連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」〔全120回〕 (第8回・2021/11/10) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
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第8回/第2週『1939~1941』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
砂糖が配給制になり、「たちばな」の菓子作りも打撃を受けていました。そんな中、金太(甲本雅裕)から安子(上白石萌音)に砂糖会社の息子との見合い話が持ちかけられます。突然の話に戸惑いを隠せない安子。家族の幸せを願う気持ちと稔(松村北斗)への思いとの間で、安子の心は大きく揺らいでいました。小しず(西田尚美)の心配をよそに、安子は翌朝、置き手紙を残し小さなかばんひとつで始発の汽車に乗り込んだのでした。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作・原案・脚本:藤本有紀(過去作/ちりとてちん)
演出:安達もじり(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく、おちょやん) 第1,2週
橋爪紳一朗(過去作/てっぱん、花子とアン、半分、青い。、エール)
深川貴志(過去作/花燃ゆ、とと姉ちゃん、半分、青い。、麒麟がくる)
松岡一史(過去作/まんぷく、心の傷を癒すということ)
二見大輔(過去作/半分、青い。、なつぞら、伝説のお母さん)
音楽:金子隆博(過去作/Q10、三毛猫ホームズの推理 、あいの結婚相談所)
演奏:BIG HORNS BEE(過去作/米米CLUBのホーンセッション)
主題歌:『アルデバラン』(作詞・作曲:森山直太朗、編曲:斎藤ネコ、歌:AI)
語り:城田優
制作統括:堀之内礼二郎(過去作/花燃ゆ、べっぴんさん、まんぷく)
櫻井賢(過去作/4号警備、透明なゆりかご)
※敬称略
「もう、ぼちぼち称賛続きじゃないぞ!と、初ダメ出し!
この感想の下書きを始めた時点で、既に午前11時だから、世間では「あの演出が良い」とか「あそこの演技が最高!」などの高評価がネット上を騒がしているのかも知れない。ただ、私は自分が感想を投稿するまでは、他人の感想に目を通さないことに決めているから、あくまでも、世間さまの感想の想像ではあるが。
正直、誰でも気づくような、演出の良し悪しを書くなんて、当ブログがやる必要のないことだから、今日は、当ブログだかからこその “ダメ出し” を今作初めてやろうと思う。まっ、「もう、ぼちぼち称賛続きじゃないぞ!と。
「見るべき演出や演技」について第8回の感想を綴る…
ただ、そう言って「ダメ出し」だけ書いたら、折角、読みに来て下さった読者さんが、身近にあるコートを羽織って泣いてしまうと困るので、「見るべき演出」や「見ておくべき演技」などについて書きながら、第8回の感想を綴ろうと思う。
画面にいない"稔の存在"を感じ続けさせた冒頭の数分間
まず、今回のエピソードは、前回の14分過ぎの最後の金太(甲本雅裕)の次の台詞「算太は もう… 橘の人間じゃねえ」から繋がったエピソードだ。
和菓子屋「たちばな」が生きる残るためには、砂糖が必要。でも、稔(松村北斗)が跡継ぎ候補の実家「雉真繊維」は繊維製品を欧米と商取引する会社で、和菓子屋とは無関係。だから、砂糖生産会社の次男との見合い話(政略結婚)が出てきたわけだ。所謂「時代の描写」だ。「そう言う時代に主人公は、10代半ばを迎えている」と言うこと。
ただ、時代の説明、主人公の心境変化を描くだけの冒頭のシーンではあるが、しっかりと、画面に映っていない “稔の姿” を感じるように、僅か7回の放送で、安子(上白石萌音)と稔の関係を描いて来たことは、褒めるに値する。
だって、一つも稔のカットは無いのに、早朝の置手紙の時まで、少なくとも<私>には、“稔の姿” を感じていたから。こう言うのは中々出来ることではない。
時代を考えると、10代半ばの女の子が、一人で岡山から大阪へ汽車で移動するのには無理がある
さて、ここから私が「ダメ出し」をする。いや、正確に言うなら、「こうしておけば、違和感を払拭でき、今回の15分の流れにケチを付けようがなかった」と言う<私>から本作への時は遅いが “提案” だ。
それは、時代を考慮すると、10代半ばの女の子が、一人で岡山から大阪? へ汽車で移動すると言う疑問だ。やはり、まだ、戦争の足音がそこまで来ていると言う時代を考えると無理があるのだ。
「安子のプチ家出」を祖母・ひさあたりが知っていた方が、前述の戦略結婚のくだりからスムーズに流れたはずだ
だから、まずは、「安子のプチ家出」を知っている(または、気付いている)人物を、豆腐屋「水田屋とうふ」の水田きぬ(小野花梨)だけでなく、橘家では、母・小しず(西田尚美)が心配するだけでなく、祖母・ひさ(鷲尾真知子)あたりが知っていた方が、前述の戦略結婚のくだりから、話がスムーズに流れたはずだ。
だって、安子の気持ちが分かっている人物なのだから。それに、橘家に一人でも安子の行先を知っている家族がいる方がホームドラマとしても自然だし。もちろん、安子が祖母に相談するシーンもカットも要らない。
もしワンカット入れるなら、母が置手紙を見つけて慌てた瞬間に、朝食の準備をしている祖母が、チラリと安子の部屋の方を見て、一つ頷くだけのカットがあれば十分。どうやら、全体の奇抜な構成に気を取られて、細部に気が回らなかったようだ。もったいない…
最も自然なのは、稔が「たちばな」に立ち寄っている時に、見合い話をすること
