【脚本プチ講座】脚本家と俳優と演出家の関係とは? 良き脚本「強い物語」とは? ※現在放送中の連続テレビ小説『おかえりモネ』完全対応版

©NHK
まえがき
だいぶ前に、ある常連の読者さんから、『[演出プチ講座] 映像の掟~画面内の人物の位置や視線(目線)の向きには意味がある~』の続編みたいな企画モノをやって欲しい」と依頼があったのですが、中々良い題材が見つからず、疎遠になっておりました。が、今回やっと、依頼にお答えする時が来ました。
新型コロナウィルスの初期型から、感染力が1,000倍以上と言われる「デルタ株」への感染対策のために、家の中でじっくり時間をかけて読めるように、長文にしまてあります(ウソです)。※とにかく長文です。覚悟して下さい(謝)
お知らせ
第7週目から “超” が付く程、好意的に本作を見るモードに入っております。そのつもりで、読んで頂ければ幸いです。
今回の【脚本プチ講座】の「5本立てメニュー」を紹介
テレビドラマに限らず、映画を鑑賞する上で、より違った角度で面白さを感じたり、面白くない理由を知ったりしたいと言う読者さん向けに、「どうやって映像が作られるのか?」や「どこに注目すると楽しめるのか?」について、書いてみようと思う。
【1】俳優を活かすも殺すも、脚本と演出次第
【2】強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術
【3】「良き脚本、強い物語」とは
【4】第15週までの朝ドラ『おかえりモネ』に、上の3つを当て嵌めてみる
【5】今の百音に共感や応援が出来るか、出来ないか?
脚本、俳優、演出の役割を「建築(家を建てる)」に例える
まず、皆さんに知っておいて頂きたいこと。それは、脚本、俳優、演出には、それぞれの役割があると言うこと。「建築(家を建てる)」に例えると以下のようになる
●脚本は、緻密な設計図=優れた設計事務所>
●俳優は、優れた建材=優秀な材木屋さん>
●演出は、器用な大工さん=臨機応変も効く優れた大工さん
って、ことだ。
連ドラの成否を決めるのは、「測量」、「設計図」、「土台(基礎)」
ドラマ制作と言う “建築” に於いて、最も大事なのは、「緻密な設計図」を基に「器用な大工さん」が「優れた建材」を活かすために、建築現場で最初に行われる「測量」と「設計図」と「土台(基礎)」だ。
「測量=ドラマの企画」と考えても良い。どれくらいの期間、予算、集められる俳優陣、作品のテーマなどだ。これをやるのは、お金や人材については、プロデューサー(NHKでは「制作統括」)。作品のテーマや映像の方向性を決めるのは、ディレクター(「演出家」や「監督」と、分けて考えると分かり易い。
そして、「測量」の段階で大事なのが、はっきりと「全体像」が、プロデューサーとディレクターの間できちんと共有されていること。ここが中途半端だと、ドラマや映画が所謂「見切り発車」となり、行先不明になり兼ねない。
何とか「測量」は上手く行ったとしよう。次にやるのは…
では、何とか「測量」は上手く行ったとしよう。次にやるのは建築家が、プロデューサーとディレクターの間できちんと共有されたことを請け負って、設計図を書くと言う作業だ。「設計図=脚本」と考えても良い。
どのような「土台(基礎)」をつくり、その上にどんな家を建てれば良いのかを、ここで頭の中の “抽象的な概念” から “具体的な図面” に変換する。
例えば、「幼馴染が恋するドラマを作りたい」と言う抽象的な概念を、「幼少期と外観が変わって、互いが幼馴染と気付かない男女のすれ違う初恋が、やがて成就する、初恋サクセスラブストーリー」みたいに具体的に落とし込んで行く。
俳優を活かすも殺すも、脚本と演出次第
この「土台=ドラマの登場人物や状況や時代などの初期設定」が、凸凹だったり、ふにゃふにゃだったりすると、そんな土台の上に豪邸を建てても崩れて倒れてしまう。
こう考えると「ドラマ制作」と言う建築現場では、器用な大工さん(演出家)や、豪華で優れた建材(俳優陣)をたくさん集めても、「緻密な設計図」から計算して作られた土台(基礎部分)が、その上に建つ豪邸に耐えないと、全く意味がない。
よって、器用な大工さんたち(ここには、ドラマなら、美術さん、衣装さん、道具係などが入る)が設計図の通り、または、設計図以上の仕上がりの土台を作り込まなければ、豪邸は絶対に建たないってこと。だから、俳優を活かすも殺すも、脚本と演出次第ってこと。
