連続テレビ小説「おかえりモネ」 (第35回・2021/7/2) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『おかえりモネ』(公式サイト)
第35回/第7週『サヤカさんの木』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
樹齢300年のヒバの伐採計画がいよいよ本格的に動き出す。百音(清原果耶)は、東京の気象情報会社への興味と、サヤカ(夏木マリ)の下で森林組合で働くことと、どちらを選ぶべきかで思い悩んでいた。東京と登米を行き来している菅波(坂口健太郎)に、東京はそんなにすごいところなのか、と聞く百音だったが、菅波からは厳しい言葉が返ってくる。百音は自身の甘さを痛感し、気象予報士はあきらめると言い出すが……。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:安達奈緒子(過去作/透明なゆりかご、コード・ブルー3、きのう何食べた?)
演出:一木正恵(過去作/どんど晴れ、ゲゲゲの女房、まれ) 第1,2,7週
梶原登城(過去作/おひさま、あまちゃん、マッサン) 第3,4週
桑野智宏(過去作/ウェルかめ、梅ちゃん先生、あまちゃん) 第5,6週
津田温子(過去作/龍馬伝、西郷どん、いだてん)
音楽:高木正勝(過去作/映画「バケモノの子」、「未来のミライ」、「静かな雨」)
主題歌:BUMP OF CHICKEN「なないろ」
語り:竹下景子
制作統括:吉永証(過去作/トクサツガガガ、詐欺の子)
須崎岳(過去作/4号警備、透明なゆりかご)
気象考証:斉田季実治(NHKニュース7、ニュースウオッチ9)
※敬称略
お知らせ
第7週目から “超” が付く程、好意的に本作を見るモードに入っております。そのつもりで、読んで頂ければ幸いです。
敢えて"スローテンポな雰囲気"の作風が今回は成功している
今回の感想も、長文で拙稿です(謝)
先日の感想にも書いたが。本来の朝ドラとは、慌ただしい時間に放送されるため、台詞や語りで物語を分かり易く視聴者に伝えることが求められて来た。しかし、本作では、登場人物の心理描写を台詞や語りではなく、演者の微妙な表情の変化や、時間軸の曖昧さを利用して、敢えて “スローテンポな雰囲気” を醸し出そうとしている。
そして、この朝ドラとして、かなり挑戦的な作品にチャレンジしていると思っている。そんな作品づくりが、私にとっては成功しつつ、上手く表現されていたのが、この第35回だと思う。それでは、そう思うった理由について、ドラマの進行に合わせて、綴っていきたい…
気になったのは「樹齢300年ヒバ伐採計画書」の表紙だけ
まず、アバンタイトルのワンカット目、テーブル上の資料が映った。その資料には、次のように書いてあった。
「米麻町 樹齢300年ヒバ伐採計画書」
米麻町森林組合
2016年1月
まあ、普通は「計画書」や「企画書」の表紙に記載する日付は、それを書いた日か、まとめた日だ。だとすると、前回が気象予報士の2回目の試験の合否判定在中のハガキが「10月9日 配達指定」だったから、少なくてもクリスマスはおろか、年末年始も飛び越えて、約2か月以上の時間経過」をしたことになる。
更に、この「1月」が月末なら、3回目の気象予報士の試験も終わったことになる。まあ、のちに様々な情報提供によって、劇中の日付などは分かって来るが。でも、やはり「計画書」の表紙に「2016年1月」とあるのは、気になる以前に、かなりの違和感だ。因みに「副音声」では、このことには一切触れられていない。
従って、撮影上の理由で何らかのトラブルがあったのか、もっと先に意図が分かるのか。いずれにしても、最大の違和感は、登場人物たちの服装が、東北の山の中の1月にしては、薄着過ぎるってこと。コロナ禍でもないのに、窓も開けっ放しだし。う~ん、気になる。でも、今回で気になるのは、この表紙の日付だけだから、これから見る読者さんも、ご安心を。
数十年、数百年の壮大な自然の時間軸と人間の人生の時間軸
さて、アバンタイトルの中で、能を伝承する佐々木(浜野謙太)から百音(清原果耶)に「永浦さんなら 50年先も ほら 余裕だ」と言う台詞があった。前々回の感想で書いたが、百音の誕生日は「1995年9月17日」で、サヤカ(夏木マリ)の誕生日は「カスリーン台風」が襲った「1947年9月17日」。2人の年齢差は「48歳」。
