連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」〔全112回〕 (第93回・2022/3/14) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
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第93回〔全112回〕/第20週『1993-1994』の感想。
※ 本作は、2022年2月26日、NHK大阪放送局で撮影が終了しました。
※ 従って、僅かな編集への期待と、直感的な賛美や愚痴を書いています。
※ 毎日毎日の感想なので、私の感想も毎日変わります。ご理解を。
ひなた(川栄李奈)と弟の桃太郎(青木柚)が大喧嘩(おおげんか)していると、錠一郎(オダギリジョー)がトランペットを手に二人のもとへ。一体なんの冗談かと笑い出す子どもたちに、るい(深津絵里)は、錠一郎がかつてプロのトランぺッターだったことを初めて話して聞かせます。知られざる父の過去を知って驚くひなたと桃太郎。一方、るいは錠一郎のある言葉が気になっていて…
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作・原案・脚本:藤本有紀(過去作/ちりとてちん)
演出:安達もじり(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく、おちょやん) 第1,2,4,7.8,9,13,17,20週
橋爪紳一朗(過去作/てっぱん、花子とアン、半分、青い。、エール) 第3,5,7,15,16週
泉並敬眞(過去作/まんぷく、スカーレット、六畳間のピアノマン) 第11週
深川貴志(過去作/花燃ゆ、とと姉ちゃん、半分、青い。、麒麟がくる)
松岡一史(過去作/まんぷく、心の傷を癒すということ) 第10,12,19週
二見大輔(過去作/半分、青い。、なつぞら、伝説のお母さん) 第6,14週
石川慎一郎(過去作/オーディオドラマ「極楽プリズン」、閻魔堂沙羅の推理奇譚) 第18週
音楽:金子隆博(過去作/Q10、三毛猫ホームズの推理 、あいの結婚相談所)
演奏:BIG HORNS BEE(過去作/米米CLUBのホーンセッション)
主題歌:『アルデバラン』(作詞・作曲:森山直太朗、編曲:斎藤ネコ、歌:AI)
語り:城田優
制作統括:堀之内礼二郎(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく)
櫻井賢(過去作/4号警備、透明なゆりかご)
※敬称略
3週間振りに、アバンと主題歌が"繋がった"ような…
本編の感想に入る前に気付いたことを。
この数週間、主題歌である『アルデバラン』とオープニング映像の内容が、アバンタイトルの内容ととんでもなく乖離しており、毎朝、違和感を覚えては首を傾げる毎日だった。そして、今朝は本作の残り1か月の最初の日。だから、僅かな期待をして見始めた。すると、どうだろう。
アバンの内容の “是非” は置いておいて。全体の雰囲気や、私の「るい編」での良き思い出部分である “結婚に至るまでの過程” が走馬灯のように浮かんで来て、冒頭の歌詞「♪君と私は仲良くなれるかな」に、大月家の 4人が繋がったように見えたのは私だけだろうか?
脚本がダメでも、演出力があれば、それなりに"見られるドラマ"になる
クレジットを見たら、やはり、今週の演出担当は、今作のメイン監督である安達もじり氏だった。何を言いたいのかと言うと。要するに、脚本が書いている内容がどんなに稚拙で訳が分からなくても、演出力があって、それが的確に視聴者へ訴求すれば、内容に関係なく、そこそこ見応えのある “ドラマ” になると言うことだ。
言い換えれば、演出には、それだけの視聴者への誘導力や、物語のけん引力があると言うこと。もちろん、誤った演出が真逆に作用して、視聴者離れや物語の歪曲化を促進することは、直近の前2週分を見れば明らかだ。
錠一郎の台詞の中に、脚本家の意思を感じ取れたのだが…
さて、ここから本編の感想。
私が、今作の “妄信的な信者” でもなければ、“絶対的な擁護派” でないことは、当ブログの常連読者さんなら十分にお分かりだと思うが。その大前提は崩れていないが、今回に重要な台詞があったように思う。それは、中盤の7分頃の錠一郎(オダギリジョー)の次の台詞だ。
錠一郎「何が言いたいかっていうとやな。それでも人生は続いていく」
「何が言いたのかと言うと…」は、私のブログの “口癖” でもあるが。これ、相手に内容を咀嚼して理解して欲しい時に使うと同時に、自分自身で伝えたいことを再確認する時にも使っている。
もしも、今作の脚本家が、そのようなつもりで、自分の頭の中にあることを、錠一郎の台詞を借りて言ったのなら、もしかすると、藤本有紀氏は今作を残りの1か月で “まとめ” ようとしているのかも知れない。“回収” とか “後出しジャンケン” とは別の意味での “連ドラ” としての “一つの着地点” を目掛けて、走り出したかも知れない。
「それでも人生は続いていく」と「On the Sunny Side of the Street」の関係性を考えてみる
だって、「それでも人生は続いていく」と言うのは、今作で「安子編」、「るい編」、「ひなた編」(は、まだ始まったばかりだが)で引用され続けている、ルイ・アームストロングの「On the Sunny Side of the Street(邦題:ひなたの道を)」の “ある歌詞” に通じるからだ。
