連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」〔全120回〕 (第20回・2021/11/26) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
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第20回/第4週『1943~1945』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
菓子作りに命を燃やした金太(甲本雅裕)。その突然の死を見守ったのは、おはぎを持ち逃げしようとした男の子でした。金太におはぎ売りを託された男の子は商いの楽しさを知り、新たな人生を歩みはじめます。そして戦後から3か月半。4年ぶりに「基礎英語講座」が復活しました。安子(上白石萌音)は、稔(松村北斗)の帰りを心待ちにしながら英語の勉強を再開。るいをあやしながら家事をしていると1人の復員兵の姿が現れ…
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作・原案・脚本:藤本有紀(過去作/ちりとてちん)
演出:安達もじり(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく、おちょやん) 第1,2,4週
橋爪紳一朗(過去作/てっぱん、花子とアン、半分、青い。、エール) 第3週
深川貴志(過去作/花燃ゆ、とと姉ちゃん、半分、青い。、麒麟がくる)
松岡一史(過去作/まんぷく、心の傷を癒すということ)
二見大輔(過去作/半分、青い。、なつぞら、伝説のお母さん)
音楽:金子隆博(過去作/Q10、三毛猫ホームズの推理 、あいの結婚相談所)
演奏:BIG HORNS BEE(過去作/米米CLUBのホーンセッション)
主題歌:『アルデバラン』(作詞・作曲:森山直太朗、編曲:斎藤ネコ、歌:AI)
語り:城田優
制作統括:堀之内礼二郎(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく)
櫻井賢(過去作/4号警備、透明なゆりかご)
※敬称略
当ブログの中で、読者さんたちが互いの気持ちを尊重し合って下さったことに感謝!
前回の、主人公・安子(上白石萌音)の父・金太(甲本雅裕)と兄・算太(濱田岳)の “再会” のラストに流れた、「金太が亡くなっているという知らせが入ったのは その翌朝のことでした」と言う衝撃のナレーションに、私を含め、多くの読者さんからコメントを頂いた。
「何処からが幻なの?」とか「涙腺崩壊!」など、人それぞれに、あのシーン、いや、前回の15分間を受け止めた。「作品への解釈は、作り手の手を離れたら、受け止めた人それぞれの解釈でいい」と考えている私にとって、当ブログの中でみんなが相手の気持ちや想像を否定することなく、寛大に受け止めて下さったことに、まず、感謝したい。
「誠貫眞金信士」と言う戒名に金太への千吉の思いが凝縮
さて、いよいよ金曜日が始まった。アバンタイトルは前回の “おさらい” も “回想シーン” も入らずに、“無音” に遠くで鳴く鳥の声をバックに、白木の位牌と卒塔婆に、揺れる炎のロウソクやお線香など一式。そのロウソクの後ろの白木の位牌には、「誠貫眞金信士」と言う戒名が付けられていた。
私の勝手な想像だが、和菓子作りを “誠実” に “貫き”、「和菓子が持っている、人を元気にする力」を最期の最期まで “偽りなない(眞)” こととして信じた金太への千吉 (段田安則)の思いが詰まった戒名だとも思う。
雉真家だから、もっと豪華な戒名を付けることも出来たはずなのに…
また、事実、雉真の人たちは和菓子店「たちばな」の和菓子が大好きで、橘家と雉真家の “縁結び” の大役を務めた。そこで、普通なら、世間一般よりも、僅かでも裕福な雉真家なのだから、金太への様々な感謝の意を込めて、豪華な戒名を付けることも出来たはず。
しかし、戒名の「位号(戒名の位を表し言葉)」は、位の高い‘信士’、‘居士’‘院清士’、‘院居士(右に行くほど高い位)ではなく、「仏教に帰依した信者である」と言う意味の、最下位に近い「信士」が付けられている。
戒名を一生背負っていく嫁の安子の荷の重さまで配慮した義父・千吉の配慮
戦死したわけでもなく、時代と言う理由もあろう。そして、何より、健気な職人として人生を全うした金太の戒名に、高い位を表す「位号」は “似合わない” と考えた千吉の金太への “敬意” を感じた。
そして、その戒名を一生背負っていく嫁の安子の荷の重さまで配慮した戒名だと、私は考えた。きっと、今年11月6日が実母の三回忌で、喪主として母の戒名を菩提寺のご住職に依頼した私だから、こんような過大な解釈をしてしまうのだとは思うが…