いや、そんな回りくどいやり方をせずとも、祖母が見合い話が出た直後に気を利かせて、お小遣いやお駄賃を安子にあげて、物言わず「行っといで!」の雰囲気を出した方が、女三代を描く今作としては、マッチしたと思う。
もちろん、最も自然なのは、稔が「たちばな」に立ち寄っている時に、店の外へ見合い話が聞えて来て… なのだが。そうすれば、すぐにでも、話は前進せざるを得ないから。
良いドラマは「引き算」が創るのだ。「足し算」で盛り上げるのは…
ただ、上記のことをやってしまうと、今回の「プチ家出」の意味が変わってしまう。それに、後術するが「コートの一件」も出来なくなってしまう。まあ、今回の最良の落としどころは、祖母が見合い話が出た直後に気を利かせて、お小遣いやお駄賃を安子にあげて、物言わず「行っといで!」だったと思う。
そうすれば、翌朝に慌てるのが、母になって、でも、祖母ときぬは知っているから安心となるから。脚本家も演出家も、やりたいことは分かるのだが、何度も言う通り、良いドラマは「引き算」が創るのだ。「足し算」で盛り上げるのは… まあ、この辺は、好みがあるから、これ位にしておこう。
稔の下宿先「おぐら荘」の大家・小椋くま役・若井みどりさんへのリスペクト
さて、稔が住んでいるのが「おぐら荘」と言うのも良いじゃないか。なんか、和菓子と繋がっているし。
また、稔の下宿先「おぐら荘」の大家・小椋くま(若井みどり)が朝からやって来て、ペラペラと路地裏話に花を咲かせているのを、スパッと切ったのは、若井みどりさんへのリスペクトだ。
若い人は知らないだろうが、若井みどりさんと言えば、1965年から80年代に掛けて大人気を博した吉本興業所属で、元女流漫才コンビ「若井小づえ・みどり」の “ツッコミ” 担当で有名な女優さん。その “名ツッコミ” を切るのだから、正にリスペクト。この辺の配慮は、流石「NHK大阪」だ。
最低限の"ウキウキ"だけ盛り込んで、両者承知の「プチ家出」を満喫する姿が愛おしかった。
そして、引き延ばしや時間稼ぎをするなら、いくらでもできるが、何せ時間が無いのが本作。サクッと玄関先で再会して、そのまま「映画デート」。ここで良いなぁと思ったのが、稔が学生服のまま映画館で映画を見ているシーン。
普通なら着替えても良さそうだが、安子の帰りの汽車の時間を聞いて、着替えずに映画館、そのまま、稔が愛用している食堂で安子にはご馳走に映っただろう、「いつも稔が食べているラーメン? そば?」を嬉しそうに食べる。
そして、川辺のシーンへ。とにかく、奇を衒わず、あざとくなく、最低限の “ウキウキ” だけ盛り込んで、恐らく両者承知の「プチ家出」を満喫する姿が愛おしかった。
夕景の川辺のシーンこそ、安子と稔の運命の本当の始まりでもあり、「1941年」への足音かも知れない…
また、本作を「字幕オン」で見てきた人なら分かると思うが。基本的に、これまでは、稔が喋る英語は「英語表記」で、安子の英語は「カタカナ表記」で区別されていた。しかし、今回の川辺のシーンでの安子の英語は、全部、稔と同じ「英語表記」だった。もちろん、「基礎英語講座」での勉強や時間経過も表しているが。
何よりもこのシーンが最良&的確に表現したのは、教本に掲載されているような英語の文章なのに、それでも、「英語が、安子と稔の心を初めて結ばせたこと」だ。寒いからコートを掛けてやると言う、さり気ない寒い夕景の河原のシーンではあるが。
もしかすると、このシーンこそ、安子と稔の運命の本当の始まりでもあり、「1941年」への足音かも知れない。また、英語の翻訳を入れなかったことも評価したい。
安子の涙のアップもやめて、全部をAIさんが歌う『アルデバラン』に賭けたのが秀逸!
まあ、次のシーンについて、私がとやかく言う必要もないが。稔のコートを羽織ったまま汽車に乗り込んだ安子。ここ、演出も上白石萌音さんも頑張った。普通なら、コートを掴むよね。コートを握りしめるよね。それで涙を零すよね。そこまで普通、ワンセットでしょ?
しかし、今作は全部やめた。安子の涙のアップもやめて、全部をAIさんが歌う『アルデバラン』に賭けた。歌(クレジット映像)の時間が、大阪から岡山への汽車の時間になって、稔が「下宿へやって来た理由が嘘だと承知だったこと」を安子へ暗示させる。そして、稔の「何があったん?」で終了。
"僅か1分17秒" のオープニング映像が描いた、安子と稔の過ごした時間の表現が素晴らしかった
安子がコートを稔に返さない不自然さ、稔が安子からコートを返してもらわない不自然さ。稔は、何処に乗っていたのか分からない不自然さ。もう、実は帰路の汽車のシーンは不自然さのオンパレードなのだ。それを、どのように解釈すべきかは視聴者次第。
ただ、<私>が言えるのは、『アルデバラン』に於ける歌詞の奥深さと広さ、AIさんの歌唱力によって、“僅か1分17秒” のオープニング映像が、同じ汽車の中で稔は安子に何を感じ、安子は楽しい時を過ごした思い出に浸る時間の表現として、秀逸だったこと。ただ、それだけ…
あとがき
やはり、冷静に見直してみると、もう少しホームドラマを意識して欲しかったことと、15分間の構成に縛られない大胆な構成が、第8話の感想のまとめですね。でも、まだまだ、作り手には余裕を感じます。
いや、あまり前作とは比較したくないので書きませんが。「脚本の行間をしっかりと演出して、解釈は視聴者に委ねる」を第8話まで徹底していますね。それは、凄いことだと思います。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/16206/
【これまでの感想】
第1週『1925-1939』
1 2 3 4 5 土
第2週『1939~1941』
6 7
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