それが、下記の部分。私の稚拙な和訳も添えさせて頂くが、駅前留学すらしていないから、翻訳の正確性は約束できないが(汗)
♪I used to walk in the shade with my blues on parade
But I’m not afraid… This rover’s crossed over
If I never had a cent
I’d be rich as Rockefeller
Gold dust at my feet
On the sunny side of the street
♪俺は ず~っとブルーズ(憂鬱な様子)を見せびらかすように
日陰の道を歩いて来たんだ
でも もう怖くないぜ…
だって この彷徨える俺さまはジャンル(生き方)を変えたんだから
もし俺が 1セントも持っていなくても
俺はロックフェラーのような金持ちになっただろう
だって 俺さまの足元の金粉を見てみろよ
日の当たる表通りでさ
どうだろう? 憂鬱な様子を見せびらかして、日陰の道を歩いて来たようなジョーが、きっと、るいとの結婚で「生き方を変えた」のだ。
これは、ブルースやジャズ、マイナーかメジャーかと言う拘りを捨てて、黒人の地位向上のために、音楽ジャンルや地位名声を飛び越えて、自由に生きる路線に方向転換をしたルイ・アームストロング自身のことを歌っているのだ(これが、先日紹介した映画『ドリーム』に繋がっているのです)。
残念ながら。まだ三世代のヒロインの共通点を描けていない
そして、「♪On the Sunny Side of the Street」を愛して演奏して来たジョー、それに惚れた妻るい。それ以前には、「♪ひなたの道を」をきっかけに英語やアメリカへ一緒に思いを馳せた安子(上白石萌音)と稔(松村北斗)。
いずれのカップル、夫婦も、“生き方” を変えて、自分自身で足元に金粉を散りばめて、自分で自分の人生の足元を輝かせていたのだ。そして、その孫の “ひなた”も …と、本来は描くべきだったのだが、残念ながら、この脚本では描けていない。
錠一郎の台詞の延長線上に、ひなたの人生を描けるかどうか
なぜなら、「安子編」では「自分で運命は変えられる」と描いておきながら、「るい編」では「大切な人と生きることが “ひなたの道” である」と、描いていることが違うからだ。そして、「ひなた編」では、どちらも述べていない。だって、ひなた(川栄李奈)は “時の流れに身を任せ” て生きているだけだから。
ここが、本作のダメなところ。要するに、物語が進んで行くに従って、訴求力が衰えていくのだから。それでも、今回のジョーの台詞で、改めて描いたのは悪くない。あとは、これの延長戦上に “結末” があるかどうか… だ。
今回の演出で注目したいのが川辺にいた一羽の「アオサギ」
もう1つ、今回の演出で注目したいのが、13分頃の川辺にいた一羽の「アオサギ」。恐らく、演出家が、季節感の創出と、雰囲気を転換させるために撮影した情景カットの一部だと思われるが。意味なく、屋外ロケで「アオサギ」を撮影するはずがない。と言うわけで調べてみると…
「アオサギ」は、"火の鳥"の水鳥版 "水中のフェニックス"
毎月、当ブログでは「満月の記事」を投稿している。ネイティブ・アメリカン民族の間で “満月” に個性的な名称をつけて呼んでいること紹介する記事だが。そのネイティブ・アメリカンの世界では、「アオサギ」は “水中のフェニックス” と呼ばれているそうだ。謂うなら、「火の鳥」の水鳥版だ。
ご存じの通り「火の鳥」は、炎が消えても決して死なずに、再び燃え上がって蘇る “不死鳥” だ。その復活のエネルギー源は “情熱” である。しかし、水鳥であるアオサギの復活のエネルギー源は “内省” だ。内省(ないせい)とは、自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みること。
そう、アオサギは傷ついたり迷ったりした時に、世間の喧騒から逃れて “内省” の時間をとる。そして “答え” を見出し “復活” したら、次の世界へ羽ばたいていくのだ。
このように解釈すると、演出家が、今回を「ジョーの回」として一つの着地点として考えた時に、「アオサギ」を象徴するカットとして使うのが妥当であることが分かると思う。もちろん、あくまでも私の想像の域を出ないが…
あとがき
これまでも、何度も書いていますが。「メインの登場人物の再登場」や「以前のエピソードの続きを描くこと」は “回収” ではありません。それ以前に、連ドラに於いて “以前のネタの回収” なんて、大して重要なことでは無いのです。
重要なのは、しっかりと主人公の心情と言動がエネルギー源となって、丁寧に物語が紡がれることです。そのために、脇役の言動が主人公に影響するなら悪くないのです。しかし、脇役が主従逆になるのはもっての他。そこを履き違えずに進むことを願うばかりです…
明るくなぁれ、楽しくなぁれ…(Be cheerful, be joyful...)
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16652/
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