エルピス―希望、あるいは災い― (第7話・2022/12/5) 感想

関西テレビ制作・フジテレビ系・新 月10ドラマ『エルピス―希望、あるいは災い―』
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第7話『さびしい男と忙しい女』の感想。
副総理大臣の大門(山路和弘)が事件現場となった市の出身と気付いた恵那(長澤まさみ)は、彼が事件に何らかの形で関与しているとにらむ。一方、経理部に異動になったが、事件を追う拓朗(眞栄田郷敦)の元に驚きのニュースが飛び込んで来る。やがて、恵那は大門に関わる重要人物のリストを入手し、ある仮説を立てるため、その人物達を調べてほしいと拓朗にリストを託す。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:渡辺あや(過去作/火の魚、朝ドラ「カーネーション」、ロング・グッドバイ)
演出:大根仁(過去作/湯けむりスナイパー、モテキ、ハロー張りネズミ、共演NG) 第1~6話
下田彦太(過去作/農家のミカタ) 第4,5話
二宮孝平(過去作/共演NG)) 第7話
北野隆(過去作/半径5メーtル)
音楽:大友良英(過去作/あまちゃん、いだてん、しもべえ)
主題歌:Mirage Collective「Mirage」
プロデューサー:佐野亜裕美(過去作/99.9-刑事専門弁護士-、カルテット、大豆田とわ子と三人の元夫)
※敬称略
大量のフラグで"ドラマの方向性"が全く分からなくなった!
今回のサブタイトルは『さびしい男と忙しい女』ではあるが、公式サイトでは『最終章開幕!近づく真犯人の影…刑事の秘密と経理部員の執念』である。
ということで、今回からが「最終章」であると同時に、モノローグ担当は “さびしい男” こと拓朗(眞栄田郷敦)と、“忙しい女” こと恵那(長澤まさみ)だ。
しかし、全編に二人を始め、各登場人物の台詞が散りばめられていたため、モノローグは無くても内容は伝わったから、“ドラマ” として集中させたかったのは<刑事の秘密と経理部員の執念>だったようだ。
とにかく、「最終章」だからとしても、とにかくフラグを含めた情報量が多過ぎる。
その上、“ドラマ” の方向性も完全に分からなくなった。
一体、事件解決を主軸にした “冤罪事件追及” の「ミステリー」なのか、メインの二人の “変化” を描く「ヒューマンドラマ」なのか、個人的には “続編” を期待しているため、ここへ来て方向性が見えづらくなったのをどう捉えるべきか? と、少々困惑中である。
ただ、残りの話数は分からないが少なくとも2話以上はあるから、ドラマの形態は何であろうと “現実社会に潜む危うさ” をじわじわと描く社会派エンターテインメントに着地してほしい。
その前に前回の "深読み" のおさらい
さて、今回も “粗探し” でも “重隅突き” でもないと信じている “ほぼこじつけ” の “深読み” をやってみる(笑)
その前に前回の “深読み” のおさらいから。
前回の感想で、左遷されることになった村井(岡部たかし)がカラオケパーティーで「おしぼりウサギ」を作ったことに言及した。
更に、前々回の感想では目玉焼きが「サニーサイドアップ」であることにも言及した。
その2点について再度書かないが、今回は拓朗と村井が飲んでいた昭和レトロな雰囲気のカウンターバーのシーンで “ほぼこじつけ” の “深読み” をやってみる。
村井が作って食べた「おしぼりバナナ」の演出意図を深読み
一つ目は、村井が作っていたのが今回は「おしぼりバナナ」だったこと。
「おしぼり芸(という呼び方が一般的かどうか分からないが)」は、昭和が残した酒場のエンターテイメントだ。
従って「バナナ」から連想されるのは「男性性器」や「おバカ」を始めとして、原産国の勝手なイメージから「人種差別」、「南北格差」、「環境破壊」などにも通じる。
