エルピス―希望、あるいは災い― (第5話・2022/11/21) 感想

関西テレビ制作・フジテレビ系・新 月10ドラマ『エルピス―希望、あるいは災い―』
公式リンク:Website、Twitter、Instagram、YouTube
第5話『流星群とダイアモンド』の感想。
松本(片岡正二郎)の再審請求は棄却され、チェリー(三浦透子)が自殺を図る。特集の続編の制作も禁じられるが、拓朗(眞栄田郷敦)は単身、目撃証言をした西澤(世志男)の身辺を調査。西澤がかつて八頭尾山の麓に住んでいたと知る。一方の恵那(長澤まさみ)は斎藤(鈴木亮平)と再び良好な関係を築くが、同期の滝川(三浦貴大)から斎藤とある大物政治家が親密な関係だと聞かされ…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:渡辺あや(過去作/火の魚、朝ドラ「カーネーション」、ロング・グッドバイ)
演出:大根仁(過去作/湯けむりスナイパー、モテキ、ハロー張りネズミ、共演NG) 第1~5話
下田彦太(過去作/農家のミカタ) 第4,5話
二宮孝平(過去作/共演NG)
北野隆(過去作/半径5メーtル)
音楽:大友良英(過去作/あまちゃん、いだてん、しもべえ)
主題歌:Mirage Collective「Mirage」
プロデューサー:佐野亜裕美(過去作/99.9-刑事専門弁護士-、カルテット、大豆田とわ子と三人の元夫)
※敬称略
前回の拓朗のモノローグとは明らかに異なる点
前回に続いて、モノローグ(兼 ナレーション)担当は拓朗(眞栄田郷敦)だ。
但し、前回の拓朗のモノローグとは明らかに異なる点がある。
それは、拓朗自身の心の葛藤については一切のモノローグが無く、眞栄田郷敦さんの演技に依存して描かれていたのに対して、今回は心の葛藤を含めて心情描写も兼ねている点。
要するに拓朗の言動全てを拓朗自身が見せることで、拓朗が “自発的” 且つ “一人で” 調査する様子が強調されるという脚本&演出になっていると思われる。
"ドラマ"上の主人公・恵那の描き方が秀逸
そして今回で更に秀逸なのは、“ドラマ” 的な主人公・恵那(長澤まさみ)の描き方。
恵那は恵那で元恋人の斎藤(鈴木亮平)との復縁を、サブタイトルにも引用されている指輪の “ダイアモンド” を比喩に使い、再び輝きを取り戻すような予感を漂わせて、終盤で拓朗と “二人で” 真実を追求する姿勢を明確に描いた。
この “二人で” という描き方は、これまでの少々 “社会派ドラマ” の体裁を感じていた今作だが、連ドラの折り返しでもある第5話でちょっぴり “ミステリー” の要素を盛り込む効果にもつながって、一層面白味が増したと思う。
サブタイトル『流星群とダイアモンド』を深読みしてみる
さて、いつもの? 勝手な深読みをやってみる。
今回のサブタイトルは『流星群とダイアモンド』である。
まず、ここから読み解いてみる。
流星群とダイアモンドに共通するのは、どちらも “輝いている” や “キラキラしている” だろう。
ただ、私はこの二つには決定的な違いがあると思う。
それは、流星群(流れ星)は夢や希望を “願うもの” であり、ダイヤモンドは夢や希望を “叶えた証” としての象徴ではないか? と。
と同時に、“輝いている” や “キラキラしている” ものを印象深く描くことで、それとは真逆の “暗闇” や “闇” も同時に強調している。
そう、演出照明の世界でよく言うのは「光が当たるから見えないものが見えてくる」、「明るい部分があるから、暗い部分の存在が際立つ」だ。
結局、映像においては「闇=黒=何もない」であり、闇にある何かを描かないと “闇が見えない” のだ。
今作はその闇を見せ方がうまいと思う。
それは逆説的に、闇の中の一筋の光明の感じさせ方がうまいことを表し、正に今作がやろうとしていることと合致する。
陸子が拓朗に供した"サニーサイドアップ"も深読みしてみる
もう一つ、深読みしてみよう。
それは毎度のように書いている、拓郎の母・岸本陸子(筒井真理子)登場のシーンに秘められていると(勝手に)思う今作の重要なキーワードの件だ。
今回、陸子が登場した際に拓朗の “朝食” として供されたのが「目玉焼き」だ。
見ての通り、片面焼きで黄身が半熟の「サニーサイドアップ(sunny-side up)」スタイル。
ご存知の方も多いだろうが、「sunny」は「太陽」という意味があり、卵の黄身が太陽のように見えることから「サニーサイドアップ」と呼ぶようになったそう。
ここからが深読みだ。
ポジティブなイメージの料理だからこそ"闇"を表現できる
これ、お皿に乗った状態を「太陽のように見える」から名付けたそうだが、もう一歩進んで「太陽に見えるほうが上」と考えると、この料理がとてもポジティブな朝食に見えやしないだろうか?
しかし、拓朗が家を出て行ったあとに、陸子が自分の作った目玉焼きの黄身にフォークを突き刺して潰す。
そう、きっと拓朗は「サニーサイドアップ」の黄身に “目覚め” や “自立” を見出し、陸子は愛する息子の “目覚め” や “自立” を≪潰した≫ことを今さら後悔している… と、描写しているように見えないだろうか?
ここで演出が秀逸なのは、陸子が黄身をぐちゃぐちゃにせず、突き刺したフォークを抜くにとどめたこと。
このことが、のちに描かれる拓朗を病院へ連れて行くという陸子の “執着心” や “自尊心” につながっていく。
そして、この陸子が黄身にフォークを突き刺す行為が、終盤での次の拓朗の台詞に連携する。
拓朗「こうして また1つ道は潰された。
真実は再び闇に返された」
「闇に葬られた」のではなく、「闇に返された」のが今作の夢や希望につながっていくと思う。
あとがき
恵那と拓朗の心情描写が丁寧でちゃんとしており、それらがストーリーと的確に連携していて、見ていて気持ちがよいです。
と同時に、テレビ局、マスコミと政治や権力の裏側や闇の部分もしっかり描かれおり、人間ドラマ、社会派ドラマ、ミスタリーのいいどこ撮りを上手くやっていると思います。
正に「先が見たくなるドラマ」ですね。
コロナ禍で、未だ仕事が激減中です。
Amazonと楽天市場からお買い物する際は、当ブログ内のバナーなどのリンク経由で買ってくださると、私にポイントが貯まります。
また、ブログを書き続けるモチベーションアップにもなります。
引き続き、皆様のご協力をお願い申しあげます。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/17418/
- 関連記事
-
- 拾われた男 LOST MAN FOUND[再/地上波初] (第7話・2022/11/22) 感想 (2022/11/23)
- 連続テレビ小説「舞いあがれ!」 (第37回・2022/11/22) 感想 (2022/11/22)
- エルピス―希望、あるいは災い― (第5話・2022/11/21) 感想 (2022/11/22)
- 連続テレビ小説「舞いあがれ!」 (第36回・2022/11/21) 感想 (2022/11/21)
- アトムの童 (第6話・2022/11/20) 感想 (2022/11/21)