連続テレビ小説「ちむどんどん」〔全120回〕 (第10回・2022/4/22) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『ちむどんどん』
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第10回〔全120回〕/第2週『別れの沖縄そば』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
東京の遠い親戚からの申し出は、「四人のこどものうち、ひとり預かってもいい」というものだった。誰を行かせるべきか。家族と離れるのは誰なのか。本当は四人の兄妹、誰も行きたくはなかった。悩む優子(仲間由紀恵)。さまざまな葛藤の末に、暢子が自ら「東京に行きたい!」と…。そして、やんばるを去る史彦(戸次重幸)、和彦(田中奏生)とともに、暢子(稲垣来泉)が家族と離れる日がやってきた…
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:羽原大介(過去作/マッサン、昭和元禄落語心中、スパイラル~町工場の奇跡~)
演出:木村隆文(過去作/ひまわり、梅ちゃん先生、ごちそうさん、なつぞら) 第1,2週
松園武大(過去作/おひさま、とと姉ちゃん、半分、青い。、エール)
中野亮平(過去作/花子とアン、マッサン、あさが来た、べっぴんさん)
音楽:岡部啓一(過去作/真夜中のパン屋さん)
高田龍一(過去作/ドラマ劇伴無し)
帆足圭吾(過去作/真夜中のパン屋さん)
主題歌:三浦大知「燦燦」
語り:ジョン・カビラ
制作統括:小林大児(過去作/昭和元禄落語心中、赤ひげ2,3、ミス・ジコチュー)
藤並英樹(過去作/今だから新作ドラマ作ってみました/第3夜 転・コウ・生、いないかもしれない)
※敬称略
こう言う展開を"肩透かし"とか"期待外れ"と言うべき?
こう言う展開を “肩透かし” とか “期待外れ” と言うべきなのだろうか? これまで “9回分も” 割いて描いて来たことが、この1回で台無しだとハッキリ言いたい。まず、序盤で、敢えて母・優子(仲間由紀恵)に言わせた次の二つの台詞だが…
優子「暢子のそばは お父ちゃんのそばの味だもんね」
優子「『ごめんなさい』と『ありがとう』が言えるのが 暢子の 一番いいところ」
私は、こう言う台詞を単純にもっと混ぜたら良かったと思う。
もっと「そばづくり」や「躾け」も入れるべきだった…
もちろん、“クドい” とか “あざとい” と思われるかも知れない。しかし、これまで優子が暢子に言わなかったことの方が不自然なのだ。なぜなら、今作の序章の序章である主人公の子ども時代を描いている時に、「主人公は、こんな人です」と明示するのは当然のことだから。
むしろ、もっと「そばづくり」や「躾け」のシーンを具体的に盛り込んでも良い位だ。そう言うのが “ドラマ” なのだから。やらずに “感じろ” と言うのは無茶過ぎると思う。これについては、「家族写真」や「墓参り」も先日書いた通り、少な過ぎるのだ…
バスの別れのシーンに今一つ感動できなかった原因は…
今回ですご~く気になったのは、バスの別れのシーンだ。
もちろん、『ひよっこ』でのヒロインが上京するシーンの方が、何十倍も感動的だった… と言うわけでは無い。しかし、一言云うなら、感動し難かったのは、たったワンカットの “ドローンの空撮カット” だと思っている。そう、あの “ドローンの空撮カット” が時代を令和にしてしまったのだ。所謂、興醒めと言うやつだ。
単純にバスの中からと、バスの背後からのカットの切り替えでストレートに登場人物の心情を切り返して見せるべきだった。なのに、あのカットで “客観視” を入れてしまったから興醒めするのだ。演出家が技術に溺れると言うのは、こう言うことを示すのだ。
バスでレストランにも行ったのなら、記念写真は撮らなかったの?
いや、私が言いたかったのは、これではない。先日、青柳家の誘いで比嘉家が那覇のレストランに行くくだりがあった。あの時、私は、「“食” と言うのは、行き帰りも含めて “食” であり、“家族の食事” だから、往路のワクワク感や帰路の満足感も描くべきでは?」と書いた。
しかし、今回で、余程の事情がない限り、両家はバスでレストランに行った可能性が高い。だったら、なぜ写真を撮らなかったのか? ってこと。だって、史彦(戸次重幸)はいつも首からカメラを提げている人では無いか。もちろん、平成や令和でも無いから、料理の写真なんて撮影はしない。
しかし、昭和の、それも沖縄の、それも東京と沖縄の2つの家族の、最初の(最後かも知れない)外食なら、記念写真を撮るのが自然なのでは? そして、その写真があれば…
料理を徹底的に描いてこそ、家族や四兄妹が活きて来るのに
今作のテーマは、基本的に第一に “料理” なのは、ほぼ間違いない。それも、これまでの描写を見れば、“亡き父から教わった味” と言うのも関連する重要な要素だ。だから、その味を一緒に食べて記憶にある、“家族” や “四兄妹” も重要な要素なのだ。
だから、運動会のくだりでも、ズックや体操着を扱うにしても、確かに父が亡くなったから “貧乏” になって… と言う部分があるにせよ、正確には父が生前の時からズックや体操着のことは話題にあがっていたわけで。描くべきは、ズックや体操着を買えない事情は父との関り、父との思い出であり、子どもたちのいざこざやトラブルでは無かったと思う。
もちろん、描くなとは思わない。特に。父親がいなくなったことで変化した《子どもたちの社会》での関係性や立場の違いは、沖縄と言う地域性を描く上でも、キャラクターを描く上でも必要だったと思う。しかし、世間で「喧嘩両成敗!?」なんて騒ぐような描写にする必要はなかったと思うのだ。
テーマを含めた、全体のパーツを描くバランスが良くない…
そう、結局、この2週間を見た思ったのは、全体のパーツを描くバランスの悪さだ。やはり、最初に、多めに描くべきは作品の “テーマ” であるべき。そして、次に “テーマ” に関連性の強い “エピソード” であるべき。エピソードを描く中で出て来た要素は、出来るだけ目立たないように忍び込ませた方が無難だってこと。
それを見事に失敗したのが、前作だと思うのだが(自粛)
あとがき
7年後… って? 貧乏生活や借金のことは? 前作ですら、「実は、○〇でした…」とか「のちに、〇〇になりました…」はあったのに。今作は、何のフォローも無く7年後で「第2章」ですか。この感じだと、後日談も無さそうですね。
まあ、“歌子♡LOVE” の私としては、歌子(布施愛織)が父から教わった「椰子の実」を三線で一人で弾いていたのが印象的でした。メロディーをなぞるなら、開放弦が多いので弾き易いですね。大森南朋さんも、歌子役の上白石萌歌さんも三線を特訓したそうなので、ギター好きとしては注目しようと思います。まあ、それ以外は様子見で…(苦笑)
ちむどんどんさしみてぃくぃみそーれー
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16765/
【これまでの感想】
第1週『シークワーサーの少女』
1 2 3 4 5 土
第2週『別れの沖縄そば』
6 7 8 9
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