連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」〔全120回〕 (第18回・2021/11/24) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
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第18回/第4週『1943~1945』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
空襲で心に大きな傷を負った金太(甲本雅裕)は、空襲からひと月経っても床に伏せ続け、心と体は回復しないままでした。落ち込みながらも父の世話を献身的に続ける安子(上白石萌音)。そして8月15日、ラジオからは玉音放送が流れ、日本は終戦を迎えました。ある日、安子はお供えのおはぎをつくろうと、金太にあんこの作り方を教えて欲しいと声をかけますが…
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作・原案・脚本:藤本有紀(過去作/ちりとてちん)
演出:安達もじり(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく、おちょやん) 第1,2,4週
橋爪紳一朗(過去作/てっぱん、花子とアン、半分、青い。、エール) 第3週
深川貴志(過去作/花燃ゆ、とと姉ちゃん、半分、青い。、麒麟がくる)
松岡一史(過去作/まんぷく、心の傷を癒すということ)
二見大輔(過去作/半分、青い。、なつぞら、伝説のお母さん)
音楽:金子隆博(過去作/Q10、三毛猫ホームズの推理 、あいの結婚相談所)
演奏:BIG HORNS BEE(過去作/米米CLUBのホーンセッション)
主題歌:『アルデバラン』(作詞・作曲:森山直太朗、編曲:斎藤ネコ、歌:AI)
語り:城田優
制作統括:堀之内礼二郎(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく)
櫻井賢(過去作/4号警備、透明なゆりかご)
※敬称略
まえがき
今回の感想も前回同様、15分間を見終え、15分間の全てを心で咀嚼して、冒頭シーンから感じたままを綴ってみます。従って、感想なのか解説なのか分からない部分も出て来ると思いますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。
また、思いのままを綴るため、そして、今回も何度も録画を見直して、私の感情いっぱいに書いたため、拙稿で誤字脱字多数、長文であることも、どうかお許し下さい。また、お願いばかりで恐縮ですが、もし前回の感想をお読みでない読者さんは、是非とも前回の感想を読んでから、読んでみて下さい。
今回にサブタイトルを付けるなら『敗戦の傷跡からの復活の兆し』
前回は、サブタイトルを付けさせて頂けるなら『天国から地獄』の一言に尽きると書いた。その意味は、前回の感想を読まなくても、15分間を見た人なら、お分かり頂けたと思う。
では、今回はどんなサブタイトルを付けようか、散々迷ってつけてみたのが『敗戦の傷跡からの復活の兆し』だろうか。今回は、15分間を多角的に掘り下げようと思うので、敢えて、シンプルなサブタイトルにしてみた。
今回のアバンタイトルのファースト・カットが"無音"で始まった"2つの意味"
まず、前回の感想で私が強調したことの中に、『音、音、音の嵐で描く「地獄の本番」の戦慄と震慴』と言う章を書いた。「地獄の本番」を描き出すために、徹底的に「音による演出」で空襲を描いた。焼夷弾の落下音と爆発音。逃げ惑う人々の声。るいの泣き声。半鐘と悲鳴。
映像もあるが、とにかく、音、音、音の嵐で。しかし、今回のアバンタイトルのファースト・カットは “無音” で始まった。実は、音については、2つのことを、是非、皆さんに聞いて欲しい。
今回の演出が、無音をピンポイントで活かして描いた"敗戦の傷跡からの復活の兆し"であると言うこと
1つ目は、今回の演出が、前回での『音、音、音の嵐で描く「地獄の本番」の戦慄と震慴』だったのに対して、『無音をピンポイントで活かして描いた “敗戦の傷跡からの復活の兆し” であると言うことだ。もちろん、ラジオが本作の大きなテーマである本作だから。“音” を演出で有効活用するのは、当然のことなのだが。
それでも、今回が素晴らしいのは「無音」と言う “音” を中心に、ラジオからの音声や、何気ない会話の声、自然界の音、そして音楽など、様々な “音” で、登場人物の心情、時間経過などを上手に表現している点だ。もちろん、演技による台詞の声の大きさや、ナレーションの語り口の微妙な違いも、それらに含まれることは、言うまでもないが。
「岡山大空襲」について、敢えて私が書かなかったことと、その理由
2つ目は、昨日に描かれた「岡山大空襲」について、敢えて私が書かなかったことと、その理由をここで披露したい。
と言うのも、数名の読者さんから、【非公開コメント】で私に気を遣って「岡山の空襲は、空襲警報の無い深夜に始まったから、大きな被害が出たのですよね」と教えて下さったので、そのことに付いて書かせて頂く。
そして、ここから書くことは、別に、私に【非公開コメント】を下さった人を、決して上から目線で「そんなこと、知ってるに決まっているだろ!」と言う意味ではないと、ご理解して頂いてから読んで欲しい。
なぜ前回で敢えて、「夜空襲警報が発令されなかった」ことに触れなかったのか?
