妻、小学生になる。 (第8話・2022/3/11) 感想

TBS系・金曜ドラマ『妻、小学生になる。』
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第8話『最終章!ママ…いなくならないで』の感想。
なお、原作となった漫画・漫画・村田椰融『妻、小学生になる。』は、既刊10巻(2022年3月4日現在)の全巻既読。
大晦日の夜に突然倒れ、圭介(堤真一)や麻衣(蒔田彩珠)の記憶を一時失くした万理華(毎田暖乃)はそのまま意識を失っていた。千嘉(吉田羊)も一緒に新島家で新年の食卓を囲む中、圭介は貴恵(石田ゆり子)が消えてしまったのではないかと不安を抱く。 “生まれ変わり”の謎を知りたい圭介は、友利(神木隆之介)の提案もあり、小説家の出雲(當真あみ)に会いに彼女のサイン会へ向かうことになる。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:漫画・村田椰融『妻、小学生になる。』
脚本:大島里美(過去作/花燃ゆ、凪のお暇、おカネの切れ目が恋のはじまり)
演出:坪井敏雄(過去作/凪のお暇、カルテット、わたナギ、恋あた、リコカツ) 第1,2,5,8話
山本剛義(過去作/凪のお暇、コウノドリ2、わたナキ、オー!マイ・ボス!、最愛) 第3,6話
大内舞子(過去作/「凪のお暇」AD、恋あた、TOKYO MER) 第4話
加藤尚樹(過去作/コウノドリ1,2、ホワイト・ラボ、MIU404、にぶんのいち夫婦) 第7話
音楽:パスカルズ
主題歌:優河「灯火」
今回の感想の冒頭だけ、どうしても原作に触れたい(ネタバレ無し)
原作となっている漫画は現在連載継続中だから、結末は分からない。また、原作とその実写ドラマ版は基本的に比較しない立場だし、ネタバレもしない。しかし、原作既読者の一人として、今回の感想の冒頭だけ、どうしても原作に触れたい(ネタバレ無し)。従って、それでも「原作は一切知りたくない!」なら、次の章から読んで頂きたい。
なぜ、こんなことを冒頭で書いたのか? 理由は簡単で。要するに、最終回(前後編)直前回として、今回は相当に思い切った展開を持って来て、いま一部で流行っている “回収” を始めたのは、かなり原作に寄せて来たってこと。細かいことはネタバレになるから書かないが。
簡単に言えば、漸く、「貴恵が万理華の身体を “宿借り” している現実に向き合う様子が丁寧に描かれた」と言うこと。原作は “そこ” が肝なのだ。言うなれば、彷徨う貴恵(石田ゆり子)の魂と、それに翻弄される圭介(堤真一)と千嘉(吉田羊)の2つの家族の再生ストーリーが今作。
そこに、聊か強引ではあるが、“連ドラ” として丁寧に幅寄せして来た… と言う感じなのだ。
聊か強引だが、今までの出来事を"回収"するように見えた!
さて、ここから純粋に実写ドラマの感想だ。これまでの今作は「主人公は、万理華なの?」と疑いたくなるほど、万理華(毎田暖乃)と貴恵が中心で、彼女 “たち” と、圭介たちのやり取りや心理描写が中心だった。そう、圭介たちが、万理華と貴恵のことを心配したり愛したり不思議に思ったりする描写が多かったのだ。
しかし、今回は、万理華と貴恵自身が、それぞれ自分の置かれた立場や環境に真剣に向き合う姿が描かれた。これによって、前述のように、聊か強引ではあるが、これまで描いて来たことを “回収” しているように見えたのだ。
これまでの様々な描写が腑に落ちるように、丁寧に描いた!
もしかすると、「生まれ変わり」だと思って来た人にとっては、期待と違う “回収” だったかも知れない。しかし、“連ドラ” として考えれば、これまでの様々な描写が腑に落ちるように、丁寧に描いたと思う。
第1話から蒔いて来た種が、芽を出し、葉が生え、ツボミが膨らんで来た今、咲こうとしている花がどんな花で、どのように散るのか、それとも満開で終わるのか。その辺を、上手くオブラートに包んで、最終回前編へ引導を渡したのは上手いと思う。
これまでよりも"シリアスとコミカルのバランスが絶妙"に!
