【よもやま話】先日の墓参りで、亡き父と住職と私の"縁"を初めて感じました

※お墓の写真は、イメージです。
今から10数年前の、私の父の四十九日法要と納骨式の日の出来事…
それは、今から10数年前の、私の父の四十九日法要と納骨式の日の菩提寺での玄関でのこと(十三回忌が済んだので、14年ほど前か…)。朝早く、千葉から東京にある「我が先祖の菩提寺」に向かい、昼頃に法要と納骨式が終わった。私の両親の親戚たちは既に他界している者が多く、参加者は10数名だっただろう。
更に、父の遺言で「通夜も、葬式も、納骨も、出来るだけ、お寺さんで質素にして欲しい」と言われていた。喪主は、当時まだ元気だった私の母だった。長男の私は、妹と母の手伝いをあれこれやって、私自身が菩提寺を出る最後の人になった。
帰ろうとする私に、住職が私を呼び止めて、こう言った…
そこへ、正装から着替えた作務衣姿の住職がやって来た。私は、玄関で革靴の紐を結んで立ち上がり、住職に「今日は、一日本当に素晴らしい四十九日法要と納骨式が出来ました。ありがとうございます」とお礼を言って帰ろうとした時、住職が私を呼び止めて、こう言った。
「お父さんも、よくその椅子に座って、お茶を飲みながら、庭を見て、『春ですね』とか『紅葉の季節になりましたね』と、他愛もない話を私(住職)として、帰って行く後姿を思い出しました」と。
生前の父は、人見知りもせず、人懐っこい人で人気があった
私の父は、70歳を過ぎてから、「身体を動かさないとダメだ」と言って、なぜか自宅とは電車で5つ、自転車だと1時間程度は離れた場所にある、とあるマンションの清掃員として働き始めた。居住者から、いろいろと貰い物を持って帰って来ていたので、マンションではそれなりに人気者だったようだ。
父は、若い頃から子供が好きで、40年以上前から地域の子供たちに演劇や落語や絵画を無料で見られる、今で言うボランティア団体の創設者で会長だった。だから、人見知りもしないし、人懐っこい人だった。それで、マンションでも人気があったらしい。
父の再就職先も、私の越境入学した中学校も菩提寺の近くだった…
そして、父は、季節の行事の数日前の平日に、一人でマンション清掃日の早番(午後3時終了)の日に、家とは逆方向で、駅2つ分先の菩提寺に行って、住職や奥様と30分ほど会話して帰って行ったそうだ。。今となれば、そのために、菩提寺に近いマンションの管理人を仕事に選んだのかも知れない。
因みに、父の職場は、私が卒業した区立中学校の近くで。小学時代にイジメにあっていた私を、当時は違法だった越境入学(その中学校の近所の親戚の家に住んでいることにして、学区域を越境して通学すること)をして、電車通学していた。今思えば、菩提寺の近くの中学校に入学させたかったのかも知れない…
今の住職は20代後半で父親を亡くし、一人で住職業をやっていた苦労した人
父は、自転車で来ると、自分の家の椅子のように座って、住職たちと仏教の話をするわけでもなく、ただ目の前に見えるお寺の庭の景色を見て、都会の風景の季節の移り変わりを話して、お茶を飲んで帰って行ったそう。住職は、「それが、もう出来ないのが寂しいです」とおっしゃっていた。
と言うのも、実は、今の住職は20代後半で父親を亡くし、寺を継ぐために、若いのに一人で檀家回りをして苦労をして来た人で、住職は「私が幼い頃から、お父さんは時々ふらりと訪れては、私(住職)に父の話を聞かせてくれたり、『こんな説法をされていた』などの話をして帰って行きました。とても、励みになりました」と加えた。
私の妹(3歳下)と今の住職、父と先代の住職は同い年
因みに、私の妹(3歳下)と今の住職、父と先代の住職は同い年。もしかすると、住職には失礼な話だが、20代後半で家業を継ぐことになった、当時の若き住職の父親代わりの気持ちだったのかも知れない。何せ、我が家は菩提寺と「130年以上」のお付き合いのある檀家だから…
コロナ禍になり、県境を跨ぐので千葉の私の自宅から東京の菩提寺に行くことも出来なくなった
