連続テレビ小説「ちむどんどん」〔全125回〕 (第80回・2022/7/29) 感想 ※追記あり
2022/07/29 (Fri)11:14:00 初回投稿

NHK総合・連続テレビ小説『ちむどんどん』
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第80回〔全125回〕/第16週『御三味(うさんみ)に愛をこめて』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
※ また、本編最終回が 9/30(金)、全125回決定(情報源)です。
暢子(黒島結菜)は和彦(宮沢氷魚)の母・重子に、美味(おい)しいお弁当を作って持っていく作戦を続けていた。そして和彦は手紙で重子に思いを伝えて…。沖縄では良子(川口春奈)が暢子の苦労に刺激を受けて。自分のことをなかなか認めてくれない夫・石川(山田裕貴)の家族に、再び向かい合う決心をする。そんな良子の姿に石川も心を固めて、実家に乗り込むことに…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:羽原大介(過去作/マッサン、昭和元禄落語心中、スパイラル~町工場の奇跡~)
脚本協力:新井静流(過去作/羽原大介・作「サイン-法医学者 柚木貴志の事件-」脚本協力)
演出:木村隆文(過去作/ひまわり、梅ちゃん先生、ごちそうさん、なつぞら) 第1,2,3,6,10,14,15週
松園武大(過去作/おひさま、とと姉ちゃん、半分、青い。、エール) 第4,5,7,12週
中野亮平(過去作/花子とアン、マッサン、あさが来た、べっぴんさん) 第8,13,16週
大野陽平(過去作/Eテレドラマ「あやとり」脚本兼、ここは今から倫理です。) 第9週
田中陽児(過去作/きれいのくに、麒麟がくる 総集編) 第11週
音楽:岡部啓一(過去作/真夜中のパン屋さん)
高田龍一(過去作/ドラマ劇伴無し)
帆足圭吾(過去作/真夜中のパン屋さん)
主題歌:三浦大知「燦燦」
語り:ジョン・カビラ
制作統括:小林大児(過去作/演出:ちゅらさん4、てっぱん、純と愛、CP:ミス・ジコチュー)
藤並英樹(過去作/演出:てっぱん、純と愛、CP:第3夜 転・コウ・生)
※敬称略
エピソードとしては別にわざわざ取り上げる程でもない…
ハイサイ~ 皆さん、管理人の “みっきー” です!
今日の感想は…
●全体的には面白くないし、ただの先週のための前振りってだけ。
●新発見は青柳家では “手皿” はマナー違反でないらしい。
この2つくらい。あとは、エピソードとしては別にわざわざ取り上げる程でもないと思う。
「御三味」についてもう少し丁寧に解説しても良かった…
ただ、気になったことは幾つかある。
1つは、暢子(黒島結菜)が御三味(うさんみ)を過去に作ったような描写がないのに、レシピをすらすらといえちゃう違和感。
それに準じて、折角お盆の季節なのだから、御三味についてもう少し丁寧に解説して、沖縄文化の流布や普及に一役買って、沖縄のイメージアップに貢献すれば良いのに… という不満。
今回も、重ねてフィードバックしている"つもり"だと思う…
もう1つは…
前回での中原中也の詩を引用した描写について “いい感じに作っているつもり” と書いたのを覚えておられるだろうか。
その表現を使い回せば、脚本家も演出家も恐らく “暢子と良子を重ねているつもり” で “良子の言動を暢子へフィードバックしているつもり” なのだ。
このように二元中継的に異なる登場人物を表現して、共通項を作って連携させて、例えば “姉妹の不思議な偶然” とか “家族の神秘的な絆” を描くのは “ドラマ” ではよくある事だし、基本的にやること自体は間違っていない。
ただ、こう言う手法を使う時は、両者のシチュエーション(状況や環境や行動など)が巧みに “重なって” いることが重要だ。
しかし、今回の暢子と良子(川口春奈)で重なっているのは、以下の2点だけ。
●誰かのために料理を作っている。
●作った料理を食べる相手のところへ持って行く。
これだけでは、流石に “暢子と良子を重ねているつもり” で “良子の言動を暢子へフィードバックしているつもり” とは言えない。
せめて、下記の3点は欲しい。
●暢子と良子がすでに結婚している設定
●暢子と良子が夫の実家で認めてもらえていない設定
●暢子の良子も、相手の男性のために頑張っている設定