本作が、展開が速く、劇中の「時間や時代」を詳細に、且つ、歴史に忠実に描くことよりも、「時間や時代の変化の描写」に重心を置いて書かれていることはご存知のはず。その意味で、敢えて史実を紐解くと。
「岡山大空襲」とは、第二次世界大戦中の1945年6月29日の午前2時43分から午前4時7分にかけ、アメリカ軍の爆撃機「B-29」等に行われた岡山県の岡山市に対する空襲のことだ。
「岡山大空襲」と言う名で、今でも語り継がれる理由は、深夜3時近くの市民が寝静まった時を狙った攻撃のため、国から「夜空襲警報」が発令されないまま空襲が始まり、そのため市内はほぼ壊滅状態となったのだ。そう、なぜ、「夜空襲警報が発令されなかった」ことに触れなかったのか?
きっと次回で"無音"を活かすと、決め打ちして触れなかった
それは、『音、音、音の嵐で描く「地獄の本番」の戦慄と震慴』なのに、本当の被害は “「夜空襲警報」が発令されないまま” と言う “無音” が生み出した「地獄」だから。そして、前回のナレーションでも、その “「夜空襲警報」が発令されないまま” と言う史実は伝えらなかったから…
きっと次回で “無音” を活かすと、決め打ちして触れなかったのだ。こう言う話題で不謹慎かもしれないが、今回の15分間で、これだけ “無音” が活かされて、やはり、今週の演出担当である安達もじり氏の今作の演出とは気が合うことを確認したってことだ。
アバンタイトルは、いつなのか?
さて、今回の感想だ。妻と祖父を自分が「行け!」と指示した防空壕で戦死して失った安子(上白石萌音)の父・金太(甲本雅裕)が、かろうじて焼け残った雉真家の一室に横になっていた。ここで「史実と比べるな!」とか「これはフィクション!」と思う読者さんにも読んで欲しい。
それは、アバンタイトルが「いつなのか?」と言うこと。史実では、「岡山大空襲」とは、1945年6月29日となっており、現在の気候と多少の違いはあろうと、例の紫陽花の時期は過ぎた「夏近し頃」だと思う。安子の服装も半袖のシャツにもんぺ姿だから。
そして、ここからは、私の予想になるが。空襲から数日間は経過していることは、安子と千吉 (段田安則)とのやり取りから伺い取れる。そして、母・小しず(西田尚美)と祖母・ひさ(鷲尾真知子)との回想シーンを挟んだ直後の雉真家の台所に差し込む夕日は、明らかに “初夏を感じさせる色と入射角の夕日” だ。
恐らく、1945年7月上旬だと推測できる。こう言う、モノローグで、日めくりでも、ナレーションでも語られない「劇中の今の時間」を推測すると、今回は、更に、思い深い作品になると思う。
玉音放送の日、既に金太は「約1か月半」もの間、床に伏している
「オープニング映像」の最後に映し出される「輪っか」の中心部にある「焼夷弾を投下する、真っ黒なB-29」が、今朝は一層忌々しく映る。そして「玉音放送」だ。無言の国民と、淡々と語る玉音放送の対比も見事だ。
そして、気付いて欲しいのは、史実での「玉音放送」は、1945年(昭和20)8月15日正午 から約5分間(実は、3分間しか録音できないレコード3枚に、事前に録音されたものが放送刺された)だと言うこと。
従って、金太は「約1か月半」もの間、床に伏していることになる。今では「トラウマ」や「PTSD」などと言う言葉が知られるが、やはり本作に合うのは、「敗戦の傷跡」だと思う。
もちろん、金太だけでなく日本国民の多くの「敗戦の傷跡」が、無言で立ち、ラジオに向かって頭を下げて聞くしかない国民で描かれた。これこそが、本作らしい “無音の国民” で描く「敗戦の傷跡」に違いない。
畳まれた布団に顔を押し付けて、号泣の泣き声を"無音"にすることが、金太が今できる「後悔」への「償い」
画面が一気に変わって、雲一つない青空に、太陽のハレーションがきつく輝く。まさしく「夏の太陽の日差し」だ。夏の太陽を表現する際に、よく入道雲が使われるが、このたったワンカットにも徹底的な「引き算の演出」が活かされた。雲無き青空と太陽の日差しが、私には「敗戦の傷跡」を癒すエネルギーに見えた。
爆撃機が飛ばない青空こそが “敗戦の象徴” であるかのような “無音” の切ない演出。そして、布団に突っ伏して号泣する金太が過ごした「約1か月半」の長い時間。
