ファイトソング (第3話・2022/1/25) 感想

TBS系・火曜ドラマ『ファイトソング』
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第3話『恋の猛勉強! キスは初デートでしていいですか? 大混戦の恋』の感想。
互いの目的のため、期間限定で付き合うことを決めた花枝(清原果耶)と芦田(間宮祥太朗)。最初のデートで恋愛に対する準備不足を痛感した2人は、きちんと話し合っていい恋をしようと‘反省会’を行う。それを聞いた慎吾(菊池風磨)がむっとする一方、慎吾の花枝への恋心を知りつつ彼をひそかに思い続ける幼なじみの凛(藤原さくら)は、花枝が何かを隠していることを見抜く。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:岡田惠和(過去作/ひよっこ、最後から二番目の恋、少年寅次郎、姉ちゃんの恋人、虹色カルテ)
演出:岡本伸吾(過去作/隠蔽捜査、インハンド、病室で念仏を、恋あた…) 第1,2話
石井康晴(過去作/花より男子シリーズ、テレウスの船、逃げ恥、ドラゴン桜2) 第3話
音楽:大間々昂(過去作/地味にスゴイ!校閲ガール、ブラックリゲンジ、お金の切れ目が゙恋の始まり)
主題歌:Perfume「Flow」
今回から主人公のキャラが変わり過ぎて、困惑しかない…
まず、何が言いたいって。主人公のキャラクターが、第2話までと大きく変化し過ぎ。確かに、憧れの歌手に会ってハイテンションで。それが動機になって、変化したのも理解は出来る。子供時代の回想シーンを見せられているから、本来の主人公に “戻った” と考えることも出来る。
それでも、あまりに、変化の “経過” が丁寧に描写されずに、視聴者は1週間経ったら、まるで別人のような主人公を見せられたら、正直困惑しかないのだが…
突然、主人公が"喋り過ぎ"なのが、不自然過ぎる!
その困惑の原因は、次の一択。そう、主人公の台詞が多過ぎるから。いくら、上記のように、好意的に理解はしても、多さが極端を超えている。子供時代だって、そんなに “おしゃべり” の印象は無いわけだし。「“恋” とはそう言うもの」と言われれば、反論しようがないが。
しかし、そもそも、主人公が抱える “大問題” が解決しているわけでもないし。その “大問題” を誰かに話して、心が解放された節も無いわけで。それなのに、“恋” しただけで、これだけの “大変化” をして、果たして “ドラマ” として整合性があるとは考え難いのだが…
主人公が子どもの頃から"恋"に憧れていたように見せるだけで良いのに…
なぜなら、ここまでの描写を見る限りでは、主人公は “恋” をしているわけでは無い。例の “大問題” があるし、“憧れの歌手” に会った “ついで” の、耳が聞こえる内の思い出づくりに見える。まあ、救いは、ただの思い出づくりではなく、“真剣” に相手と向き合っている可能性が残されていることだが。
こんなこと、子どもの頃から、自分は “空手だけ” の生活だったのに、学校では友だちから恋愛話を聞かされて、ず~っと憧れていたと言うシーンが、1つでもあれば、印象がガラリと違ったのに。
例えば、今回にあったような、主人公の担当医・立石(橋本じゅん)や、葉子(石田ひかり)との主人公のやり取りが、もっと早い段階で描かれれば、印象は変わったと思う。恐らく、今後も、立石医師と葉子と、「あさひ学園」の施設長・直美(稲森いずみ)が “キーパーソン” になるだろうから、もっと活用すべきだと思う。
『ヒューマンラブコメディ』なのに、「ヒューマン」が皆無
それにしても、ここまで “恋バナ” を強調する必要があるのだろうか? 公式サイトには、『3人の若者たちによる、じれったくて切ない、けどどこか笑えるヒューマンラブコメディ』と書いてあるから、“恋バナ” を描くことは間違っていない。
では、「ヒューマン」の部分はどこ? ってこと。そこが、恐らく主人公が抱える “大問題” であり、“秘密” が絡んで来るくだりのことだろうが、流石に、「ヒューマン」と「ラブコメ」のバランスが、片方に寄り過ぎ。と言うか、今回だけ見れば、「ヒューマン」は、ほぼ皆無。因みに「ヒューマン」と「シリアス」は違う。
まあ、放送枠からすれば、そう言う方向に進むのは間違っていないが、『ヒューマンラブコメディ』と公式に謳っているなら、そう描いて欲しい。その上、今のところ、大して魅力も興味もない二人の “恋バナ” は、正直、あまり面白くないのだ。だから、このキャラのまま進むのなら、せめて「ヒューマン」の部分で魅せて欲しいとしか、言いようがない。
もっと、メインの3人の"不器用"を活かして、ラブコメ度アップしても良いのでは?
最後に言いたいのは、主人公が “恋” をしているのは、百歩譲って認めるが、これ、「ラブコメ」になっているのか? ってこと。慎吾(菊池風磨)が、相当頑張っているから、何となく「ラブコメ風」に見えるが、芦田(間宮祥太朗)が絡んだ途端に、「コメディ」が消えちゃう。
だったら、これまた公式サイトに『不器用な3人のじれったくて切ない、 恋と成長の物語』と謳っているなら、主人公と芦田の “不器用” をもっと活かすだけで、「ラブコメ」になるのでは? この辺は、脚本より演出による “加勢” が必要だと思う。
そして、その “不器用さ” が、次第に、“共感したくなる” とか “応援したくなる” と言う視聴者の気持ちの変化に繋がれば、『3人の若者たちによる、じれったくて切ない、けどどこか笑えるヒューマンラブコメディ』への道も、開けると思う。
要するに、悪くはないが、いろいろと足りないってこと。そこを、改善できるかどうかが、今後の見所になると思う。
あとがき(その1)
NHKのドラマ『透明なゆりかご』以前から、注目していた若手演技派として清原果耶さんを “推し” 続けていた私が、朝ドラ『おかえりモネ』で落胆して、その “モネ” のまま “花枝” を「演じてます」って感じが、強過ぎる気がします。
まだ、好意的に見ていますが、もっと自然に見える演技に変えて行かないと、全部 “モネ” に見えてしまいます。そう言う怖さが朝ドラにはある。擦り込み効果が大きいから…
あとがき(その2)
それと、やはり感想の本文で書いた「ヒューマン」の部分が「耳が聞こえなくなる」と言う難病に依存しているのが、「ラブコメ」とアンバランスなんですよね。重過ぎるし、そこを敢えて避けて描くような脚本で引き延ばしている感じも否めないんですよね。もう少し、シリアスとコミカル、そして胸キュンのバランスを考えた方が良いと思います。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16497/
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