白木の位牌を、きちんと “金太の人格” として扱っていること
さて、映像に戻ろう。ここで注目すべきは、白木の位牌を、きちんと “金太の人格” として扱っていること。このシーン、幾つかにカット割りされるが、白木の位牌が安子と千吉を見ているように、位牌の背後からのカットが、2つもある。「人の死は、しっかり描く」と言い切った制作統括の言葉は正しいと思うシーンだ。
「アルデバラン」と「オープニング映像」への意味や感じ方が日々変わる…
場面は、バラック小屋の中で作った、仮設の主亡き「たちばな」の店内で、安子が後片付けをしている。そこへ、前回に登場した少年(山之内 亮)が店の外に現れた。そう、少年は悪ガキではなく、約束を守った少年なのだ。
ここで、主題歌 「アルデバラン」。気のせいか、歌詞の内容が、日増しにドラマとリンクして行く気がする。また、日々増える情報によって「オープニング映像」の意味や感じ方も違ってくる。不思議としか言いようがない。
種明しの重要性は、父親が最後に兄と楽しく再会した夢心地の中で逝ったことを、安子が確認出来たこと
主題歌明け、次の表現が相応しいか分からないが、前回での「父と息子の再開劇」の種明かしが始まる。
結論から言ってしまうと、前回での少年が戸を叩いて言った「おっちゃん。おはぎのおっちゃん」は “現実” で、金太が戸を開けて「帰ってきたんか 算太…」からは、恐らく病気の悪化で意識もうろうとしている中で見た “幻視” と言うことになる。
ここでの種明しは視聴者の疑問を解決するためのものでもあるが、大きな役割は、父親が最後に兄と楽しく再会した夢心地の中で逝ったことを、安子が確認出来たことだと思う。
種明かしが不完全で終わるのが、いいのだ
これが、分かると分からないのでは、前述の、「誠貫眞金信士」と言う戒名を一生背負っていく嫁の安子の荷の重さが、ほんの少しだが軽くなるように感じる。また、安子の笑顔を見ても、それが伝わって来る。そして、種明かしが不完全で終わるのが、いいのだ。
あの少年の持っていた札束の量や、金儲けする方法など、先の “幻視” の中の算太の言い分と類似点が多い。もしかすると、少年は算太の生き写しかも知れない。だから、安子は弟のような少年に儲けを全部上げて、商いの楽しさを教え、新たな人生をあることを勧めた。きょうだい愛を感じる、いいシーンだった。
そして、生前の金太の口癖だった「たちばなの菓子で救われる人が きっと おるはずじゃ」に少年が救われた。金太は亡くなっても「たちばな」の和菓子から受けた、いろんな人の中の思いは残る。そんな「永久へ続く物語」を感じたシーンでもあった。
展開が速くても、たった数秒間のワンカットで一瞬だけ時間軸を戻せる。これこそが、本作が箇条書きでない証拠
終戦から3か月半が経った。 1945年の11月末辺りだ。ラジオの「基礎英語講座」が、約4年ぶりに再開した。ラジオに驚いた表情で近寄る安子に、出会った頃の稔(松村北斗)が「明日の朝 6時30分にラジオをつけてみて」と言うインサート・カットが入った。
本作のストーリー展開が速いせいもあるが、そのお陰で、この稔のインサート・カットが、実に安子と同じ心境になって、「つい、先日の出来事」に思えなかっただろうか。展開が速くても、たった数秒間のワンカットで一瞬だけ時間軸を戻せる。これこそが、本作が箇条書きでない証拠ではないだろうか。
要点を次々と丁寧に描いていると言うことを分かって欲しい…
スタッフがイソップ挿話「The Sun and the North Wind(邦題「北風と太陽」)」を選んだ理由を考えた
7分頃、夜の寝室で、るいに安子が子守歌代わりに読み聞かせをしていたテキストが、イソップ寓話の一つ「The Sun and the North Wind(邦題「北風と太陽」)」だ。ここで内容を解説するまでもないが、「物事に対して厳罰で臨むよりも、寛容的に対応する方が良い」と言う教訓が書かれている。
正に、前回で金太が少年にしたことであり、今回も安子が少年に伝えたメッセージだ。その意味で、betterな選択であると同時に、この「The Sun and the North Wind(邦題「北風と太陽」)」の文章は、発音、空気振動による伝播、聴き取り、と言う観点から「音声学のサンプルテキスト」として優れていることが証明されている。
従って、幼少期(まだ幼児かな?)から、このような音声を耳に資して勉強する安子と、知らず知らずのうちに耳に入って来る “るい” の関係が、本作のテーマに、しっかりと結びついているのだ。
勇に沁み込んだ"戦争体験"が反射神経的に言わせた言葉だが、戦争反対の真理だ!