きっと、金太の心の中は、「後悔」と言う名の “無音” が独占していたに違いない。そして、玉音放送を正座して聞くために畳まれた布団に顔を押し付けて、号泣の泣き声を “無音” にすることが、金太が今できる、「後悔」への「償い」であるかのようなシーン。素晴らしい…
"無音"の中に聞える"足を引きずるように聞こえる安子の下駄の音"
場面変わって。雉真家から神社へ道を、るいを背負った安子が歩く。先日、本作の手持ちカメラは、“画面の揺れ” を強調する撮影危機を使うシーンと、そうでないシーンを使い分けていると書いたことを思い出して欲しい。
そして、今回で、見慣れているはずの神社への道が、瓦礫で見違えており驚きながら歩く安子は、後者で撮影された。そして、気付いて欲しいのが、“無音” の中に聞える “足を引きずるように聞こえる安子の下駄の音” だ。
安子の手を合わせる顔から想像できる心の中は、稔の無事な帰還を願う気持ちで溢れているに違いない
この “足を引きずる感じ” が、そのあとの、神社の拝殿に跪いて手を合わせる “無言の安子” には、賑やかなセミの鳴き声が添えられるが、安子の手を合わせる顔から想像できる心の中は、稔 (松村北斗)の無事な帰還を願う気持ちで溢れているに違いない。
そして、稔の帰還を願う気持ちで溢れる安子の気持ちと、父から名前を授かった安子の背中のるいの、まだ見ぬ父への思いを、賑やかなセミの鳴き声と、照り付ける真夏の日差しと、神社の玉砂利の陽炎を使って、「土の中で何年も過ごすが、短命のセミの賑やかな泣き声」で “生命力” を。「照りつける真夏の日差し」で “情熱” を。
最後に「神社の陽炎」で “炎のように立ち昇る愛情” を表現したと考えるのは、私が意外とロマンチストだからだろうか…
「コロナ禍の終焉」の兆しを教えてくれるのは、一体なんのか?
6分(まだ?!)過ぎ、雉真家のラジオから、久し振りに天気予報が流れた。当然、終戦の象徴としてのラジオの使い方としてはオーソドックスではあるが、千吉の「こねんして ちょっとずつ 元の生活に戻りゃあええが」に、私は心を奪われた。
もちろん、それは、新型コロナウイルス感染と連動した感覚だ。「終戦の傷跡」からの復興の兆しを「ラジオの天気予報」で表現したなら、「コロナ禍の終焉」の兆しを教えてくれるのは、一体なんのか? ドラマと現実が、一瞬だけシンクロした時間に、脚本家の愛を感じたのは、私だけだろうか。
どこかメルヘンチックな闇市にも、心が癒された
7分過ぎの、朝ドラで描かれる「闇市」とは、一味も二味も違う、どこかメルヘンチックな闇市にも、心が癒された。
モノを奪い合うことで得られる幸せの親の必死さやと、子どもの反発、そして父と息子の別れは、前回でこれでもかと言わんばかりのノックアウトをくらったばかりだから、「生みたて卵」の台詞から始まる闇市に、こう言う例えが相応しいか分からないが、直感で癒された。『天国から地獄』の次の放送回で “生まれた天国” を見たような気分だと言うことだ。
深夜の安子を応援するのが、賑やかなセミの鳴き声から、秋の虫の鳴き声に変わった
その後は、闇市で手に入れた、安子と金太にとっては卵より大切な “小豆” を使った「たちばな」の味の “あんこ” の復活のストーリーだ。そして、注目して欲しいのは、深夜に「たちばな」の味の “あんこ” の復活を夢見る安子を応援するのが、賑やかなセミの鳴き声から、秋の虫の鳴き声に変わったこと。
あの「終戦の夏」は終わったのだ。そして、始まったのが安子と金太の父と娘の「たちばな」の味の “あんこ” の復活劇だ。切ないのは、金太の部屋にも、小豆を炊いた香りは届いているはず。なのに、金太は無反応なところ。テレビのこちらにも、香りは届いているのに…
金太の心の病は、6月29日から9月17日まで、「約2か月半以上(80日間)」も続いている…
11分頃、ラジオから「台風16号」のニュースが流れた。史実によると、1945年に発生した「台風16号」は、「枕崎台風」と呼ばれ、9月17日14時頃に、鹿児島県川辺郡枕崎町(現在の鹿児島県枕崎市)付近に上陸して、太平洋戦争終結直後の日本を縦断した台風。岡山に大きな被害はなかったようだ。
いや、ここで肝心なのは、もしも史実通りで書かれているなら、金太の心の病は、6月29日から9月17日まで、「約2か月半以上(80日間)」も続いていると言うことだ。