そして、敢えて “こじつけたい” のが、東南アジアやニューギニア島に伝わる、死や短命にまつわる「バナナ伝説」である。
その昔、神は人間ため天上から様々なものをロープで降ろし与えていた。
ある時、神は人間に「石」と「バナナ」を降ろして、どちらか一つを選ぶように命じた。
人間は “食べられない石” を神に返して “食べられるバナナ” を選ぶ。
実は、硬くて変質しない石は “永遠の生命(不老不死)をもたらす石(「賢者の石」と同じ)” の象徴で。
バナナは実(子)ができると木(親)が枯れて(死んで)しまう特性から転じて、バナナのように、もろく腐りやすい体となって死ぬ(または短命になる)ことの象徴。
で、神はバナナを選んだ人間に “永遠の生命” でなく “死または短命” を与えた… という伝説だ。
因みに、このバナナ伝説は聖書における「エデンの園」伝説と似ており、アダムとイブは禁断の果実として “リンゴ” を食べたから楽園を追放されたとされるが、類似の逸話が中東にも存在するのは面白いと思う。
ここで話を今作の村井に戻すと、私はある演出意図を感じるのだ。
それは、劇中で「おしぼりバナナ」をパクっと食べた(演技の)村井は正に “死や短命を選んだ人間” の代用であると同時に、真実を追求し続けるジャーナリスト精神の “不老不死” を逆説的に表現したのではないかと。
まあ、どう感じるかはあなた次第ってことで。
今回注目したのは「陸子の衣装と装飾とカメラの構図」
もう一つは、私が今作で注目し続ける拓郎の母・岸本陸子(筒井真理子)登場のシーンに(勝手に)今作の重要なキーワードが秘められているのを考えるコーナー(笑)
今回注目したのは「陸子の衣装と装飾とカメラの構図」。
今回の陸子は、青いドレスに “真珠” のネックレスに、ダイヤの “耳飾り” をつけ、片側から光が当たる構図になっていた。
これを見て「同じじゃないの!?」と思ったのが、17世紀オランダ黄金時代の代表画家・フェルメールの名作「真珠の耳飾りの少女」(下図の最右)である。

©「真珠の耳飾りの少女」 1655?66年頃 マウリッツハイス美術館
©カンテレ、フジテレビ
細かい絵の解説は省略するが、私がこの「真珠の耳飾りの少女」と「陸子」の共通点であり、もしも演出家が意図したものだとしたらと考えるのが、「表情が変わっていく女性の神秘性」だ。
絵画には見る時の光の当たり方や診る方向によって同じ絵画でも見え方が違う作品は多いが、「真珠の耳飾りの少女」は同じところから見ても表情が変わっていくのだ。
理由や技法としては、「眉がない」ことから様々な想像ができる点と、「不自然な光の書き込み」があるとされている。
メッチャ簡単に書いちゃうと、全体の照明(外光が差し込み角度)に対して、“耳飾りに当たる光” と、少女の目に書き込まれた “光の点” が不自然な関係になっていて。
これは「光の魔術師」と呼ばれたフェルメールだからこその技術で、敢えて光るはずのない瞳の部分にハイライト(最も明るい部分)を入れることで、「不自然さ=表情の揺らぎ」を演出したとされる。
これを知って、今回の陸子の食事と食後のシーンを見ると、映像的な類似点があるように感じると共に、陸子の複雑で不可解な心理をうまく表現していると思うのだが。
もちろん、これもどう感じるかはあなた次第ってことで。
あとがき
今回は本編の感想以外が多くなってしまいました。
もう一つ書き忘れたのが、昭和風のスナックの壁に貼ってあった「アケボノビールあります。」のポスター。
「アケボノ」とは「曙」のことで、「夜がほのぼのと明けるころ。明けがた。」を示し、当然「サニーサイドアップ」と拓朗が重なっているってこと。
おあとが、よろしいようで(笑)
次回がどんな方向に進むのか楽しみです!
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【これまでの感想】
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