ミステリと言う勿れ (第10話・2022/3/14) 感想

フジテレビ系・月9『ミステリと言う勿れ』
公式リンク:Website、twitter、Instagram
第10話『ファイナルエピソード!さようなら、ライカさん…』
ライカとの別れ。』の感想。
なお、原作となった漫画、田村由美『ミステリと言う勿れ』は、未読。また、本作は2021年11月下旬に全話をクランクアップ(撮影終了)しているため、感想には要望などは基本的に書かずに、単純な感想のみとします。
整(菅田将暉)はライカ(門脇麦)と一緒に初詣に行くことになり、緊張する。ライカが病院で‘千夜子’と呼ばれたことが気になる風呂光(伊藤沙莉)は、パトロール中に楽しそうに笑う整とライカの姿を目にする。そんな中、整はライカの誘いで焼き肉店へ。慣れない整は店員の邦夫(堀部圭亮)に迷惑がられながらも、邦夫の娘の沙也加(志田未来)にお薦め料理を尋ねると…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:田村由美『ミステリと言う勿れ』
脚本:相沢友子(過去作/鍵のかかった部屋、ビブリア古書堂の事件手帖)
脚本協力:烏丸棗(過去作/死役所) 第8,9話
演出:松山博昭(過去作/鍵のかかった部屋、トレース~科捜研の男) 第1,2,3,5,6,7,10話
品田俊介(過去作/ルパンの娘1-2、探偵の探偵、ナオミとカナコ) 第4話
相沢秀幸(過去作/アンサング・シンデレラ、トレース~科捜研の男、SUPER RICH) 第8,9話
共同演出:阿部博行(過去作/ココア、シャーロック アントールドストーリーズ) 第6話
音楽:Ken Arai(過去作/鍵のかかった部屋、トレース~科捜研の男~)
主題歌:King Gnu「カメレオン」
一見アッサリ気味の事件と、奥深い心の問題の事件の二重底構造
いつもの今作なら、「見えている事件」と「見えていない事件」の “二重底” な構造が興味深いのだが。今回は、一見 “アッサリ気味” の「見えている事件」と、“奥深い心の問題” を描いた「見えていない事件」の “二重底” な構造が見事だった。
簡単に「いい話だった」とか「しみじみした」と言えない!
とにかく、今回のエピソード、私の感覚では、簡単に「いい話だった…」とか「しみじみした…」と論じられるような内容では無かった。確かに、「見えている事件」である<焼き肉店強盗事件」の方は、お世辞にも複雑怪奇な内容ではない。
しかし、人質となっていた沙也加(志田未来)が “普通の人” で “突発的” に起きた事件への “対処” としては、かなり今作らしい「謎解きゲーム」に仕上がっていた。これを “アッサリ気味” と評してしまうのは間違っているかも知れない。
そして、もう一つは「ライカ(門脇麦)の心の闇」だ。やはり、こっちは安易に「いい話」「しみじみ」と評するのは私は出来ない。
ライカの"千夜子の痛みや苦しみを引き受けるために生まれてきた人格"の切なさ
私の解釈が間違っていないとは限らないが、観たまま感じたままを綴ってみる。
《千夜子》が幼少期に父親から性的虐待を受けている時に、その死に値するような苦痛から逃れるために防御本能が働いたのか、逃避行動が意識を乖離させたのか、父親が唯一愛していた「ライカ社製のカメラ」が目に入り、そこへ自分自身を投影して、心の中に別人格の「ライカ」を誕生させた。
切ないのは、ライカが千夜子の痛みや苦しみを引き受けるために生まれてきた人格だと言うことだ。
ライカの"自己認識力と、超越した客観性"が怖くて切ない…
そして、劇中では、その別人格がどんどん増えたが、治療と親の死によって苦痛は減り、それと共に他の別人格も徐々に統合され消え、今は《ライカ》だけが残っている。私は、《ライカ》と言う人格が “生きた人間ではない人格” であることを《ライカ》自身が認識していると言う現実が怖かったし、切ないと思った。
なぜなら、ライカは千夜子を見ているが、千夜子にライカは見えていないのだから。だから、ライカは見えている千夜子の足を鍛えるために病院を抜け出して歩き回っていたと言う。そして、桜の咲く春にはライカも統合されて、消えることを自身が知っている。
これ以上、ライカと千夜子に感情移入すると冷静な感想が書けなくなるから、この辺で止めておくが。
最初に地球周回した動物で、地球に帰還できずに死んだメス犬《ライカ》
因みに、1950年代に旧ソ連の宇宙船スプートニク2号に乗せられたメスの犬の名前も《ライカ》。ライカは「地球軌道を周回した最初の動物(Wikipedia)」として有名な一方で、打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んだ「地球に帰還できずに死んだメスの犬」なのだ。
宇宙犬《ライカ》、名機カメラ《ライカ》、千夜子の《ライカ》の共通点…
実験用動物として選ばれたメスの宇宙犬《ライカ》と、そのカメラでしか撮影できない写真があるとされる《ライカ》と、千夜子の痛みと苦しみを引き受けるためだけに生まれて来た人格《ライカ》に、‘自己犠牲’や‘唯一無二’や‘存在証明’と言った共通項を感じてしまう。
そう思ったのが、次の病室で担当医にライカがポロリとこぼす台詞だ。
ライカ「私は カメラだ
何にも感じないように カメラになった
でも もしかしたら あれが楽しいとか
うれしいってこと なんじゃないかと思う」
医師「それで?」
ライカ「それで 全てが終わって…
それなのに 彼が また会いに来るのを待っている
きっと これからも待ってしまうような気がする
このままだと 消えたくない。
ずっと ここにいたい そう思ってしまう
私がいたら 千夜子は幸せになれないのに」
あとがき
ドラマの感想になっていませんね(謝)
とにかく、ライカと千夜子を見事に演じ分けた門脇麦さんの演技が素晴らしかったです。そして、「解離性同一性障害」を、千夜子から生まれたライカの生い立ちから、ある種の尊厳死的な最期までを使って、丁寧に描いた、秀逸な人間ドラマだったと思います。
また、今回は “無音” の尺を巧みに使って “心の動き” を上手く演出していたことも付け加えておきます。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16655/
【これまでの感想】
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