そして、今回で良かったところを、まだまだ紹介したい。まずは、これまでよりも “シリアスとコミカルのバランスが絶妙” になったこと。とにかく、シリアスもコミカルも、それぞれ振り幅が大きいのが良かった。
そのため、当然、全体にメリハリが生まれるだけでなく、それぞれのキャラクターが “持ち味” を最大限に出したことで、群像劇的な面白さも醸し出された。
最も秀逸だったのは、"2組"の切り替えの演出による違いだ
更に良かった、いや、秀逸だったのは、“2組” の切り替えの演出だ。1組目は、万理華と貴恵だ。当ブログの読者さんなら既にお気づきだと思うが、基本的に万理華と貴恵の切り替えは、今作のメイン監督で、今回の演出担当の坪井敏雄氏は “カットチェンジ” で、他の演出家は “オーバーラップ” と、凡そ決まっている。
今回も、万理華と貴恵の切り替えは全て “カットチェンジ” か “カメラワーク” で、要するに2人を “重ねない” 編集になっていた。これが、良いのだ。ダブって見せないことで、視聴者が想像できるし、ドキッとするし。それに映像的にコミカルに見せる効果もあるから。
その一方で、もう1組は、出雲凛音(當真あみ)と、“謎の男”こと吉原康司(水川かたまり)だ。こちらの切り替えは全て “オーバーラップ” だった。特に拘りを感じたのは、映像(人物像)だけでなく、2人の台詞も切り替えの際は “クロスフェード” していたこと。
これによって、万理華と貴恵の切り替えと差別化が出来たし、こっちは敢えて “ダブらせる” ことで、シリアスでもコミカルでもなく、ミステリアスでアンビリーバブルな雰囲気を醸し出した。
漫画では不可能な、"映像"こその"直感的"な"説得力"が…
そして、この “2組” の秀逸な切り替えの演出が本作に齎(もたら)したのは何か? それは、漫画では絶対に不可能な “映像” だからこその “直感的” な “説得力” だ。
そう、視覚障害をお持ちの方には聴覚だけでも “違い” が分かるような、映像ならではの描き分けだから可能な “納得のさせ方” であり、それが上手い “回収” にも繋がり、結果的に “感動” に結び付くのだ。
今回くらいに丁寧に、他の演出家も坪井氏らしい演出で見せてくれたら、今作への評価も評判も、もっと上がったと思うだけに残念だ。 しかし、今回で丁寧に描写されたのは大満足だと評価したい。
メイン監督・坪井氏の毎田暖乃さんへの演技指導の巧みさ
最後に、小さなことだが、私が “良い意味” で気になったことを。それは、坪井氏の毎田暖乃さんへの演技指導の巧みさ。坪井氏以外の演出家の演技指導は、時折だが、万理華が「ただのオバサン喋り」をしているだけのように見えることがあった。そう、小学生が大人ぶって喋っているだけ… って感じで。
しかし、坪井氏の演技指導は違う。きちんと、貴恵のクセのようなものを上手く台詞のイントネーションに含ませている。更に、台詞の言い回しを貴恵に寄せるだけでなく、台詞の最後の部分に、ほぼ必ず様々な “仕草” を連動されている。その “貴恵っぽい仕草” が台詞と相まって、万理華が貴恵に、毎田暖乃さんが石田ゆり子さんに重なって見えるのだ。
是非、異なる演出家の放送回を見比べる機会があったら注視して欲しい演出ポイントだ。
あとがき(その1)
好みはあると思いますが、やはり個人的に、坪井氏の演出が好きですね。特に今回で良かったのは、43分頃の万理華から貴恵に切り替えるところだけ、意図的に映像も音声も敢えて “オーバーラップ & クロスフェード” にした部分。
あそこだけなので、とても印象的でした。それに、あの切り替えの演出で、“2組の憑依関係” が “酷似” していることを、一瞬で納得させましたから。
あとがき(その2)
そして、次のような感想は非難されるかも知れませんが。今回の放送が、東日本大震災の11年目の “この日” に重なったことに運命的なものを感じざるを得ませんでした。改めて、突然に奪われた命は、本人も遺された人にとってもかけがえのないものだと言うこと。
そして、今、自分が生きているのは、偶然と奇跡の産物であって、いつまでも続くと保証のない、切なく、儚く、貴重な時間だと言うことを、改めて考えさせられました。「奇跡のファンタジー」を通して、「リアルな現実」に目を向けさせてくれるドラマが本作だと思います。
あとがき(その3)
更に。以前に原作を読んでいない頃に、妻が「私が貴恵なら、万理華ちゃんの身体を “乗っ取った” まま、楽しく暮らすことは無理」と言っていたと投稿しましたが。今回で、貴恵が万理華の身体に憑依している自分と、きちんと向き合っていることも描かれました。
その辺も含めて、上手 “まとめ” に入って来たなぁと思います。これを見たら、(まだ今回を見ていない)妻も納得すると思います。
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★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16647/
【これまでの感想】
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