ファイトソング (第7話・2022/2/22) 感想

TBS系・火曜ドラマ『ファイトソング』
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第7話『全て明かす涙の夜と嫉妬の嵐!? キスしていいですか? します』の感想。
花枝(清原果耶)の話を聞いた直美(稲森いずみ)や慎吾(菊池風磨)、凛(藤原さくら)、迫(戸次重幸)は、改めて花枝の‘思い出づくり’を応援することに。一方で、花枝にある罰ゲームを課す。翌日、電話口で元気がなさそうだった花枝を心配した芦田(間宮祥太朗)が、田舎から送られてきたという食材を手に「あさひ学園」を訪ねてきた。慎吾の提案で、その食材で鍋料理を作ることになる。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:岡田惠和(過去作/ひよっこ、最後から二番目の恋、少年寅次郎、姉ちゃんの恋人、虹色カルテ)
演出:岡本伸吾(過去作/隠蔽捜査、インハンド、病室で念仏を、恋あた…) 第1,2,5話
石井康晴(過去作/花より男子シリーズ、テレウスの船、逃げ恥、ドラゴン桜2) 第3,6話
村尾嘉昭(過去作/アンナチュラル、Nのために、死にたい夜にかぎって、最愛) 第4,7話
音楽:大間々昂(過去作/地味にスゴイ!校閲ガール、ブラックリゲンジ、お金の切れ目が゙恋の始まり)
主題歌:Perfume「Flow」
視聴離脱しない理由が、施設長の涙を見て分かった!
そうか! なぜ、私が今作を “ほぼ愚痴” の感想を書きながらも、視聴離脱しないで見ているのか、自分で理由が分からなかったのだが。
今回の序盤、11分までの “春子ちゃん” ではなかった、稲森いずみさん演じる、夢破れた花枝(清原果耶)を見かねて、彼女を「サンシャイン・クリーニング」のアルバイトとして働かせる、「あさひ学園」の施設長・磯辺直美の涙を見て、分かったのだ。
それは、今作のドラマの構造が、私の中では日本のドラマの5本の指に入る名作『ビーチボーイズ』に似ているからなのだ… と。
稲森いずみさんの涙の演技が、今作と『ビーチボーイズ』を重ねて見せた
若い読者さんは知らないかもしれないが、ドラマ『ビーチボーイズ』とは、今作と同じ岡田惠和氏の脚本で、1997年夏にフジテレビの『月9』枠で放送され、それまでラブストーリーが多かった『月9』枠の作品としては、珍しい男同士(反町隆史さんと竹野内豊さん)の友情を軸に描いたドラマ。
そして、稲森さんは、メインの舞台となる民宿「ダイヤモンドヘッド」の近くにあるスナック「渚」のマドンナで、過去に離婚経験があり、その際に相手の両親に一方的に「息子」を取られ、毎日来るはずのないその「息子」からの手紙を待っていると言う「前田春子」を演じていた。
そして、今回の施設長・磯辺直美の涙と、『ビーチボーイズ』での息子に再会できたものの、また別れざるを得ない前田春子の涙が、私の中で重なった。そして、今作に於ける主人公の「耳が聞こえなくなるまでの過程を描く」のと、『ビーチボーイズ』では主人公が「自分の “海=生きる道” を見つけようと決心が着くまでの過程を描く」のも、重なったのだ。
"古き良き時代のドラマの中の世界観"の復刻こそが、今作の大きな魅力
そう考えると、いろんな部分が腑に落ちる。
非現実的な世界観を敢えて前面に出すことで、設定に潜んでいる “悲壮感” を出来るだけ感じさせないように作り込んでいること。
また、主人公の病気を隠していたいと言う健気さ、カラ元気で笑顔をつくる我慢強さ、主人公を取り巻く人たちの心配ながら明るく振舞ういじらしさ、主人公との強い絆など、今の世の中で、ちょっとメインストリームとは違った、古き良き時代のドラマの中の世界観を、必死に作り込もうとしているのだ。
その “古き良き時代のドラマの中の世界観” の復刻こそが、今作の私にとっての大きな魅力だったのだ…
作り込みをし過ぎたせいで、あざとさが目立ってしまったのが残念…
そのことが分かったからこそ、改めて気づいたことがある。正しくは、『ビーチボーイズ』の脚本では出来ていたのに、『ファイトソング』の脚本では出来ていないことだ。
それは、作り込みをし過ぎたせいで、あざとさが目立ってしまっていること。
ドラマとして作り込むことは、決して悪くない。しかし、何事も “過ぎたるは猶及ばざるが如し” と言うように、やり過ぎは禁物なのだ。簡単に言えば、非現実的な世界観を作り込み過ぎて、自然な感じが薄まって、不自然さが勝ってしまっているのだ。そう、見る人によっては、白けてしまうくらいに… だ。
台詞の言い回しや、個々のシークエンスが回りくどい印象に
例えば、今回で言うなら。序盤はシリアス、中盤はコミカルにして、全体のメリハリを狙って、作り込んでいるのはよ~く分かる。しかし、劇中の花枝の台詞「ありのまま… は無理。ちょっとは飾る」を借りれば、装飾が “ちょっと” の度を越えてしまっているのだ。
台詞の言い回しや、個々のシークエンス(物語を構成する最小単位)が、回りくどいのだ。だから、シリアスな部分がシリアスとして、ビシッと締まらない。それによって、コミカルな部分もぼやけてしまう。これが、今作の現状ってこと。
やはり、きちんと魅せる部分は、端的に言いたいことだけを絞り込んで “タイト” に魅せるべき。そうでないから、折角の作り込みが、逆効果になってしまっているのだ。
序盤の11分間のあとに、44分過ぎのコミカルな部分以降の"シリアスな病院のくだり"を直結させれば良かったのでは?
では、どうすれば、きちんと魅せる部分は、端的に言いたいことだけを絞り込んで “タイト” に魅せられたのか? 今作としては、花枝と芦田(間宮祥太朗)の関係をまだまだ描きたいのは分かるが。序盤でみんなに真実を告白してしまったのだから、花枝と芦田は前回で十分だと判断して、中盤をバッサリと削除して。
序盤の11分間のあとに、44分過ぎのコミカルな部分以降の “シリアスな病院のくだり” を直結させれば良かったのだ。それが出来ないなら、中盤の芦田とのやり取りを大幅に短縮するべきだったと思う。そうすれば、シリアスな部分が更に強調されて、物語が大きく前進した印象も与えられたのではないだろうか…
あとがき
大人の事情で、芦田を描かざるを得ないとしても、もう少し “自然な感じ” に挟み込んで欲しかったです。やはり、主人公をメインに描くのがドラマと言うもの。いくら、ドラマが虚構の世界だとしても、不自然な描写や展開よりも “自然な感じ” に描く方が断然良いのは、ほぼ間違いないことです。
作り込み過ぎが “邪魔” に見えては、元も子もありません。悪くないんですけどね。岡田惠和さんなら、「あざとさを自然に感じさせる脚本」を分かっているし、出来ると思うので、どうか、そのように書いて欲しいです。期待を込めて…
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16583/
【これまでの感想】
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