「80日間」も苦しんだ金太だからこそ、やっと、安子が作った “おはぎ” を口にする変化が訪れた
そして、「台風16号」のこと知った私の脳裏に浮かんだのが、「人の噂も七十五日」と言う諺だ。ここで、自論を展開してみたい。一般的に「人の噂も七十五日」と言う諺の意味は、「人の噂は長く続かない」と言うものだ。では、なぜ「七十五日」なのか? を考えてみると。その由来には諸説あるが。
日本の季節と関係していると言う説が有力だ。現代の日本では、1年を通して春夏秋冬と言う「4つの季節」がある。しかし、かつての日本には、初夏の梅雨時期を一つの季節と捉えた時代があり(正に、前回での「白い紫陽花に、黒い雨が降った季節」のことだ)、合計5つの季節があると捉えられていた。
そして、1年間である365日を5つに分けると、73日。ここから、キリが良い「75日」を一つの季節と考えられたと言う説。要するに「75日近くの期間」で季節が変われば、人の意識や生活様式にも変化が生まれると考えられて、生まれたのが、「人の噂も七十五日」。
だから、「80日間」も苦しんだ金太だからこそ、やっと、安子が作った “おはぎ” を口にする変化が訪れたと考えるのは、やはり、私が相当なロマンチストだからだろか。
「80日間」も苦しんだ金太が、やっと、亡き妻・小しずと祖母・ひさの成仏を始める気になった
そして、遂に、12分過ぎの大雨のシーンから、安子と金太にとっては卵より大切な “小豆” を使った「たちばな」の味の “あんこ” の復活のストーリーのイントロダクションが終わって、「真っ黒に焦げた、隠しておいた砂糖が入っていた、たった1つの箱」から、第一幕が始まった。
「80日間」も苦しんだ金太が、やっと、亡き妻・小しずと祖母・ひさの成仏を始める気になった。人の死を受容する期間は人それぞれ違う。
金太が「否認と孤立」を味わってからの「80日間」を、僅か「15分間」に凝縮した「第18回」も秀作
私が時々引用する1960~80年代に活躍したアメリカの精神科医「エリザベス キューブラー・ロス」の著書『死ぬ瞬間―死とその過程について』に書かれている「人間が人の死をどう受け止めていくのか」について書かれている心の変化を引用して考えてみると…
人は非日常的なことが目の前で起こった時に、人間は「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑うつ」「受容」と言う段階を経て昇華すると言う考え方あると言う。そして、今回の金太は、「80日間」掛けて、「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑うつ」を得て、漸く「受容」の段階に辿り着き、前を向いて生きることを決意した。
金太が「否認と孤立」を味わってからの「80日間」を、僅か「15分間」に凝縮し、徹底的な「引き算の演出」で「受容」と「再起」まで描いた「第18回」も秀作と言わざるを得ない。
あとがき
未だに、この脚本を「ストーリーが駆け足だ」と評価している人いるようですが、私は着実に描くべきことを描いていると思います。
そして、何より、繰り返しになりますが、徹底的な「引き算の演出」により、見せるべきこと、聴かせるべきことが強調され、人間の持つ心の機微を丁寧に描いているからこそ、登場人物たちに寄り添え、感情移入できるドラマになっていると思います。
感想内で紹介したアメリカの精神科医「エリザベス キューブラー・ロス」の著書『死ぬ瞬間―死とその過程について』。全ての人におすすめします。決して、「死の恐怖」など怖い内容の本ではありません。人間の心理の変化を描いた、今も読まれている「看護師のバイブル(聖書)」的な、心優しくなれる一冊です。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16273/
【これまでの感想】
第1週『1925-1939』
1 2 3 4 5 土
第2週『1939~1941』
6 7 8 9 10 土
第3週『1942-1943』
11 12 13 14 15 土
第4週『1943~1945』
16 17
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