連続テレビ小説「ちむどんどん」〔全120回〕 (第44回・2022/6/9) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『ちむどんどん』
公式リンク:Website、Twitter、Instagram
第44回〔全120回〕/第9週『てびち!てびち!てびち!!』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
暢子(黒島結菜)は、おでん屋で働く中で、フォンターナのオーナー、房子(原田美枝子)の秘められた過去を知ることになる。その頃、賢秀(竜星涼)は手を染めていた怪しげな飲料を売るビジネスが急展開…そして、思わぬ結果を迎えることに。おでん屋の立て直しに苦戦していた暢子は、料理の基本を大事にすることを痛感して、賢秀と過ごす中で苦境を打開する大きなヒントを手にする。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:羽原大介(過去作/マッサン、昭和元禄落語心中、スパイラル~町工場の奇跡~)
脚本協力:新井静流(過去作/舞台「未来記の番人」)
演出:木村隆文(過去作/ひまわり、梅ちゃん先生、ごちそうさん、なつぞら) 第1,2,3,6週
松園武大(過去作/おひさま、とと姉ちゃん、半分、青い。、エール) 第4,5,7週
中野亮平(過去作/花子とアン、マッサン、あさが来た、べっぴんさん) 第8週
大野陽平(過去作/Eテレドラマ「あやとり」脚本兼、ここは今から倫理です。) 第9週
音楽:岡部啓一(過去作/真夜中のパン屋さん)
高田龍一(過去作/ドラマ劇伴無し)
帆足圭吾(過去作/真夜中のパン屋さん)
主題歌:三浦大知「燦燦」
語り:ジョン・カビラ
制作統括:小林大児(過去作/演出:ちゅらさん4、てっぱん、純と愛、CP:ミス・ジコチュー)
藤並英樹(過去作/演出:てっぱん、純と愛、CP:第3夜 転・コウ・生)
※敬称略
離脱中でも、今回の15分は見た方が良い人は…
感想に入る前に。既に継続視聴から離脱して、当ブログの感想だけ読んで下さっている “貴重な読者さん” に向けた、お得情報だ。
まず、子役が演じた「子ども時代」が好きだった人は、今回は見た方が良い。ガッツリと「新作の回想シーン」が見られるから(笑)
また、脚本や演出を勉強している人、脚本や演出のことを知ってドラマをより楽しみたい人も、見た方が良い。こんなに最適な「反面教師」はめったにないから(笑)
今回の本編の感想に入る前に…
改めまして… ハイサイ~ 皆さん、管理人の “みっきー” です!
決して、情緒不安定では無いです(汗)ご心配なく。
ただ、今作への向き合い方を変えただけです。
ということで、今回の本編の感想に入る前に、前回を見て思ったことを、まずは、つらつらと書いてみる。
「まくとぅーそーけーなんくるないさ」の意味について…
まず、前回の感想で軽く紹介した、私に「“イライラする” の沖縄方言」を教えてくれた、沖縄生まれ育ちの知人が、今作を見て思ったことをメールしてくれたので、そこから許可を得て抜粋しつつ書いてみる。
そこで、思い出して欲しいのが、4月11日放送の第1話の冒頭で、父・賢三(大森南朋)が暢子(稲垣来泉)に言った台詞だ。
賢三「言いたいやつには 言わしておけばいいさ。
暢子は 暢子のままで上等。
自分の信じた道を行け。
まくとぅそーけー なんくるないさ。
正しいと信じて筋を通せば 答えは 必ず見つかるからよ(字幕ママ)」
知人が言うには、「まくとぅーそーけーなんくるないさ」とは、「人事を尽くして天命を待つ」だと。
そこで、意外に「人事を尽くして天命を待つ」という慣用句を好きでない人がいることをご存知だろうか?
要するに、人として正しいこと、やるべきことはやった。あとは成り行きに任せよう」という、ちょっと最後が “他力本願” 的な部分を嫌いな人がいるのだ。
しかし、沖縄の人たちが古くから信仰している「琉球神道」は、「琉球古神道」といわれる、海、森、川、泉などの自然そのものを「御嶽(オタケ,オタキ)=沖縄で神を祀る聖なる場所」とする自然崇拝や祖先崇拝が基本なのだ。
だから、「しまんちゅ(沖縄の島の人)」や「うちなーんちゅ(沖縄生まれの人)」にとっては「天命を待つ」は、私のような「ないちゃー(本土の人、内地の人)」の「成り行きに任せる」とは、根本的な意味合いが違うと思われる。
要するに、うちなーんちゅにとって…
天命とは、天に与えられた命令で、神様が「やー(お前)は、こうなるのだ!」と決めたことと同意ってこと。
さあ、話を『ちむどんどん』に戻しますよ。
要するに、父・賢三が暢子に伝えたかったのは、「人として正しいこと、やるべきことをすべてやれば、あとは神様が教えてくれる」という意味合いなのだ(間違っていたら、コメント欄で教えて下さい…)
しかし、『ちむどんどん』で、賢三亡き後の比嘉家は、どうだろう?
