連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」〔全120回〕 (第14回・2021/11/18) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
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第14回/第3週『1942~1943』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
橘家では、肺を患い苦しむ杵太郎(大和田伸也)の枕元で、安子(上白石萌音)が懸命に声をかけていました。その頃、雉真家では稔(松村北斗)が出征することが決まり、千吉(段田安則)は頻繁に大東亜銀行の頭取と面会をしています。出征までに、頭取の娘との縁談を取りまとめるためでした。稔と安子の互いの気持ちを知る勇(村上虹郎)は、2人の結婚を許すよう千吉に頼み込みますが、まともに取り合ってはもらえず…
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作・原案・脚本:藤本有紀(過去作/ちりとてちん)
演出:安達もじり(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく、おちょやん) 第1,2週
橋爪紳一朗(過去作/てっぱん、花子とアン、半分、青い。、エール) 第3週
深川貴志(過去作/花燃ゆ、とと姉ちゃん、半分、青い。、麒麟がくる)
松岡一史(過去作/まんぷく、心の傷を癒すということ)
二見大輔(過去作/半分、青い。、なつぞら、伝説のお母さん)
音楽:金子隆博(過去作/Q10、三毛猫ホームズの推理 、あいの結婚相談所)
演奏:BIG HORNS BEE(過去作/米米CLUBのホーンセッション)
主題歌:『アルデバラン』(作詞・作曲:森山直太朗、編曲:斎藤ネコ、歌:AI)
語り:城田優
制作統括:堀之内礼二郎(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく)
櫻井賢(過去作/4号警備、透明なゆりかご)
※敬称略
本気で悩んだ。私なんぞの拙稿の感想など必要あるのかと…
う~ん、本気で悩む。これだけ、しっかりと作り込まれて、作者が伝えたいことが、余すことなく視聴者に伝わり、更に深い感動まで与え済みの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に対して、そして、今回の第14回について、私なんぞの、誤字脱字ばかりの長文で拙稿の感想なんぞ、必要あるのかと。
本作の作り手たちへのリスペクトを込めて感想を書いてみる
もはや、私の陳腐で自分勝手な解釈の感想や、俄か解説を書いたところで、何の役に立つのかと。昨日に続いて本気で考えてしまった。しかし、嬉しいことに、たくさんの読者さんが応援して下さる。だから、今朝も、心を込めて “見たまま、感じたまま” を綴ろうと思う。例え、解釈が間違っていても、書いたこと自体が無駄だと承知していても。
こんな素晴らしい15分間を、<今の私>に与えてくれた、作り手の人たちへの、せめてもの “感謝” と “期待” だと思って、一文字一文字に気持ちを込めて書こうと思う。それも、本作への作り手たちへのリスペクトを込めて、いつも通りの “ディレクター目線” で追い掛けて行く。この盤石な作り込みに追いつくはずはないのだが…
アバンタイトルの冒頭から、作り込みが凄い!
では、恐れながら感想を書く。アバンタイトルの冒頭から、作り込みが凄い。1カット目は、ラジオを強調するために、ラジオからの臨時ニュースの音声を使って、冬の河原を一人歩く稔(松村北斗)。ここ、別に、ナレーションでも構わないのだ。
しかし、前回まで、しっかり見ている視聴者にとっては、学徒出陣を告げるのが「ラジオからの音声」であるだけで、一瞬で「本作は、ラジオとラジオ英語講座の朝ドラなんだ」と印象付ける。
それも、本当に微妙な塩梅で、まるで前回の余韻を思い出させるかのように、当ブログで良く書く「映像の掟」に則って、稔のバストショット(胸から上を映す画角)を下手(画面左)に置いて、目線は上手上方(画面左上)にし、「希望」を演出した。僅か「15秒間」で… だ。
今回の1カット目で少なくとも "時間経過" している
そして、上記の稔のバストショットに、「ラジオからの音声」を早めに終えて、城田優さんの「稔は 出征することになりました」のナレーションを先行させた。ここも巧みだ。前回の大ラストでのナレーションは「それは 稔が出征することを意味していた」だった。
だから、もう、前回のラストカットから、今回の1カット目で少なくとも “時間経過” しているわけだ。いや、正しく言うなら “物語と時代が前進” しているわけだ。
こう言う「僅か15秒間」でも、徹底的に「引き算の法則」を活用して、伝えるべきことは正確に、且つ、端的に。そして雰囲気は壊さず… が、徹底されているのなんて、私が解説して良いのだろうかと思ってしまう。
安子が神社で参拝するシーンを、徹底的に掘り下げてみる!