強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術
今回、最下部で紹介している映像関係の本『物語の法則 強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術』について、少し紹介したい。
ディズニーやピクサー映画のような冒険活劇の物語の描き方を通して、「解かり易くて強い物語」と「魅力的なキャラクター」の創り方を、ハリウッド式脚本術によく見られる “リスト” や “類型”や “方程式”を用いて、講義スタイルの文体で丁寧にプロ意識を植え付けるように指導してくれる本だ。
とても、脚本や演出の勉強に役立つので(多少、ハリウッド映画寄りの思考回路ではあるが)、日本のドラマは映画にも十分に活用できる。従って、この本から少しだけ抜粋&簡略化して、今回の投稿に合わせて書こうと思う。
シーン(場面)はキャラクター同士、物語は作者と観客の契約
シーン(場面)とは、物語上無くてはならない重要な力の交換であり、シーンはキャラクター同士の契約行為だと言う。だから、話の説明のためだけに新たなシーンを創ってはいけないのだ。
簡単に言うと、(情景や風景シーンは別にして)普通のシーンには必ず登場人物同士のやり取りが必要だと言うこと。登場人物の同士のやり取りが無いのは、カットと言うべきだと言うのも、知っておくと良いと思う。
物語は、脚本家が観客を終結部まで飽きさせないと言う契約
さて、シーンによって登場人物同士が契約(取引)をし、相手を利用したり自分が罠に嵌ったりして心理的・身体的に戦いながら、ストトーリー(物語)が構成されていくわけだが。
では、そのストーリー(物語)とは何なのか。著者は、「物語は作者と観客との契約」だと言う。「物語は、脚本家が観客をエンディングまで飽きさせないと言う契約」と考えると分かり易いかも知れない。
従って、某朝ドラとは限定しないが、脚本家が書いた物語は、制作陣が視聴者へ、本当に良質なものを提供し、契約をまっとうする必要がある… のだ。だから、契約が不履行だと思ったら、どんどん声に出して当然だし、その権利もあると言うことだ。
一部の朝ドラの脚本家による契約不履行が多いような気が…
本書で強く書かれているのは、「これを忘れている脚本家が実に多い」ってこと。特に、映画のチケット代のように金銭的価値が見え難い民放のテレビドラマや、中でもたちの悪いのが受信料の上に成り立っているのを忘れているNHKから依頼されてい一部のるドラマの脚本家だ。今一度、この原点に立ち返って欲しい。
観客を楽しませビジネスを成功させる「アーコフの方程式」
さて、ちょっと小難しい話が続いたから、少し砕けよう。エンターテインメントの先進国であるアメリカでは、観客を楽しませ、且つ、ビジネスとして成功させる “アーコフの方程式”を挙げている。「アーコフの方程式」とは「A・R・K・O・F・Fの方程式」のことだ。
A アクション(動き):スリリングで目を奪うドラマ
R レボリューション(革命):新しい大胆なテーマや題材
K キリング(殺し):悪趣味にならない程度の暴力
O オラトリー(弁舌):良質の会話、耳に残る台詞
F ファンタジー(夢想):観客の願いや夢想の実現
F フォーニケイション(密通):セクシーさ、特にヤングアダルトに訴えるもの
※P.350より引用
どうだろう、上記の6つの「誰もが何かを楽しめるプログラムづくり」こそが、ショーマンシップの原点だとお分かり頂けるのではないだろうか。そして、これらの要素が、面白い映画やテレビドラマやショー(演劇)には、全て含まれていると思わないか。
例えば、自分の好きなテレビドラマを頭に浮かべてみよう。そして、「A・R・K・O・F・Fの方程式」を探すのだ。恐らく、大なり小なりはあっても、全部あるはずだ。逆に考えると、連ドラの第1話を観ただけで、「A・R・K・O・F・Fの方程式」を知っていれば、アタリハズレが見分けられるようになる… と言うわけだ。
そして、これも忘れないように。第1話を見て、「A・R・K・O・F・Fの方程式」の6つの内、幾つかの項目だけを “力づく” で強調したり押し付けて来たりするドラマは、面白くないってこと。私なんて、幾つも思い付くが…
私が考える「良き脚本、強い物語」について
