連続テレビ小説「ちむどんどん」〔全120回〕 (第5回・2022/4/15) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『ちむどんどん』
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第5回〔全120回〕/第1週『シークワーサーの少女』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
暢子(稲垣来泉)たち比嘉家のみんなは、東京からやってきた民俗学者・青柳史彦(戸次重幸)と息子の和彦(田中奏生)と親しくなる。そして家族みんなで、史彦の招待を受けてレストランで食事をすることに。初めて見るきらびやかな西洋料理、さっそうとした料理人の姿に、食いしん坊の暢子は心を奪われてしまう。そんな楽しい日々の後、比嘉家の大黒柱・賢三(大森南朋)の身に不吉な事件が・・・
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:羽原大介(過去作/マッサン、昭和元禄落語心中、スパイラル~町工場の奇跡~)
演出:木村隆文(過去作/ひまわり、梅ちゃん先生、ごちそうさん、なつぞら) 第1週
松園武大(過去作/おひさま、とと姉ちゃん、半分、青い。、エール)
中野亮平(過去作/花子とアン、マッサン、あさが来た、べっぴんさん)
音楽:岡部啓一(過去作/真夜中のパン屋さん)
高田龍一(過去作/ドラマ劇伴無し)
帆足圭吾(過去作/真夜中のパン屋さん)
主題歌:三浦大知「燦燦」
語り:ジョン・カビラ
制作統括:小林大児(過去作/昭和元禄落語心中、赤ひげ2,3、ミス・ジコチュー)
藤並英樹(過去作/今だから新作ドラマ作ってみました/第3夜 転・コウ・生、いないかもしれない)
※敬称略
人物描写の丁寧さ & 登場人物たちへのつくり手の分け隔てのない愛情…
気になる部分は、確かにある。あるから、それは漏れなく、あとで書く。しかし、気になる部分は “あと” にしたくなる、しなければならない位に、いいところがある。それから、書こうと思う。
それは、今作の人物描写の丁寧さ、そして、登場人物たちへのつくり手の分け隔てのない愛情だ。その上で、きちんと主人公、ヒロインを、奇を衒わず、特別扱いせず、引き立てる。それも、脇役を強引に下げずに… だ。そこが、良く見て取れた15分間だった。
イラスト付きで料理のメモを取る暢子を見て思い出す…
冒頭の、イラスト付きで料理のメモを取る主人公・暢子(稲垣来泉)。今なら、デジカメやスマホで他人に見せるための “映え” を気にして料理の写真を撮るのが普通だが。昭和39年、沖縄(とは限らないが)では、いくら「一生の思い出」の料理でも写真を撮るなんてことは一般的でなかった。
しかし、現代で、メモを一生懸命書く暢子を見ると、デジタル記録が一般的でなかった頃の、アナログの記録と記憶が蘇って来た。取り敢えず、何でも撮って残すのではなく、大切なものを自ら選んで大事に残す… みたいな文化。
そして、一つひとつの記録と記憶には、一緒に食べたり見たりした人たちとの思い出がリンクされていて、まるで懐かしい写真を見るかのように、鮮明にその瞬間が頭の中と、心の中に蘇って来て、胸がいっぱいになった、あの頃を思い出した。
今は写真に撮ると全部が記録されたような錯覚に陥って、具体的な味や匂いを忘れてしまうのが寂しい限りだ…
「暢子のメモ」と「♪てぃんさぐぬ花」の共通点…
夜の縁側での夫婦のやり取りも良かった。子どもたちに “いつか話さなければならないこと” を語り合い、子どもたちの寝顔のカットに、父・賢三(大森南朋)の三線の音色が先行する。弾き語っていたのは、沖縄民謡(わらべうた)として今も色褪せない人気の楽曲「♪てぃんさぐぬ花」だ。
「てぃんさぐ」とは「鳳仙花(ホウセンカ)」のこと。劇中の字幕にも歌詞が出ていたが。沖縄では昔、子どもや女性は鳳仙花の赤い汁を、マニキュアのように爪を染める風習があったそう。