いいや、3つも欲張らない。
最低1つだとすれば、3つ目の「暢子の良子も、パートナー(“仮” も含む)のために頑張っている設定」がマスト(必須)だろう。
そこさえ、強調されていれば、姉のピンチを妹が救い、混沌とした妹に姉が力添えしたように見えると思う。
しかし、ご覧の通り、肝心な条件が重なっていないから、サブタイトルのために金曜日に強引に御三味をねじ込んだようにしか見えなかった。
まあ、今さら始まったことではないが。
"連ドラ"として良子と博夫の描き方は特に悪いとは思わない
さて、良子と博夫(山田裕貴)、その実家との確執について描くことには、賛否両論あるようだが、私は「こっちは、こっちで」と呆れたり、目くじらを立てる程ではないと思って見ている。
いや、一発逆転劇が面白いかどうかは別の話だが…
もちろん、登場する度に同じようなネタで、同じような映像で、特に変わり映えはしない。
しかし、“連ドラ” としては、似たようなことを繰り返して表現することで、良子と博夫が結婚以来二人で抱えている問題も、二人の気持ちもちゃんと描写されている。
当然、二人のキャラクターもブレていないのだ。
そんな継続されて表現されてきた石川夫婦に訪れた今回の “変化” だから、当然ハッキリと “変化” が見えたし “転機” に見えた。
引っ張り過ぎなのは褒められないが、でも繰り返し引っ張ってきたからこそ、おばぁのウシ(吉田妙子)たちの登場で、頭の硬い男性たちが一転したのが現実的でないという意味では不自然だが、“ドラマ” としては “アリ” だと思う。
やはり、“騒動” によって “変化” を描くなら、地道に “繰り返す” ことが重要。
そのことを、今回の良子と博夫のエピソードが教えてくれたと思う。
そして、忘れてはならないのは、この地道に “繰り返す” ことが重要という作業を当初から続けているのが賢秀(竜星涼)だということ。
だから、賢秀を前回のような突発的なエピソードで安易に使って欲しくないのだ。
暢子と和彦に"変化"や"成長"の類が全く見えて来ない!
それに引き換え、主人公である暢子と和彦のエピソードは、1つも褒めるところがない。
まず困るのは、県人会の角力大会の前あたりから直近まで、暢子と和彦の人間関係が違うし、演出も違うから “違っている” ようには見えるが、それらが “変化” や “進歩” や “伸び育つ” とは異なって見えていること。
なぜなら、確かに放送上は最近の数週間で暢子と和彦は違ってきているが、それはあくまでも過程をすっ飛ばして、週明けの月曜日にまるで新キャラ同然で再登場するからではないだろうか?
暢子と重子のエピソードも"連ドラ"としては破綻している
これ、良子と博夫については、単発的にしか描かれないが、よく見ればわかるように微妙にではあるが、それぞれの心境に変化が見られる。
特に、時間経過と共に徐々に歩み寄っていることが表現されてきた。だから、今回の変化が際立つ。
しかし、暢子と和彦については、継続的に描かれているにも拘らず、よく見なくても、ウザい、不快、略奪の負のイメージは変わらない(むしろ、増しているかも?)のがわかる。
だから、今さら暢子が御三味を弁当に作ろうが、和彦の母・重子(鈴木保奈美)が御三味を食べようが…
これまで重子が毎日暢子手作りの沖縄料理の弁当を食べて「美味しくない」と訴え続けるとか、それこそ「毎日、イタリア料理のお弁当では飽きたわ」と注文をつけない限り、説得力は皆無だってこと。
もう、“連ドラ” として破綻しているのだ。
こんなことなら、最初から、暢子お得意の強引さと正義感を炸裂させて、無理やりに青柳家に食材を持ち込んで、台所を占領して、お手伝いさん・岩内波子(円城寺あや)をこき使って、豪勢な御三味を作って重子に食べさせたら良かったのだ。
そうすれば、1日15分だけで済んだのに…
先週の暢子の両親と「遺骨収集」を描いたから役目果たした
そして、終盤で、また「騒動至上主義」の発令だ。
恐らく、来週からは騒動のオンパレードが続くだろう。
だって、今作が沖縄本土復帰50年の記念作品としては、先週に暢子の両親のネタで「遺骨収集」を描いたから役目果たしたのだから、もう特に描くべきことはなくなったはずだから。
そう、制作統括も脚本家も「ほぼ、役目は終了…」と安堵しているのではないかと思うのだ。
従って、あとは前回の感想で “反転表示” で書いたお約束の結末に向かうだけ。
騒動の連続を、紆余曲折を描いているつもりで、最終回まで突っ走るかも?