サヤカの現在の年齢は不詳だが、佐々木が言ったことは、まんざらでもない。そして、本作に流れる数十年、数百年と言う壮大な自然(特に、森や木々)の時間軸と、その自然を守って行く人間は僅か100年(歳)前後時間軸であることの、違いや、思いや、意思が、さり気なく、サヤカと百音の年齢差で表現された、いいシーンだ。
百音がヒバの木の幹にそっと手を当てて、森の木漏れ日が優しく包み込むような雰囲気のカットがいい
そして、なんだかんだ言っても、そして、なんだかんだ言われても、私が好きなシーンが、アバンで、熊谷さん(山本 亨)とかなり仲良しになった百音が、例のヒバの木の幹にそっと手を当てて、森の木漏れ日が百音を優しく包み込むような雰囲気のカットだ。梅雨時で毎日雨の日だからと言う理由もあるが。
やはり、このちょっと白く飛ばし気味の色合いに、きれいに差し込んでくる木漏れ日が創り出す、森の世界。見ているだけで、森のフィトンチッドによって安らぎと癒しを貰える気がする。1週間に数回は、伐採されるその日まで、このカットを使って見せて欲しい。
百音は、ヒバから自分の生きる道を教えてもらった気がする
そして、普通のドラマなら “分かり易さ重視” で、300年間も森で生きて来たヒバの木が伐採さるのだから、百音は寂しさゆえに頬を幹に摺りつけるとか、大木を抱きしめるとかしたら、百音のヒバの木に対する、別れを惜しむ気持ちや、感謝が簡単に伝わるのに、本作の百音の “ほぼ無表情” でヒバの木を見つめるだけ。
そこで、私はこう勝手に好意的に脳内補完した。「あなた(ヒバの木)は300年も生きて、多くの人たちに愛され、伐採された後も、世の中のために生き残る存在。でも、今の私は、ただの先が見えないちっぽけな20歳。300歳と20歳では比べ物にならないけど、今、私はあなたから何かを教わったようなきがすると思う…」と。
そう、その答えが主題歌明けに少しずつ明らかになって行く。そう、これは、一般的にはアバンタイトルとは「オープニングに入る前に流れるプロローグシーン」と訳されるが、本作、いや今回に限っては、本編の展開を興味深く思わせる見事なイントロだと思う。
百音の琴線に触れさえすれば、百音って子はすぐ動き出す
主題歌明け、面白いシーンがあった。菅波医師(坂口健太郎)が説得力があるのかないのか分からぬ理屈で、百音に気象予報士の資格取得を諦めることを阻止した。なぜ、あの論理展開で、百音が「まず、資格を取ってから」と考えを変えたのか理解しづらい。でも、百音には東日本大震災以来、「誰かの役に立ちたい」との強い思いはある。
信念とはまでは行っていないが。でも、先日もサヤカがケガをした時も、(好意的に解釈して)気象予報士の勉強そっちのけで、自動車の運転免許をサヤカのために取った。どうやら、百音って子は、誰に対してでも明瞭で分かり易い論理展開だから「私も納得する」と言う気持ちや概念が、そもそもないのだと思う。
例え、説得として論理展開が崩壊していても、百音の心が動けば、その方向に一気に動き出す。自分にとって大きな出来事だった「林間学校の事故」の時も、自分にとっては大した意味の無い妹・未知(蒔田彩珠)の牡蠣の地場採苗の研究中に降った雨で研究が思うようにいかないのを目にした時もだ。
百音の琴線に触れさえすれば、百音って子はすぐ動き出す。そして、その象徴が「急な雨」だ。今回も、雨が降って来た。そう言うお約束みたいなものが、少しずつわかって来ると、本作らしい楽しみ方もできるようになると思う。
菅波が田中さんとの体験から学んで、百音に提案したのかも
そして、期待通りに「急な雨」のあとには、百音に変化が起きる。俄か気象予報士の勉強の先生を務めていた菅波が、百音が更に上を目指せるように、試験勉強のためのパンフレットを持って来た(持って来たと言うより、「事前に準備していた」が正しいが)。そして、菅波が百音に「誰かに話すことで…」と話し出す。
ここ、例の通称トムこと、田中(塚本晋也)に対して治療方法について徹底的に話し合った結果、とても良い方向に進んだことと、きちんと向き合っている。いや、菅波が自身の体験から学んで、百音に提案したのかも知れない。