画面は変わって、“もんぺ” 姿の安子(上白石萌音)が神社を参拝するシーンへ。ワンカットで「誰にも分かる安子の願い事」を撮りながら、ゆっくり下手にカメラがパン(横移動)すると、カバンを持った勇(村上虹郎)が映り込んで来る。前回で、大切な幼馴染の安子を “兄だから” と言う理由で諦め、兄に託した勇だ。このシーンで、私の好きな部分を語りたい。
安子と勇の距離感と立ち位置の微妙な工夫で心情を描き切る
まずは、二人の距離感。勇は安子が何を祈っているのか知っていると言う意味で、自分の気配を消すために、かなり安子との距離を撮っている。
しかし、よく見ても専門的だから分かり難いと思うが(これは、カメラとレンズと光の関係で、とても難しいからで、決して、読者の皆さんを下に見ているわけでは無い)、最初の安子が参拝しているカットに入って来る勇の “立ち位置” より、二人が “横の位置の画角” の方が、勇の “立ち位置” が下がっている。
その理由は、恐らく2つある。1つは、最初のカットを良く見て欲しい。最初は安子にピントが合っているが、勇が映り込んだ瞬間、一瞬だけ勇にピントが移動する。その時のピントの移動時間と勇と背景の庭とのボケ具合が凄く良いから、最初は、若干手前の “立ち位置” で撮影した。
しかし、今度は、勇が台詞を言いながら安子に近づく必要があり、きっとリハーサルで台詞の尺に対して距離が足りなかったのだ。だから、その分だけ勇の “立ち位置” を下げた。しかし、このまま、2つのカットを繋げると、背景のボケ具合に違和感が生じる。だから、2つのカットの間に、勇のミディアムショット(腰から上を映す画角)を2カット挿入した。
それも、ご丁寧に勇の前からと後ろからの2つの角度のインサートカットだ。これによって、違和感が無くなった。きっと、ここまでやらなくても、普通の視聴者なら気にならないはず。でも、ここのスタッフは気になったら、やるのだ。そこがリスペクトに値するところなのだ。
稔と勇と安子それぞれの複雑な心情を、"立ち位置"や"持ち物の位置"だけで表現している
また、話が長くなって恐縮だが、この神社のシーンには、もう1つの工夫がある。それが「勇がカバンを地面に置くタイミングと位置」だ。
まず、勇は神様に敬意を表して、カバンを玉砂利の上でなく、地面に置いて、拝殿の軒下で安子と話す。神社で参拝する際、または拝殿に上がる際に荷物を置くべきかどうかは、宗派等によって論議が分かれるが。
私が良いと思うのは、「勇と大学野球は終わったこと」であることが、カバンと勇の距離感で分かること。逆に、話が進むと分かって来るが。カバンと勇の距離より、安子と勇の距離の方が、自然に近くなっていることだ。そして、一瞬だけ、安子が涙を拭くような仕草を見せて、安子が去る。
この辺の、画面には映っていない稔と、画面に出入りする勇と安子の複雑な心情を、登場人物の “立ち位置” や “持ち物の位置” だけで表現しているのだ。そして、時間は、また、2分弱。恐ろしい15分間になる(なった)。
杵太郎の死のシーンに"人の死"への気遣いや配慮、そして敬意すら感じた
主題歌明け、橘家では、肺を患い苦しむ杵太郎(大和田伸也)の枕元で、安子(上白石萌音)が懸命に声をかけていた。ここもいい。ただただ、単純にいい。杵太郎が安子に、ひたすら「幸せになれ」を肺が苦しいのに、頭をさすりながら、まるで、菩薩様へ祈るように告げるシーンが。美しく、優しく、切なく、悲しく…。
そして、祖母・ひさ(鷲尾真知子)が、衣装篭から「買い置きの雉真繊維製の白い足袋」を取り出し手にしたまま、夫にすがりつく妻。基本的に、不必要にドラマの中で「安易に人の死を扱うな!」が持論ではあるが。このシーンには “人の死” への気遣いや配慮、そして敬意すら感じた。
このような“人の死” の描写を、今後の朝ドラは、是非とも見習うべきだ。
「雉真の学生服」と「雉真の軍服」の対比、父と次男の対比、父の複雑な心境の葛藤、必死な勇の努力と気力が…
杵太郎が亡くなった。その頃、雉真家では稔が出征することが決まり、千吉は頻繁に大東亜銀行の頭取と面会をしていた。それは、出征までに、頭取の娘との縁談を取りまとめるためだった。そんな中で、稔と安子の互いの気持ちを知る勇は、2人の結婚を許すよう千吉に頼み込むが、まともに取り合ってはもらえない。
「雉真の学生服」と「雉真の軍服」の対比、父と次男の対比、父の複雑な心境の葛藤、必死な勇の努力と気力が、アルペジオのアコギのサウンドが、切なく描き出した。
「雉真製の足袋」を通して、両家の運命すら感じ取れた
御菓子司「たちばな」へ、千吉がやって来たシーンも、語らないわけにはいかない。このシーンが素晴らしいのは、稔の父と安子の父の初対面と言う “気まずい場面” と、安子の “明るく気遣いのある接客” の絶妙なメリハリの付け方と、お汁粉に秘められた温かなエピソードだ。
安子の千吉への「早よう 元気になって下さいね。フフッ 失礼します」の言葉から始まる一連のシーンには、「杵太郎の初七日」と言う時間経過を表しつつ、安子の “接客業としての勘の良さ” を上手く忍ばせて描きつつ、「雉真製の足袋」を通して、両家の運命すら感じ取れた。本当に、いいシーンだ。
今週に"放蕩息子"の安子の兄・算太が、ここで繋がるのか!?