さて、今度書くのは、最近、ドラマの感想に良く書く「良き脚本、強い物語について」だ。優れた脚本、良く出来たドラマは、主人公自身が自分で動くことで、物語も動く。もう少し掘り下げよう。ここまでで、読者さんたちは、以下のことを既に学んではずだ。
「シーンには必ず登場人物同士のやり取りが必要」
「物語は、脚本家が観客をエンディングまで飽きさせないと言う契約」
この2つを同時に叶えるには、シーンの中で主人公が能動的、主導的に動くと、脇役もそれに追従するように動く。そのことによって、直前のシーンの内容と、今観ているシーンの内容に変化が生じる。
その変化が、主人公や脇役にとって大きい出来事な程、また、より以前より印象的な程、更に、今まで見たことのない新鮮味に溢れている程に、物語に強い変化が起こる。そして、一度物語に強い変化が起こると、「物語は、脚本家が観客をエンディングまで飽きさせないと言う契約」によって、より強い変化が物語に起こる。そして、この “強い” と言う単語が重要。
おさらい:"主人公が主体の物語" が「強い物語」
では、もう一度、おさらいをしておこう。各シーンの中で主人公が能動的、主導的に動くと、脇役もそれに追従するように動いて、結果として、直前のシーンの内容よりも変化が生じる。この現象は、直前のシーンよりも今観ているシーン、次に見ることになるはずのシーンと、次々に大きくなる。
因みに、誤解して欲しくないのは、「変化が大きくなる」のは、「物語が肥大化するわけでもない」し、「展開がガラッと変わる」ことを意味しない。要は、「主人公が動くことで物語が動く」ことが、一番重要だってこと。このことを、私は「強い物語」と呼んでいる。
要は、主人公が自ら行動し続ける限り、物語は動き、進み、脇役たちも追従する “主人公が主体の物語” を「強い物語」と呼んでいるのだ。
秀逸な「強い物語」の主人公はブレているように書いてある
そして、この「強い物語」には、もう1つの意味が隠してある。それは「強い物語には、ブレない主人公が必ず存在する」と言うこと。脚本家の目線に於ける「ブレない主人公」は、いつも自分で自分の進むべき道を判断し切り開く。しかし、視聴者や観客にとって「ブレない主人公」には、実は面白味がない。だって、「先が分かってしまうから」。
だから、優れた脚本家が書いた「良い脚本」は、「ブレない主人公」に苦悩や葛藤や選択を迫る。主人公は、苦悩や葛藤や選択を迫られる度に、「“ブレている” ように見えるように書いてある」のだ。だから、視聴者や観客は、ハラハラドキドキする。 「えっ? そっちを選ばないの!?」って。だって、本当はブレているのではなく、葛藤しているのだから。
だから、優れた脚本家は、上手い具合に視聴者たちを裏切らない。「やっぱり、そっちを選んだか!」と納得する。これを、延々とエンディングまで繰り返す。すると、どうなるか?
視聴者たちは勿論のこと、主人公や脇役たちにとっても、物語に矛盾や不自然さが生じず、結果的に “ブレない” のだ。だから「強い物語」には、強い説得力と、登場人物たちへの信頼や共感や応援する気持ちが、自然と湧いてくるのだ。
第15週までの朝ドラ『おかえりモネ』に、上の3つを当て嵌めてみる
まず、最初に書いたドラマ制作を建築に例えるくだりに、『おかえりモネ』に当て嵌めてみると、こんな感じに映らないだろうか?
撮影に入る前の設計図が、適当な間取りしかなかったかも?
この脚本家(設計士)は、第1話の脚本を書き始める以前の段階で、全体の設計図を適当な間取り程度にしか書かなかったと思う。間取りが適当なのだから、土台(基礎)だって不十分だったに違いない。そんな中途半端な設計図を、大工さんと、材木屋さんに渡した。
すると、演出家(器用な大工さん=臨機応変も効く優れた大工さん)は、「あとは自分で考えるの?」と困惑したと思う。優れた建材を提供しなければいけない優秀な材木屋さんは、「そもそも大黒柱はどの位の長さと太さが必要なのさ?」と疑問だらけだったはず。
そして、分からないことだらけの中で、材料集めと基礎工事を始めてしまった。何せ、コロナ禍で撮影に時間が要するし、NHKの働き方改革で労働時間が短縮されたし、東京2020の開催で「全放送回数」も分からないから、準備不足でも始めるしか無かったのだろう。
大人の事情で、凸凹土台の上に「1階部分」だけ先に作った?