それから、父の死の10年後くらいに母が亡くなり、コロナ禍になり、県境を跨ぐので千葉の私の自宅から東京の菩提寺に行くことも出来なくなった。今年の11月の「母の三回忌法要」も、姪っ子が妊娠中と言う事情もあり、家族や親族は集まらず、住職に三回忌法要をお任せした。
1年と8か月ぶりに、私は妻と菩提寺へ年末のご挨拶へ伺った
そして、1年と8か月ぶりに、私は妻と、(電車は感染が怖いから)新しい我が家の家族の一員である自家用車で菩提寺へ年末のご挨拶へ伺った。詳しくは、下記の投稿を読んで頂けると、大変助かります。
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ちょうどお昼頃で、あるご家族の法要が行われていた。そのため、住職とは目でご挨拶だけして、奥様と少し話をして墓参りを済ませ、帰りの挨拶をしに玄関へ行くと、そこに、住職の奥様と娘さん(長女で今年1月に結婚したばかり)が立っていた。。因みに、娘さんは生まれた時から、一方的にず~っと見かけて挨拶する程度。
年末の挨拶の帰り際、住職の奥さんに呼び止められて…
すると、突然に奥さんが私に、「○○さん、お急ぎですか?」と。私は、「いや、別に」と答えた。
「実は、最近、コロナの影響で、お寺での法要のあとの食事会をしないご家族が多くて、本堂で記念写真を娘が撮影するんですが、上手く撮影出来ないので、なにかコツがあったら、娘に教えて下さいませんか?」と。
娘さんはキョトンとした顔。奥さんは娘さんに「○○さんは、映像や写真を創るお仕事をされているので、伺ってみたら?」と、もう一押し。すると、娘さんの顔が明るくなって、「私、何度やっても上手く撮影出来ないんです。もし良かったら、簡単なコツを教えて頂けませんか?」と。
住職の顔が、一瞬、「父親の顔」になった…
こうなると、断れないタイプ、いや正しくは絶対に断らないタイプの私。「では、いつもお使いになっているカメラを持って、本堂で勉強会をやりましょう」となったわけ。それから、30分程だったか「お勉強会」は終わった。
そして、私は「今度、お年始のご挨拶に来るので、その時に再テストをやりましょう」と言って、例の椅子に座ってスニーカーの靴紐を縛っていると、奥から作務衣に着替えた住職が笑顔でやって来た。その笑顔は、いつも、本堂や法要で見る時の住職のお顔とは違う、父親の笑顔だった。お互いにペコリと頭を下げて、私は菩提寺をあとにした。
正に、「後悔先に立たず」、「親孝行したい時に親は無し」
50年以上、年に4~5回、菩提寺を訪れてきた私だが、1年と8か月ぶり、とても新鮮な気持ちになった。いや、私と、お寺と、お墓と、先祖と、住職一家が、1つになった瞬間を体験したと言うのが正しいだろうか。そして、清々しい気持ちと共に、一度でいいから、父と一緒に年中行事や法事の時以外に、ふらりと菩提寺を訪れたかったと後悔した。
正に、「後悔先に立たず」であり、「親孝行したい時に親は無し」だ。
我が「浄土宗」では「南無阿弥陀仏」を十遍(10回)唱える
我が「浄土宗」では、「南無阿弥陀仏」を十遍(10回)唱えることで、命尽きたその後には、誰もが阿弥陀仏に救われて、「阿弥陀仏」の「極楽浄土」へ生まれゆくこと(往生する)を願うこととされている。今朝も、父と母の小さな遺影の写真に向かって、「南無阿弥陀仏」を十遍(10回)唱えた…
あとがき
私の幼少期は、実家の近くから菩提寺の近くまで、“ほぼ直通” の都電が走っていたのです。ですから、簡単にお墓参りが出来ました。でも、都電が無くなり、バスもなくなり、今は電車か自家用車でしか行くことが出来なくなりました。
東京の浅草寺と上野公園の中間の静かな住宅街にある小さなお寺ですが、おばあちゃんやおじさんたちとの小さい頃からのたくさんの思い出が詰まった場所です。だから、いつまでもお墓もお寺も守っていきたいです。
ただ、我が家には子供がいないし、妹はとっくに嫁入りしてますから、私の後継者がいません。今は、それをどうするか思案中です。
最後に。個人的な長い話に、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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