連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」〔全112回〕 (第95回・2022/3/16) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
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第95回〔全112回〕/第20週『1993-1994』の感想。
※ 本作は、2022年2月26日、NHK大阪放送局で撮影が終了しました。
※ 従って、僅かな編集への期待と、直感的な賛美や愚痴を書いています。
※ 毎日毎日の感想なので、私の感想も毎日変わります。ご理解を。
商店街でダンスを披露し、場を湧かせた算太(濱田岳)ですが、実は病を患っていることが発覚。心配するるい(深津絵里)に、算太はクリスマスプレゼントを渡します。中に入っていた物を見て、過去に思いを馳せるるい。その様子を見ていた錠一郎(オダギリジョー)は、ひなた(川栄李奈)と桃太郎(青木柚)、そして算太を連れて家族で岡山に里帰りしようと提案し…
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作・原案・脚本:藤本有紀(過去作/ちりとてちん)
演出:安達もじり(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく、おちょやん) 第1,2,4,7.8,9,13,17,20週
橋爪紳一朗(過去作/てっぱん、花子とアン、半分、青い。、エール) 第3,5,7,15,16週
泉並敬眞(過去作/まんぷく、スカーレット、六畳間のピアノマン) 第11週
深川貴志(過去作/花燃ゆ、とと姉ちゃん、半分、青い。、麒麟がくる)
松岡一史(過去作/まんぷく、心の傷を癒すということ) 第10,12,19週
二見大輔(過去作/半分、青い。、なつぞら、伝説のお母さん) 第6,14週
石川慎一郎(過去作/オーディオドラマ「極楽プリズン」、閻魔堂沙羅の推理奇譚) 第18週
音楽:金子隆博(過去作/Q10、三毛猫ホームズの推理 、あいの結婚相談所)
演奏:BIG HORNS BEE(過去作/米米CLUBのホーンセッション)
主題歌:『アルデバラン』(作詞・作曲:森山直太朗、編曲:斎藤ネコ、歌:AI)
語り:城田優
制作統括:堀之内礼二郎(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく)
櫻井賢(過去作/4号警備、透明なゆりかご)
※敬称略
ここまで"連ドラ"としての違和感が充満していると、息苦しくなる
既にクランクアップを終え、この先が “ほぼ期待薄” と、私は前回で “ほぼ確定” させてしまったから、毎回の感想の投稿の冒頭に書いてあるような「僅かな編集への期待と、直感的な賛美」は殆どなくて、愚痴と、届かぬ改善案くらいしか書けない状態の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』。
「安子編」の頃、そして「るい編」の生みのシーンの頃には、まさかこんな状態になるとは思いもしなかった。だから、月曜日は称賛した。しかし、前回と今回は感想を書くのがしんどい。と言うか、本来は楽しみたいし、笑いたいし、褒めたいのだ。
しかし、たったの15分間なのに、ここまで溢れんばかりの “連ドラ” としての違和感が充満していると、息苦しくなる。だから、深呼吸をして、気持ちを入れ替えるつもりで、真摯に向き合って感想としてまとめようと思う。
こんなアバンなら、算太は食事中に倒れるだけで良かった…
さて、アバンタイトルだ。結局、火曜日に何があろうが、水曜日のアバンでは、算太(濱田岳)は倒れて寝込む設定だったのだ。だったら、食事中に倒れるだけで良かったってこと。たった、それだけのことで違和感は、それなりに払拭できたのだ。
アバンの違和感の原因は、前回でダンスした算太伯父さん!
