太郎が現在の自分を恥じて真実を記者たちに告げにくい様子が描かれて、そこでは “切ないメロディ” の劇伴が流れている。
そして、「あっ 特に…」、「はい?」のやり取りの終わりに合わせて、劇伴がフェードアウトして例の「何もしてなくて」につながったところで、 “ワイングラスがぶつかる音” が入る。
炬太郎の横にワイングラスが並んでいるが、炬太郎がグラスに触れた映像はない。
その後、「お写真いいですか?」のあとに、カウンターの中に女性スタッフが見えるが、音がするときは映っていない。
当然、女性スタッフ役が撮影中に音を出すなんてありえないし、あったら間違いなく NGになっている。
そう、この “ワイングラスがぶつかる音” が “後付けの効果音” で直前の劇伴とシンクロして編集されているのだ。
この “効果音” がないと、どうなったのか?
音を消して見れば分かるかも知れないが、無音だと「無職」と開き直った主人公が、それでは体裁が悪いから「家を貸したりとか」と見栄を張っているように感じてしまう。
しかし、“ワイングラスがぶつかる音” によって、主人公の心の中で何かが壊れた、変わった感じがする上に、背中を丸めた光太郎がチラッと主人公を見る動作と相まって、主人公が光太郎のために頑張って<無職じゃない>と言っているように見えないだろうか?
当然、アコーディオン風の劇伴があるから余計に “切ない思いの友だち同士” って感じは強調されて。
更にこの “ワイングラスがぶつかる音” は、主人公がポツンとワイングラスを持つカットにもつながるし、店員に間違えられる屈辱や哀れみにもつながるわけで。
で、最後に言っておきたいのが、ここを “ワイングラスやボトルが割れる音” ではなくて、あくまでも “ワイングラスがぶつかる音” に留めたセンスの良さなのだ。
そう、やり過ぎないけど、効果は抜群という絶妙なさじ加減と劇伴との関係性。
ここは是非とも、カメラのフラッシュに驚く主人公、ウエーターの「かしこまりました」まで見直してほしい…
岸優太さんや監督がおっしゃる「生感」を考えてみる
作品の感想から少し離れてしまうが…
第1話から見ている妻がこんなことを言っていた。
「このドラマの主人公ってクズでイラっとするから好きじゃないけど。岸くんが演じてるコタくんはそこまで嫌じゃないんだよね。それって毎週見てる『キンプる。』での “周囲に気遣いしまくりの岸くん” とか、ライブ映像(ライブには行ったことがない)での “等身大で自然体で常に全力の岸くん” を見てるから、頭の中で修正しちゃってるのかなぁ」
これを聞いて、先日読んだ「AERA (アエラ) 2023年 2/6 増大号」での次の岸さんのコメントを思い出した。
岸優太:監督は「生感が大事だ」とおっしゃっていて、それを出すために共演者やスタッフの方と協力した上で、いい意味でだんだん力が抜けていきました。自分自身、自然と炬太郎の感覚になってきたと思っています。そういえば、炬太郎の私服の力が抜けた雰囲気や、部屋の少し散らかってしまっている感じは、僕に近いかもしれません。「こうなってしまう気持ちはすごくわかるな」と思いました。
岸優太が語る自分を変えた出会い 「キンプリになったから、成長したいと思えた」〈AERA〉
ここで注目した言葉が「生感」。
実際に岸さんや監督(中島悟さんだと思う)がどんな意味で「生感」と言っているのか想像の域を出ないが。
私は「生感」を、“本能的、感覚的、動物的に感じるもの” と解釈してみた。
例えば、“ドラマ” というのは、撮影現場で起こったすべてではなくて、照明が当たった部分をカメラが撮影しマイクが音を拾い、それを編集室で切り刻んで繋げた、(語弊がある言い方で例えるなら)ある意味で「工業製品」や「工芸品」みたいなものと言ってもいい。
しかし、ロケ番場に立ち立ったことがある人なら分かると思うが、ドラマの撮影現場は、その場にいる人、いない人を含めた大勢の人たちの存在が作り出す相乗効果やエネルギー反応が発生した “瞬間を切り取った部分の結合体” なのだ。
そう、無感情で機械的に大量生産される “モノ” ではなく、作った人の思いや温もりを感じることができるや “生(なま)もの” みたいなものだと思う。
だから、撮影現場ではできるだけ “生感” を重要視して、それを可能な限りワンカットワンカットに凝縮して、テレビを通して視聴者の目の前で放射することができれば、キャストやスタッフが伝えたいことが、じんわりと、しっかりと伝わってくる感覚を味わえる。
それこそが「生感」じゃないかな? と。
そう考えると、<俳優・岸優太>が<主人公・雪井炬太郎>を演じるのではなく、岸さんがコタくんに自然と隣接していくことこそが<俳優・岸優太>が<主人公・雪井炬太郎>に “なる” ことなのではないだろうか。
「生感」が伝わった、会場の外で二人が語り合うシーン
そのことを今回で感じたのが、次のパーティ会場の外で、二人が語り合うシーン。
まず、演出的に絶妙なのが、二人が座る位置と距離感。
二人ともが正面向きではなく、主人公を “上手(画面右)向き” に配置して、少し前向きに希望を持ち始めていることを提示。
そして二人の距離感は、パーソナルスペースである「個人的距離(45cmから1.2mまで)」を保って、その中でも手を伸ばせば触れられる距離で立たせ、立ったまま会話をさせる演出だ。

©日本テレビ
そのことで、少年時代の野球をやっていた時の二人の映像と重なってくる効果がある。
そして、ここでの岸さんは “炬太郎” になりきっている。
私が見慣れないスーツ姿というのもあるが、いい意味で、相変わらず「お前が言うな」的なクズっぷりがしっかり見て取れる。
うん、やっぱり “俳優・岸優太愛” はいいと思う。
炬太郎が天と、おつまみを食べるシーンから感じたこと
最後の最後に。
終盤で、天(浮所飛貴)が炬太郎の分まで焼酎のお湯割りを作って待っているのもいい感じだが。
それよりいいのが、炬太郎が一度来た方向に戻って、おつまみ(ソフトさきいか?)を取りに来て、再び座って会話を続けるくだりだ。

©日本テレビ
部屋の奥行き感を見せることができる効果はあるが。
それ以上に、炬太郎がおつまみを食べる速度や分量によって、炬太郎が天の言っていることに共感していく過程、自分自身を見つめ直す過程がビジュアルとして描かれていること。
最初はパクパク食べているが、徐々に手が止まって、最後はまったく食べないで、腐って、ムカついて、見下して、笑顔で称賛して、20年を振り返って… そして翌朝の決心へつながっていく。
本業のあいまで済んじゃうような手間のことを「片手間」というが、正に「おつまみ」が片手間で、翌朝は “両手” で洗濯物を畳んでるという洒落た展開もよかったと思う。
あとがき
今回も、ほっこりさせてもらいました。
やっぱり、このドラマ、好きです。
引き続き、今作を応援してまいります!
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/17650/
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