画面は「たちばな」の店先で、金太が千吉を送り出すシーンになった。実は、正直言うと、なぜ、今週に “放蕩息子” である安子の兄・算太(濱田岳)の召集令状の話を盛り込んだのか、良く分からずにいた。しかし、今回のラストシーンで算太を利用して、「息子を戦争に取られるしかない父親の苦悩」に繋げて来るとは思わなかった。
やはり、「引き算の法則」は当然で、それ以前に、全話の構成が、巧みに作り込まれているのが良く分かるシーンだった。
橘の花は"昔の恋を思い起こさせる花"、花言葉は「追憶」…
そして、今回、二人の父親と安子のシーンに、幾度も映り込んだのが、「たちばな」の「京都の雅」を象徴する “京紫色” に似た色の「橘の花が染め抜かれた暖簾」だ。橘の花は、「昔の恋を思い起こさせる花」として、平安の昔から存在している花で、花言葉は「追憶」。もう、これ以上、綴る必要はないだろう…
前回以上に際立った「ナレーションの巧みな使い方」
さて、演出の観点から書いておきたいこと。それは、前回以上に際立った「ナレーションの巧みな使い方」だ。
序盤では、時代と状況説明をやりながら、戦争中ながら、ドラマとしては “戦争に翻弄される国民たちの雰囲気” を作った。そして、後半では “戦争に翻弄される国民たちの雰囲気” を排除して、徹底的に登場人物の心情が中心の “ドラマ” で魅せた上に、各登場人物の心理描写で、緩急をつけ、次回へ繋げた。
どんどん「ドラマの世界」へ引き込まれる理由
とにかく、描かれていることは、実に戦時中を描くドラマなら、どんなドラマでも描くような、ベタなネタばかりなのだ。恋バナにしても、相手や兄弟に召集令状が来るのも、兄弟の後継ぎ問題も、食糧難も。
しかし、本作は、あざとく「ラジオ100年史」とか「ラジオ英語講座100年史」とか「3人ヒロイン3世代100史」などの大看板をでっかく掲げずに、普通に “ドラマ” として、登場人物の性格などの人間性をきちんと描写して、そこで生まれる人間関係を表現することで、“ドラマ” として魅せることに成功している。
これが、実に自然にやられるから、どんどん「ドラマの世界」へ引き込まれるに違いない…
あとがき(その1)
1週間の構成もさることながら、1話毎のエピソードの組合せ方、順序と言った、構成が本当に凄いです。前回も驚きましたが、今回は、登場人物や場面転換の多さを含めて、更に一段凄さを増したと思います。
あとがき(その2)
今朝、早くに前回の『カムカムエブリバディ(第13回)』の感想の “校閲” を、敢えて【非公開コメント】で投稿して下さった、読者のあなたへ。
本当にありがとうございます。昨日は、午前中に急きょ「かかりつけ医」に行く用事が出来て、バタバタしており、つい自分がやるべき校閲が手抜き作業になってしまったようです。
他にも、数日に数名(多過ぎるだろ!と自分へ戒めます)の読者さんが、「自主的校閲」で、当ブログを助けて下さっています。まずは、つい勢いとエネルギーで書いてしまう私が大反省すべきですが。とにかく、優しく温かな読者さん、本当にありがとうございます。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16247/
【これまでの感想】
第1週『1925-1939』
1 2 3 4 5 土
第2週『1939~1941』
6 7 8 9 10 土
第3週『1942-1943』
11 12 13
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