では、何が違和感なのか? それは、演出家が久し振りに登場した算太に尺を与えて見せ場を作りたい! の一心で撮影した、前回の商店街での元気なダンス姿を披露して、その場を湧かせた算太伯父さんを描いちゃったからに他ならない。
算太の倒れた原因が、不明瞭のままなのが嫌なのだ…
ここ、私の解釈がちょっと捻くれているから解説するが。要は、気になるのは「算太が倒れた原因(ゆくゆくは “死因” に繋がるが…)」なのだ。そう、「商店街で年甲斐もなくダンスを張り切り過ぎた過労」なのか、それとも「年相応の加齢による衰弱」なのか? ってこと。
これ、どっちでも、おかしいのがお判り頂けるだろうか。前者だと、前回同様になるが、算太のダンスを黙認した るい(深津絵里)が気遣い無き “人でなし” ってことになってしまう。
で、後者だと、ほぼ同い年の設定である清子(松原智恵子)と差があり過ぎるってこと。だって、清子は算太のことを覚えているし、そもそも、清子なんて、ちょっと “とぼけた” 味わいと “ボケた” 愛らしさを上手く利用して、独特な可愛いオバサンキャラに仕立てているのだ。だったら、算太も同様で良いと思ってしまう。
算太で2日間も跨いで欲張るから、違和感だらけになる
結局、「算太のダンスは見せたい」が「算太は倒れて貰わないと困る」と言う相反することを、強引に放送日を跨いで描こうとするから、違和感だらけになるのだ。最初に書いたように、算太が大月家に来て、夕食中に倒れれば良かったのだ。そうすれば、前回にあった、るいからの衝撃の告白も書く場面は無くなった可能性もあるのだから…
クリスマスプレゼントを渡す"タイミング"も不自然過ぎる
違和感ついでに書くと、アバンでの “クリスマスプレゼントを渡すタイミング” も不自然過ぎる。前回で再会して親戚だと打ち明けた時に手渡せば良かっただけのこと。
それなのに、ダンスして、倒れて、床に伏している時に、布団の下かこたつの中からプレゼントを!? まあ、そこまでツッコミを入れるなら、寒暖差の激しい盆地の京都の雪舞うクリスマスの日に、70歳前後の人が床に伏しているのに、石油ストーブはギリギリ点いているが、ガラス戸も開けっ放しって?
もう、どうでも良いが、せめて気にならないように創って欲しい…
るいが里帰りしようがしまいが、どっちだって良い
算太が亡くなって、るいによる長~~~~い演説で、描かれなかった時間の解説、おっと、正しくは辻褄合わせと自己満足があって、年が明けた夏に里帰りだ。まあ、るいが里帰りしようがしまいが、どっちだって良いのだ。だって、ドラマはとっくに「ひなた編」になっているのだから。
でも、多数派なのか少数派なのか知らないが、少なからず妄信的な擁護派がいて、ネット上の SNSでは前回を「神回だ!」とか「奇跡の伏線回収!」と、NHK発信の記事と相まって狂喜乱舞まがいの大騒ぎだから、きっと今回もそれを狙って創っているのだろう。
里帰りした母るいが、息子に云った一言が引っ掛かった
しかし、私は、謂わば冷静な脳内補完派だ。だから、早速、次の台詞が引っ掛かった。
桃太郎「それ はよ言うてな!」
る い「聞かへんさかい」
大月一家が雉真の豪邸の前まで来て、桃太郎(青木柚)が「雉真家」に驚くシーンでの、母子のやり取りだ。ここで、思い出すのが前回での ひなたの次の台詞だ。
ひなた「私ら 親戚がいいひんて聞いてたし」
そう、るいは娘ひなたに「親戚はいない」と言い聞かせていたはず。なのに、今回では「聞いて来ないから、言わなかった」と? これを意味不明と言わずして、何と例えるのか。適当に脚本を書くにも程があるし、それを鵜呑みに演技させるのも、どうかと思うが…
立派になった勇が玄関の表に出て来るタイミングにも違和感
で、目黒祐樹さんと多岐川裕美さんが、若い頃の面影がほぼゼロだとか、見た目の年齢差とか、あちこち気にはなるが、まあ、それはお二人が悪いわけでないし。まあ、それ以前に、豪邸の玄関先の路上で話している大月一家のところへ、勇 (目黒祐樹)が突然家の中から出て来て「るいか?」って。
あんなに待ちわびているなら、玄関を出て待っていれば… と言いたいところだし。相変わらず “野球が大好き” で野球中継がいい場面なら、なぜあのタイミングで出て来たのか分からないし。その他にも、あちこちツッコミどころ満載だが面倒なので省略。
里帰りのくだりで最も困ったのが、るいの次の台詞!