さて、設計図も雑で、完成予想図も良く分からぬまま、一応設計図に書いてあったような「二階建ての家」を建て始めた。しかし、『おかえりモネ』の第1回の放送日は決まっている。俳優さんたちのスケジュールもある。そこで、恐らく「何とか人が住める家をつくらないと」と必死になって、「1階部分」だけ先に作ったのではと、推測&想像する。
「1階の住人たちの世界観」を好きな視聴者は多いと思う
「1階部分」は、純和風建築で、窓の開口部も広くて海の波の音も聞こえ、牡蠣の養殖を商売にしている。漁村の一軒家の雰囲気だ。ご近所さんも、主人公とその父以外は、震災のことを背負って、必死に明るく生きている人たちの世界(こんなイメージ)。
数軒の家族が同居したカタチだが、1階には、東日本大震災の時から動き続ける、たった1つの時計しかない。だから、1階の住人たちは、震災前も、震災の時も、震災のあとも、思い出も未来も共有できる。
まあ、この時位までが、主人公が気象予報士の試験に合格するまでだろう。だから、「1階の住人たちの世界観」を好きな視聴者は多いと思う。分かり易い間取りと人間関係、美しい自然と恐ろしい自然、森が持つミステリアスさなど、統一感があったから。
百音の上京に合わせて作られた「2階部分」のイメージは…
さて、「1階部分」が出来たから、次は「2階部分」だ。1階と2階を繋ぐ「階段」の役割が、「主人公の上京」だ。百音が2階に上がってから、ドラマの雰囲気も、キャラクターたちもかなり変化があったのは、薄々感じていたはずだ。(それが良いと思う人もいると思いますが)。
では、2階の「間取り」と「住人たち」と「時計」はどうなったと考えるか? 私のイメージでは、2階には「銭湯型シェアハウス」と「テレビ局」と「天気予報会社」と言う3つの会社と、数名の一般人が同居している。
みんな、仕事も生活時間も違うから、時計も極端に言えば、個数は人数分あるような状態。目覚まし時計の設定時刻だって、人それぞれ。これなら、時間軸がこんがらがってしまうのも当然だ。だって、更に「1階部分」の時計もあるわけだから…
今の百音に共感や応援が出来るか、出来ないか?
第15週まで見た百音に対する私の正直な気持ちは、「いろいろ応援したいけど、共感できないことが多過ぎて、外野から眺めている感じ」だ。先日、ある読者さんからも、「百音が一番共感できない登場人物になってる」とのコメントを頂いた。そう感じてしまう理由は、簡単なことだと思う。
百音だけが、都合の良い時に、1階と2階を自由に行き来するからだと思う。そして、コインランドリーを介して、先週あたりから、今まで「1階の住人」だった菅波医師まで「2階の住人」になった。こうなると、百音の仕事を描いている暇なんて、どんどん無くなるのは当然のこと。
だって、「1階と2階の大量な住人たちの、大量なトラウマ」を描き続けなければいけないのだから。
百音が上京してから、連ドラとしての"風向き"が変わった?
従って、百音が上京するまでは、人の役に立ちたい、天気予報で故郷の人々を助けたい、だから気象予報士になる… と言っていた百音が物語を動かしていた(とは言え、正直、物足りないですが)「強い物語」風だった。
しかし、百音が上京し、更に中継キャスターとしてデビューしてしまうと、「百音は、仕事をしている体(てい)」で好意的に解釈できれば、あとは、百音が動かなくても、百音以外の「1階と2階の大量な住人たち」が動けば、物語が動くと言う、「強い物語」から「弱い物語」へ、どんどんとかけ離れて行くのだ。
私が、本作をまだ見捨てていないワケ
ここまで書いている私が、本作をまだ見捨てていないのには、私には、1つだけ改善できる可能性のあるアイデアがある。それは「1階と2階を切り離して、お隣さん同士にして、全員が1つの時計を見ながら、自由に行き交うことができるようにしちゃう」と言う「増改築作戦」だ。その可能性を信じる限りは見捨てないつもりだ。
誰もが好きな時に会って、話して、気持ちを共有する姿を視聴者に見せる。宮城と東京が物理的に近くなったことも表現できる。電話やSNS、テレビ電話も使えば、以前は無関係だった人同士の心の繋がりだって、もっと描けるはず。
でも、いつまでも、「1階は1階」、「2階は2階」なんてやっているから、今週にあった、亮と亮を心配する百音の母と言う妙な人間関係が出て来てしまうし、来週の予告編を見ると、幼馴染6人が「2階の住人の仲間入り」をしてしまう。
気象と言う大きな世界を描いているのに、世界観は縮小化
そう、私が言いたいのは、「もう、1階(宮城)、2階(東京)と無理矢理に分けておきながら、行ったり来たりさせずに、宮城も東京も同じ日本」みたいな、壮大な世界観にした方が良いんではないかってこと。「気象に県境や国境がありますか?」ってこと。「登場人物たちの相手を思う気持ちに境界線はありますか?」ってこと。
気象と言う大きなモノを扱いながら、どんどん世界観が町内会みたいになっているから、今一つ盛り上がりに欠けるのだと思う。
あとがき
毎日、数日おきに『おかえりモネ』の感想や、読者さんや私のコメントを読んで下さっている読者さんには、かなりクドイ内容だったと思います。ただ、これまでバラバラになっていた「私の本作への、今の思いと、今後への期待」は、まとめてかけたような気がします。長文&拙稿をお許し下さい。
※これら全て、私の勝手な妄想と理想です。異論反論あると思いますが、それら個々にお答えするつもりはありません。
お願い…
管理人が返信に困るようなご意見などには対応いたしかねます。書くならご自身の場所でやって下さいませ。
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