妻、小学生になる。 (第7話・2022/3/4) 感想

TBS系・金曜ドラマ『妻、小学生になる。』
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第7話『浮気!? 妻に見られた告白現場』の感想。
なお、原作となった漫画・漫画・村田椰融『妻、小学生になる。』は、既刊10巻(2022年3月4日現在)の全巻既読。
圭介(堤真一)と麻衣(蒔田彩珠)は、母・礼子の面倒を見るため、友利(神木隆之介)から一緒に実家に帰ってほしいと頼まれる。親より先に死んでしまった身としては合わせる顔がない、と気が進まない万理華(毎田暖乃)だったが、圭介に背中を押され、親戚の子供のふりをして一緒に向かうことにする。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:漫画・村田椰融『妻、小学生になる。』
脚本:大島里美(過去作/花燃ゆ、凪のお暇、おカネの切れ目が恋のはじまり)
演出:坪井敏雄(過去作/凪のお暇、カルテット、わたナギ、恋あた、リコカツ) 第1,2,5話
山本剛義(過去作/凪のお暇、コウノドリ2、わたナキ、オー!マイ・ボス!、最愛) 第3,6話
大内舞子(過去作/「凪のお暇」AD、恋あた、TOKYO MER) 第4話
加藤尚樹(過去作/コウノドリ1,2、ホワイト・ラボ、MIU404、にぶんのいち夫婦) 第7話
音楽:パスカルズ
主題歌:優河「灯火」
前回の放送後に、最新刊までの既刊10巻まで一気に読みました
ドラマ本編の感想の前に…
前回の放送後に、最新刊までの既刊10巻まで一気に読みました。ですが、当ブログの主旨として「原作と実写ドラマ版は基本的に比較しない立場」を踏襲しますので、ドラマはドラマとして感想を書きます。
なお、原作のネタバレを絶対にしない範囲で、私なりの “原作とドラマ版の相違点” について、「あとがき」の “あと” に書きます。原作を読もうか迷っている方や、原作に興味のある方だけ「あとがき」の “あと” を読んで下さい。
第二章の前に目先を変えておこうと言う点では悪くない
ここから、ドラマの感想…
確かに、前回で万理華(毎田暖乃)の母・千嘉(吉田羊)が「万理華=貴恵」であることを「知った=認めた」わけだから、別に違和感を感じる必要は無いのだが。あまりにも冒頭から “物わかりの良い千嘉” と “その千嘉に馴染んでいる万理華” に困惑してしまった。
ただ、そうでもしないと、万理華が実家に帰れないから、止むを得ずだが半ば強引に冒頭で仕込んだのだろう。とは言え、やはり実家に帰った。まあ、前回の話を延長しても “ただの続き” になるだけだから、第二章の前に目先を変えておこうと言う点では悪くない。
「母・礼子=気付いている人」を明確に表現しても良かった
ただ、実家のくだり。ちょっと惜しいなと。
確かに、「万理華=貴恵」を “知っている人” と “知らない人” を混在させて、そこを面白く描くのは間違っていない。しかし、実家でのやり取りの殆どが、友利(神木隆之介)が母・礼子の面倒を見るか見ないかに終始したのが勿体ないなぁと。確かに、毎田暖乃さんの泣きの演技はすごいのは認めるが。
やはり、あそこは認知症と言うのを上手く利用して、視聴者に「母・礼子=気付いている人」を明確に表現しても良かったと思う。そうしなかったから、万理華があの場に行った意味や居る意味が薄まってしまったように思えたから。
それに、これを言っては何だが。ロケに石田ゆり子さんも同行しているのなら、「万理華=貴恵」に “疑問を持っている人” として、友利でもう一つくらいエピソードがあったら、実家に帰った意味が更に強まったのではないだろうか?
3人の息がぴったり合った演技で魅せた"姉弟のやり取り"!