8分頃、勇 (村上虹郎)が帰還した。大きな負傷もなく。「ただいま。義姉(ねえ)さん」の字幕が、勇の複雑な心境を現した。
稔はいないが、勇の帰還を喜ぶ家族。そこへ、母・美都里 (YOU)が何気なく無事に帰って来たことを「よかったわ」と言ったことに、勇が「よかあねえ! 戦争に ええことなんか 一つもねえ!」と反論する。
勇に沁み込んだ “戦争体験” が反射神経的に言わせた言葉だが、戦争反対の真理だ。それを、ホームドラマの1シーンにさり気なく放り込んで来る怖さも、本作が要点重視志向の作品作りの証しだと、私は思う。
今回の夫の訃報を知った安子の表情は、もっと凄かった!
12分頃、遂に、「稔の戦死を伝える訃報」が届いた。前回での、神社の玉砂利に顔をこすり付けんばかりの安子の「稔の安否を神様に祈る表情」も凄かった。しかし、今回の夫の訃報を知った安子の表情は、もっと凄かった。
「第18回」で引用した1960~80年代に活躍したアメリカの精神科医「エリザベス キューブラー・ロス」の著書『死ぬ瞬間―死とその過程について』に書かれている「人間が人の死をどう受け止めていくのか」について書かれている心の変化を引用すれば、人は非日常的なことが目の前で起こった時に、人「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑うつ」「受容」と言う段階を経て昇華すると言う考え方があると書いてある。
そして、金太は、「80日間」も掛けて、「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑うつ」の段階を得て、漸く「受容」の段階に辿り着き、前を向いて生きることを決意した直後に亡くなった。
しかしだ。今回の安子は、「稔の死の否認」、「家族からの孤立」、「自分が替われなかったのかと言う取引」、「気分が落ち込んで何にもする気になれない抑うつ」、そして「稔の死の受容」を、無言の24秒間のアップで魅せた。「天国から地獄」に堕ちる程の時間も余裕もない位の急転直下で、絶望のどん底に突き落とされたのだ。
安子には、泣くだけ泣いて、自分を取り戻して欲しい。るいのためにも、自分のためにも…
時計では計れない短い時間を表現したのが、いつもの神社への道を一人とぼとぼとと歩く安子だ。“無音” の中、木漏れ日を受けながら、次第に神殿に向かって走る安子は、「稔さん」と唱えながら無心で走る。そして、神殿の前で倒れ込むように座る。もう、神様に頼むことも、祈ることもない。
ただ、安子の心にあったのは「稔さん 意地悪せんで 帰ってきて… 稔さん!」と泣き崩れるだけだった。安子には、泣くだけ泣いて、自分を取り戻して欲しい。るいのためにも、自分のためにも…
あとがき
人間の感情と言う以前に、その感情が生まれて来る根源に、きちんとスポットライトを当てて観察し、その上で、表面的な描写で、これでもかと言わんばかりに、人間の感情を描写し続けているのが『カムカムエブリバディ』だと思います。
“無音” の使い方に始まって、光や炎、環境音(自然界の音)と劇伴(音楽)のバランスが、絶妙すぎます。そこには、「何が何でも、画面に映る登場人物の心情は、徹底的に視聴者へ伝えなくてはならない」と言う、作り手の熱意、決意、根性を感じます。
飾りのようなポエム風な台詞や、型通りのやり取りや、ありきたりな表現を、脚本家が拒否して研ぎませ、その脚本を更に演出家が「引き算の演出」で更にシェイプアップさせて、要点だけを描くから、訴求力が強いのだと思います。気が付けば、1か月が過ぎました。この調子で進んで欲しいです。
※最後に。拙稿な上、長文で、誤字脱字も多いと思いますが、最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16283/
【これまでの感想】
第1週『1925-1939』
1 2 3 4 5 土
第2週『1939~1941』
6 7 8 9 10 土
第3週『1942-1943』
11 12 13 14 15 土
第4週『1943~1945』
16 17 18 19
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