う~ん、流石にここまで “物語” がなく、“騒動と結末” だけを延々見せられると、なんとも言えない気持ちにしかならない…
私なら、石川家のくだりを次のように書くと思う…
どうも、「私だったら、こう書くのに…」をここ数日思いつかなった。
というか、そんな気分にまで昇華しなかった。
でも、今回はちょっとだけ「私なら…」を。
今回の石川家のくだりだ。
御三味(うさんみ)が今の本土でいう何に相当するのか良くわからないが。
調べてみると、御三味(うさんみ)の意味は、万物を育てる「天・地・海」に感謝して、天からは鳥、地からは動物、海から魚をいただくことを表しているそうで。年に一度だけ出されるお供え物のようだ。
私が住む関東では、家ごとに違うと思うが、夏のお盆ならソーメンや煮しめや野菜の天ぷらなど精進料理をお供えするが、あくまでのお供え物でご先祖様が食べられる用のお供えするだけで、自分たちは食べない。
そうなると、御三味と感覚的に近いのがお正月のお節料理だろうか。その家ごとの味付けやタネがあって、先祖代々味を受け継ぐって感じは。
だとすると…
男性陣が「まずい」、「御三味も作れないのか」と怒る中、良子のまずい料理を食べたおばぁが…
「苦手な料理を作ろうとしたことを認めてやりなさい」
「良子さん、料理も石川家の味も私が教えてあげるから安心しなさい」
「お前さんたちは文句があるなら、明日から三食自分で作って食え」
で良いのでは?
で、欲を言えば博夫が「おばぁ、僕にも教えて欲しい」と言って、「それでこそ、石川家の未来を担う孫じゃ」でないの?
あとがき(その1)
1つだけ粗探し…
というか、如何に脚本家と演出家が “いい加減な気持ち” で “いい感じに作っているつもり” をやってるのか証明しますよ。
和彦が昼間の会社(仕事しろ!)で母宛てに書いている手紙は「縦書きの便せん」なのに、12分で重子が読んでいるのは「横書きの便せん」でした~
おいおい…
ああ、和彦の字が汚いから、手皿で料理を食べた手で波子が書き換えたのか? (苦笑)
和彦の手紙について、読者さんのコメントをもとに録画を見なおして検証・考察しました。
今回(金曜日)での会社の筆記具は「鉛筆」は間違いなし。
手紙の筆記具とかは…
前回(第79回)のラストで、和彦は「青いワイシャツ」を着て、「ノック式ボールペン」を持って「メモ帳」らしきものに向かっていた。
今回では、「白のストライプのワイシャツ」に「鉛筆」で、「前回と同じメモ帳」に「縦書き」で何かを書いた。
そして、重子の手紙は「便せん」で「横書き」で「ボールペンっぽい」。
ということで、和彦の衣装から推測すると、前回と今回は違う日の設定は確実ですが、ほかのことは良くわかりませんでした。
というか、別日にした展開を含めて、脚本家と演出家の意図が良くわかりませんでした。
以後、「粗探し」は完全に無駄な時間なので完全封鎖するつもりです。
名無しですみませんのお陰で、再び目が覚めました。ありがとうございます。
あとがき(その2)
さあ、気分転換タイム~~~!
和彦が「生んでくれてありがとう」を聞いて、瞬時に思い出したのが、以前放送されていたフジテレビのバラエティー番組『VS嵐』で嵐のリーダー・大野智さんの毎年のご自身の誕生日のネタ。
画面越しのお母様に大野さんが「お母さん、いつも産んでくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えると、他のメンバーやゲスト、テレビを見ている視聴者が「いつもは産まないだろ!」とツッコむやつです。
でも、実際に母を亡くすと “いつも” 「産んでくれてありがとう」と思うようになりました…
関連番組を了解した投稿です。
仲間由紀恵・黒島結菜、沖縄戦の“記憶”巡るNHK特番(8月1日)「ちむどんどん」収録前に旅へ
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※「胸がわくわくする気持ちにさせてください」の意味。
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【これまでの感想】
第1週『シークワーサーの少女』
1 2 3 4 5 土
第2週『別れの沖縄そば』
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第3週『悩めるサーターアンダギー』
11 12 13 14 15 土
第4週『青春ナポリタン』
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第5週『フーチャンプルーの涙』
21 22> 23 24 25 土
第6週『はじまりのゴーヤーチャンプルー』
26 27 28 29 30 土
第7週『ソーミンチャンプルーvsペペロンチーノ』
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第8週『再会のマルゲリータ』
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第9週『てびち!てびち!てびち!!』
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第10週『あの日、イカスミジューシー』
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第11週『ポークとたまごと男と女』
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第12週『古酒(くーす)交差点』
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第13週『黒砂糖のキッス』
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第14週『渚の、魚てんぷら』
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第15週『ウークイの夜』
71 72 73 74 75 土
第16週『御三味(うさんみ)に愛をこめて』
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