大袈裟に書けば、「いつまでも家族でじゃれ合って(助け合って)いれば、なんとかなるさ」と思い込んでいるようにしか見えない。いや、そう信じて、脚本家や演出家が描いているようにしか見えないのだ。
うちなーんちゅの私の知人は、そここそが最大に “わじわじー(イライラ)する” と言うのだ。
いや、ないちゃーの私も、負けず劣らずに “わじわじー” するが(苦笑)
前作『カムカムエヴリバディ』も"食べ物"が題材だった…
よぉ~し。今回は久し振りにテンションが上がってきたから、続きも書こう。
『ちむどんどん』があまりにもひどいので、忘れているかも知れないから、呼び起こそう。
実は、前作『カムカムエヴリバディ』も今作同様に “食べ物” を題材に扱っていたのを思い出していただきたい。そう、次のキャプチャー画像を見れば、思い出す人も多いのでは?

©NHK
2021年12月17日放送の第35回では、次のような台詞があった。
安子「祖父の代から 受け継がれとるものです。
小豆を炊きながら 唱えるんです。
『小豆の声を聴けえ。時計に頼るな。目を離すな。
何ゅうしてほしいか 小豆が教えてくれる』」
安子・杵太郎(回想)「食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべえ」
そう。『カムカムエヴリバディ』では、「食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべ」て、「おいしゅうなれ」と念じてつくれば、「その気持ちが 小豆に乗り移る」「うんと おいしゅうなってくれる」「あめぇ あんこが できる」と描いていたのだ。
この 《あんこのおまじない》 を、そのまま今の暢子(黒島結菜)に突きつけてやりたい。
そして、先日も書いた通り、今作では、父・賢三が、賢三亡き後は母・優子(仲間由紀恵)が、暢子に料理を教える時に、最低でも「食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべえ」と教えるシーンをつくって、繰り返すべきだったと思う。
そう、《比嘉家のおまじない》 だ。「○○は、○○のままで上等」ではなく、「□□さんの幸せそうな顔を思い浮かべえ」とすれば、クズなニーニーも、呑気な母もいなかったと思う。
というわけで、比嘉家の小豆は既に焦げているが。それでも、なべ底まで焦げ臭くない。だから、今回のよう「新作の回想シーン」が、ちょっとは効力を発揮するのだ。
ヨシの言う通り「暢子と房子が親戚」なら辻褄が…
さて、今回の本編の感想だ。もう、アバンタイトルの1分過ぎで完全に落胆モードだ。それを確定させたのが、次のヨシ(大島蓉子)の台詞だ。
ヨシ「何も知らないのかい? 親戚なんだろ?」
はい、ここで歴史のお勉強だ。下記が、比嘉家の歴史年表だ(間違いがあるかも知れないが)。
・昭和39年(1964年)父・賢三が心臓発作により死去。
・昭和47年(1972年)暢子が高校を卒業し上京、イタリアンレストランに就職。
・昭和48年(1973年)暢子が新聞社で修業。
・昭和49年(1974年)冬(現在)。
年表を見るとわかる通り。劇中の現在から、約10年前に父・賢三が亡くなって、その年に房子(原田美枝子)から例の “申し出” があった。
この10年間を “僅か” と捉えるか “だいぶ前” と捉えるかは人それぞれだと思うし、“父方の親戚” だから… と捉える向きもあろう。
しかし、賢三が亡くなって、相当切羽詰まった状況で、藁をもつかむ思いだった比嘉家に、温かい手を差し伸べてくれた、ご縁としても物理的にも遠い東京在住の夫方の親戚、それが房子だ。
だったら、それから、7~8年後に、娘が独りで上京するのだから、普通の母親なら、心配で連絡を取るのではないだろうか。
そもそも、おかしいのは、房子側は比嘉家の連絡先や家族構成を知っているのに、優子側は知らないのかって?