で、里帰りのくだりで最も困ったのが、るいの次の台詞だ。
るい「聞いてます。橘の家のお墓 あれからずっと
勇叔父さんと雪衣さんとで世話してくれてはるて」
え~~~~~と、誰から聞いたの? だって、るいは前回で次のように大見えを切っていたのだ。
るい「あんまり覚えてへんの。岡山にいた頃のことは」
この台詞によって、るいは雉真家と何十年も電話の手紙も年賀状などのやり取りを含めた連絡の一切を取っていなかったことが描かれたばかりなのだ。それなのに「聞いてます」って。一体、誰から、いつ聞いたのだろう? その他にも、るいは雪衣に「会社 順調みたいですね」と、実は興味を持って調べていた風に描かれたり。
もう、一時停止と再生を繰り返すは疲れたから、ツッコミはこれで止めておくが…
雉真家と竹村夫妻と≪るいは、連絡を取り合っている≫ように描けば良かっただけ…
届かぬ思いと分かっているが、敢えて、こっちは書いておきたい。
それは、るいが、子どもたちに何をどう伝えようが構わない。るいが、母の安子や、育ての親の雉真家の人たちや、今回藤樹しなかった大阪のクリーニング店の竹村夫婦のことについても、≪るいは、連絡を取り合っている≫ように描けば良かっただけのこと。
特に、雉真家については岡山の有名な企業なのだから、さり気なく店内にカレンダーがさがっているだけで≪るいは、連絡を取り合っている≫と分かるし、竹村夫婦についてだって、竹村夫妻の還暦のお祝いの笑顔の写真が戸棚に飾ってあるだけでも≪るいは、連絡を取り合っている≫と分かるのだ。
いくらでも、るいを"人でなし"でなく印象付ける脚本も演出も出来たはず
そう、ちょっとした備品でも描けるし、「るい編」の初期の頃のように、オバサンになった るいが、たまに少年野球の球児たちが店に忘れたボールをカッコ良く投げて渡すとか、洗濯物にアイロンをかけている時に錠一郎が「流石、昔取った杵柄だね」と言うとか。
いくらでも、るいを “人でなし” でなく印象付ける脚本も演出も出来たはずなのだ。そして、それらをやっていれば、私のような “冷静な脳内補完派” をも、「るいは子どもだったから、雉真家に育てられた恩義を理解できなかっただけ」と、誤魔化せたと思う。
あとがき(その1)
きっと、今回は、前回以上に過去の映像がインサート(挿入)されましたし、あちこち過去とリンクさせたような言い回しが多かったので、「神回だ!」とか「奇跡の伏線回収!」の絶賛の嵐を印象付けるネット記事が出回るでしょうね。
でも、上記のように見れば、今回のエピソードが、これまでの雑な描写や、前回の強引な辻褄合わせが、完全に足枷になって、より脚本が破綻していることと、演出がそれに輪を掛けてしまっていることが露呈してしまったと言わざるを得ません。
あとがき(その2)
ただ、ここ最近の視聴者の SNS投稿ではなく、ネットニュースを含めたNHK由来の番宣記事をよく読んでみると分かるのですが、今週に入ってから、「回収」と言う単語がめっきり減っているのです。先週までは溢れ返っていたのに。
だって、先週までは、「メインキャストやメインの登場人物の再登場」や「過去の出来事の焼き直し」や「無茶な展開の辻褄合わせ」を “回収” と言っていたのですよ。私に言わせれば、前回なんて、るいの人でなしの原因を見事に解決した “回収だらけ” でしたよ。
結局、NHKも視聴者も「連ドラに於ける “伏線” と “回収」が何であるのか、ちゃんと理解していないってことです。
あとがき(その3)
まあ、愚痴ばかり書きましたが。私の唯一の救いは、当ブログの読者さんの中に、特に、お手間を取らせて恐縮の限りですが、わざわざ Web拍手を押して下さったり、コメント投稿して下さったりする方々が、「連ドラに於ける “伏線” と “回収」が何であるのかをご存じだと言うことです。
その上で、毎日『カムカムエヴリバディ』を見て、当ブログの感想を読んで、反応して下さるから、頑張れるのです。と言うわけで、かなり期待薄ですが、期待ゼロではないので、最終回まで一緒に見届けたいと思います!
明るくなぁれ、楽しくなぁれ…(Be cheerful, be joyful...)
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16659/
【これまでの感想】
第1週『1925-1939』
1 2 3 4 5 土
第2週『1939~1941』
6 7 8 9 10 土
第3週『1942-1943』
11 12 13 14 15 土
第4週『1943~1945』
16 17 18 19 20 土
第5週『1946~1948』
21 22 23 24 25 土
第6週『1948』
26 27 28 29 30 土
第7週『1948-1651』
31 32 33 34 35 土
第8週『1951-1962』
36 37 38 39 40 土
第9週『1962』
41 42
妄想第1回『るいのための貯金』
妄想第2回『算太が町にやって来た』
第10週『1962』
43 44 45 46 47 土
第11週『1962-1963』
48 49 50 51 52 土
第12週『1963-1964』
53 54 55 56 57 土
第13週『1964-1965』
58 59 60 61 62 土
第14週『1965-1976』
63 64 65 66 67 土
第15週『1976-1983』
68 69 70 71 72 土
第16週『1983』
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第17週『1983-1984』
78 79 80 81 82 土
第18週『1984-1992』
83 84 85 86 87 土
第19週『1992-1993』
88 89 90 91 92 土
第20週『1993-1994』
93 94
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