そして、この方法は良く染まって色が落ちにくいため、「鳳仙花で詰めを染めること」と同じように「親の教えは、心に深く染めなさい」と言う、子どもたちへの教訓を歌った歌なのだ。
そう、レストランのシーンでの “メモ” も「♪てぃんさぐぬ花」も、どちらも “記憶” や “経験” を定着させることの大切さを描いているのだ。
「シークワーサーの実が取れた日」の経験と「父の倒れた日」の記憶がリンクする
その後に登校中の暢子は、遂に木の高い所に生ったシークワーサーの実をもぎ取ることに成功する。そして、あの独特な深みのある酸味と香りを満喫する。しかし、その日は、父の賢三が倒れた日でもある。この二つの “経験” が一つの “記憶” として、暢子に定着されるのだ、きっと。
視聴者がヒロインたちと一緒に"経験する"と言う雰囲気…
今週は、様々な出来事が描かれたが。前回の豚のアブブのこともそうだが、全てがヒロイン・暢子の “記憶” や “経験” を定着させることの大切さを描いて来たとも言えるのではないだろうか。
そして、視聴者は、それらの一部始終を見て聞いて、同時に追体験して来た。単純に、ヒロインの幼少期を “見る” と言うのではなく、ヒロインたちと一緒に “経験する” と言う雰囲気が、今作らしくて新鮮に思えた一週間だった…
「一生の思い出」の"行き"も"帰り"も描くべきだった…
だからこそ、敢えて気になった点も書いておく。
それは、敢えて青柳史彦(戸次重幸)の台詞を「那覇のレストラン」としたならば、第1回で「やんばる地域」と那覇が物理的な距離も文化も離れて違うことを表現したのだから、「山原」から「那覇」に移動する過程、もちろん、“行き” も “帰り” も描くべきだったのでは? と思う。
なぜなら、食や料理を描く今作なのだから、それこそ “移動時間” も「食事」や「外食」の “一部” だと思うから。だって、今作は、これまでも、食事に “誘う” と “ご馳走になる” も、きちんと「食事」や「外食」の “一部” として描いて来たのだ。
もっと食事前の高揚感や、食後の満足感を見てみたかった!
だから、なぜ、暢子にとって「一生の思い出」になる「食事」や「外食」を丁寧に描写しなかったのかなぁと。それこそ、普段はラフな格好の比嘉家の人たちが、全員「襟付きシャツ」で “おめかし” しての「外食」、それも「那覇のレストラン」で「フランス料理」なのだから、もっと食事前の高揚感や、食後の満足感を見てみたかった。
いや、やはり、ヒロインの、ヒロイン含めた四兄妹の、比嘉家6人の、もしかしたら “初めて” か “久し振り” の外食だし、何よりも「一生の思い出」の食事なのだから、第1週としては、もっと盛り込んで丁寧に描写したら良かったと思う。
とは言え、基本的な人間描写が出来ているから、大きな不満はない。でも、大きな不満は無いから、余計に気になるし、勿体ないと思うのだ。
あとがき(その1)
今回は、タイトル映像が後ろに来て、構成が変わっていました。でも、これも新鮮で良かったです。新鮮と言うのか、懐かしいと言うのか。今作から「土曜日版(ダイジェスト版)」の放送が地上波のみになったことを受けてなのか、久し振りにその週の最後の本編の放送の最後に予告編が放送されましたね。
やはり、この方が断然、自然でした。と言うことで、「土曜日版」の感想は必要無いかなと。だって、これって、実質上の「月~金が本編です!宣言」ですから。
あとがき(その2)
最後に、第1週目の感想のまとめ。雑な部分は確かにあります。物足りない描写も、今回書いたようにあります。でも、登場人物の心理描写が丁寧なこと、キャラの描き分けがスムーズなこと、喜怒哀楽が明確に描かれていることなど、概ね良かったです。予想では、もっと四兄妹が乱雑に描かれてしまうのではないかと思っていたので。
第2週も、オーソドックスで良いので、安心して楽しめる朝ドラを期待します。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16743/
【これまでの感想】
第1週『シークワーサーの少女』
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