三郎を上手く利用すれば、親戚関係が破綻しなかったかも…
こんなのだって、脚本で、いくらでも、あとから補強できたのだ。
もちろん、ドラマの撮影は脚本のシーンの順番に撮影(「順撮り」のこと)しない。だから、不可能な時もあるが、やる気になれば追加で撮影すれば良いし、ナレーション処理でもイケる。
で、どうやれば良かったのか?
私の案では。三郎(片岡鶴太郎)を使うのだ。
三郎が生前の賢三と、鶴見の沖縄料理居酒屋「あまゆ」で親交があったのは描写済み。だったら、優子は賢三から三郎のことを “東京で世話になった県人会の人” として住所など含めて話をしていたことにすれば良かったのだ。
で、優子は暢子を上京させる際に三郎に娘を託す。それだけ…
そうすれば、あの意味不明な放浪劇は必要なかった。なぜ、三郎と賢三が音信不通になったのかは、後出しジャンケンで語られる可能性はあるが。
でも、これまでの三郎の描写を見る限り、賢三に対して悪い印象を抱いていていない様子だから、それなら年賀状のやり取りくらいはやっている設定でも良かったような。
おっと、これと同じことを前作『カムカムエヴリバディ』で、るい(深津絵里)夫婦が、散々世話になったクリーニング店の竹村夫婦と不自然に疎遠だったのを思い出してしまった。
とにかく、核家族化が進んでいるからなのか、最近のドラマは “家族” や “親戚” や “知り合い” の描写が実に雑。まあ、今作も例に漏れない… ということだ。
最も肝心な部分を、回想の後出しジャンケンにするとは???
アバンタイトル以外は、取り上げる必要もない程度の描写の連続だ。
ただ、驚いたのは、在りし日の賢三が暢子に言った、次の台詞を後出しジャンケンで盛り込んで来たことだ。
賢三(回想)「基本の出汁は 当たり前で地味だけど それが 一番大事」
また、後出しだ。もう、失笑とか苦笑とか書いているレベルではない。敢えて書くなら(怒)だろうか?
恐らく、NHKは提灯記事を挙げて “回収だ” とPR合戦するのだろう。不勉強な視聴者も「回収キター!!」と騒ぐかもしれない。
しかし、これは、ただただ、子ども時代を丁寧に描いてこないで、騒動至上主義で突き進んできたから、盛り込む場所が見失っただけだ。
そう、脚本家の単なる “自己弁護” であり、強引な “正当化” であり、こんなのを “回収” とは呼ばない。
この意味では、 《あんこのおまじない》 はスゴかったとは思う…
比嘉家秘伝の 《ダシのおまじない》 があっても良かった…
ここで、前述の沖縄の知人の話を拝借するが。
沖縄料理を表現する沖縄方言に、「アジクーター」や「ダシケームン」という言葉があるそうだ。
「アジクーター」とは、「豚や鰹節などの旨みを含んだコクのある味(濃い味ではない)」という意味。
「ダシケームン」は「出汁を食べるもの」の意味。
だから、沖縄そばの麺はおまけみたいなものだそうだ。
そういう事実があるなら、比嘉家秘伝の 《ダシのおまじない》 があっても良かったのだ。
あとがき(その1)
ラストの暢子、「和彦君 ありがとう!」って? まずは、「ごめんなさい」じゃないの?
もう、内容には期待しないけど、子どもも見る朝ドラだから、ちゃんと「自分が間違ったら、謝る」を描いてくれないと…
あとがき(その2)
もう、細かいことは無視しないと。例えば、詳しく書かないが、房子のおでん屋台から始めて、イタリアに修行して… の経歴も、なんか怪しいし。
まあ、今作については、ここまで後出しジャンケンをやるので、時系列や年表的なことは無視した方が良いと思います。
あとがき(その3)
そして、今回の15分も、まあ、見なくても済むと言えば済みますね。どうせ、明日は金曜日なので総括するでしょうし、おでん屋修行も今週で終わるでしょうね。
個人的には、暢子に「さっさと、情弱な歌子のために、イカスミジューシーをつくってやれ!」と言いたいです。それを来週やったら、ちょっとは “回収” になると思います。
ちむどんどんさしみてぃくぃみそーれー
※「胸がわくわくする気持ちにさせてください」の意味。
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【これまでの感想】
第1週『シークワーサーの少女』
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第2週『別れの沖縄そば』
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第3週『悩めるサーターアンダギー』
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第4週『青春ナポリタン』
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第8週『再会のマルゲリータ』
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第9週『てびち!てびち!てびち!!』
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