ただ、全体的には、決して悪くない。
序盤の早急な感じや、子役を使ったあざとさは一定基準あるのは気になるが。でも、前回で答えを持ち越した、守屋(森田望智)の突然の告白と、愛川(杉野遥亮)の “大切な人” については明確にケリをつけたのは良かった。持ち越したり引っ張ったりする必要は無いし…
それに、意外と良かったのが、姉と弟のやり取り。3人の演技も絶妙な感じで本当の姉弟のように見えたし、万理華と貴恵のカットの切り替えもオーバーラップなど中途半端な編集効果を使わずに、スッキリと見せてくれた。
そのおかげで、「もっと出来た」とは思うが。それでも、撮影の制約が多い冬の屋外ロケを考えると、3人の息がぴったり合ったお芝居は見応え十分だと言える。
もっと、ファンタジーに振り切っても良いし、出来ると思う
とにかく、全体的には「話が進んだ」のが一番良かった。そして、出来ることなら、もっとファンタジーの要素を強めにしても良かったかなぁと。
やはり、今作(実写ドラマ版)は、ファンタジーに振り切った方が良いと思う。中途半端に、ヒューマンドラマの要素を残さずに… ってこと。そっちを重視してしまうと、あちこち “リアルでない部分” が強調されて、醒めてしまうから。
より一層、ファンタジックな映像処理を含めたストーリー展開にして、「非現実的な世界」と言うより、「亡くなった人の思いと、遺された人の思いを丁寧に結び付けた、肉体を超越した “魂” の交流を描く世界」くらいに振り切っても良いと思う。これだけの俳優陣が揃っているなら出来ると思う…
あとがき
いよいよ、万理華の身体を “宿借り状態” にしていた “貴恵の魂” が消えて(薄まって?)、圭介たちとの「再会できた日々」の記憶が飛んでしまいましたね。これで、次週は、“万理華に戻った万理華” と母・千嘉の関係が修復に向かうのか? ですね。でも、このまま、進むはずは無いですし。
ただ、序盤の浮気現場を目撃されたことと、終盤の展開に “繋がり” が乏しかったのが、ちょっぴり残念。まあ、第二章への折り返し地点だと思って、次回以降に期待します。
あとがきの “あと”(その1)
原作未読の方のために、原作のネタバレもしませんので、ご安心を。
まず、原作とドラマの最大の違いは、「主人公が誰であるか?」に尽きます。私の感覚では、原作の主人公は、万理華の身体に宿った “亡くなった貴恵の記憶” であり、“亡くなっているのに現世を彷徨っている貴恵の魂” と “貴恵に身体と記憶を乗っ取られた万理華と母・千嘉” です。
それに対して、ドラマの主人公は “貴恵の記憶が宿った万理華に放浪される圭一” であり、“そんな圭一に振り回される周辺の人々” なのです。要するに、原作の方が世界観が広くて、ドラマは世界観が狭いのです。
あとがきの “あと”(その2)
また、原作は “不思議な世界観” をやや強引に初期設定にしているため “説明過多” のまま物語が進んで、「世にも奇妙な物語」風の世界観を踏襲します。しかし、ドラマは万理華役の毎田暖乃さんの名演技によって、初期設定のやや強引さが薄まった “ファンタジー” に仕立てられています。
従って、原作の方が私としては “矛盾点” が多く、あまり「感動の物語」と言う印象は無く、むしろ、終始ず~っと「世にも奇妙な物語」風で。一方のドラマは必死にリアリティーを醸し出して「感動のファンタジー」にしようとしているって感じです。
あとがきの “あと”(その3)
どちらが、良いとか悪いとかでは無いです。好みの問題だと思います。まだ、どちらも結末に至っていないので、確定的なことは書けませんが。「感動したい!」なら実写ドラマ版、「不思議な世界を見てみたい!」なら原作となった漫画と言う感じです。
私としては、今の段階でドラマを見て何となくモヤモヤが晴れないなら、原作となった漫画を読むくらいがちょうど良いかなと思います。恐らく、ドラマ版用のオリジナルの結末を持ってくると思うので、最終回を見た後に読むのも、十分アリだと思います。
※下記の通り、今作のサウンドトラック盤の発売が決定しました!
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16623/
【これまでの感想】
第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話
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