どちらにしても、百音も菅波も意外と口数が少ないこと、自分の信念を他人から帰るのを嫌うこと、本音を言い出し肉ことなど、似た者同士のところがある。今回の個々のエピソードは、まさに、この2人だからこそ描けた展開だ。
演出家と演者が脚本家の意図を組み、字幕には無い"間"を空けた
このシーンで、私が最も注目した百音の台詞が、これ。
百音「今なら 一番近くで サヤカさんを
支えるごども できるかもしれない。
それが 私のできるごとなのかもしれない。
でも 出会ってしまって…
ものすごく心惹かれるものに」
どこへ注目したのかと言うと、3行目の「それが 私のできるごとなのかもしれない」って台詞。字幕表示では「それが」と「私のできるごとなのかもしれない」の間に “間” が空けてある。だから、清原果耶さんも「それが」の直後は間を空けている。
しかしだ、清原果耶さんは、もう1か所「私のできるごと」と「なのかもしれない」の間にも、僅かに間を空けている。これは「私のできるごと」と言う台詞を敢えて強調するためだと思う。
なぜなら、ハッキリ言ってしまう。もうこの時点の百音の心境は、「高齢者の仲間入りをしているサヤカの老後の面倒を看る」ことよりも、「気象予報士の資格を取って東京に行きたい」方が勝っているのだ。BUMP OF CHICKENが歌う主題歌「なないろ」の冒頭の歌詞になぞらえれば、「ヤジロベエみたいな正しさ」で、「東京行き」の方が明らかに重いのだ。
だから、普通なら「サヤカの介護を取るか?」、「自分のやりたいことをやるべきなのか?」を苦悩するヒロインを描いた方が、ずっと分かり易い。私だったら、思い切って「それが 私の “やるべき” ごとなのかもしれない」と言う台詞にしたかもしれない。
その方が、苦悩する百音に共感も得らえるし、応援したくもなるし、サヤカの気持ちも、一度に描けちゃうから。でも、安達緒子奈氏の脚本は、「私のできるごと」として、あくまでもモネの中に存在する「誰かの役に立ちたい」、それも身近で頼りになってカッコ良いサヤカさんの役に立ちたいと言う気持ちを払拭出来ずにいると、台詞に書いた。
そして、演出家と演者が、その脚本家の意図を組んで、脚本をもとにつくる字幕には無い “間” を空けた。こう言う表現は、残念ながら、“ながら見” では見えても聞こえても来ないと思う。
「切るタイミングとしては ちょうどいいね」を深掘りした
1分、唐突に「2015年(平成27年)12月」のテロップ。と言うことで、モヤモヤは残るが、菅波の提案によって、百音の勉強方法が決まって、約2か月がたったと言うことだ、ホッ。更に、ヒバの伐採が「2016年3月10日」に決定。リアルなら木曜日。そして、翌日の3月11日は金曜日で、東日本大震災も3月11日(金)と言う “縁” や “運命” も感じる。
もちろん、リアルを考えれば、3月11日は地元で慰霊祭などが行われるから、その前日に… と言う思いもあると思う。とにかく、時間軸がハッキリしたのは良きことだ。
そして、伐採の日が決まった時、サヤカが百音を一瞬見るカットがある。2回目の試験の合否判定在中のハガキが「10月9日 配達指定」だったから、3回目の合否判定在中のハガキが来るのも「3月9日前後」と言う可能性はなくも無い。そして、そこで「合格」すると、百音がどうなるかサヤカはお見通しのはず。
もちろん、百音も。だから、その前に川久保(でんでん)に「切るタイミングとしては ちょうどいいね」と言ったのかも知れない…
天寿を全うしようとしている雄大なヒバの木が、サヤカと百音との残りの楽しい時間を見守ってしているよう…
13分過ぎは、アバンタイトル(イントロ)と “対” になっている、今回、そして今週のアウトロだ。
イントロでは、百音は幹に手を当てただけだったが。サヤカは額を幹に手を当て、帽子を取って幹に額を当てた。そして、大きく息をする。これこそが、20歳の百音と、山と木々を長年守って来た(恐らく)68歳のサヤカの、ヒバの木への思いの違いだ。
そして、また「一人暮らし」になる人生を嘆くと共に、前向きになるサヤカを、ゆっくりと長い年月をかけて成長するヒバの寿命は一般的に300年と言われている。天寿を全うしようとしている雄大なヒバの木が、サヤカと百音との残りの楽しい時間を見守ってしているよう…
樹齢? (年齢ですね)20年の百音が急に菅波先生に教える立場にまで成長した、気持ちの良いアウトロが良かった…
あとがき
今回を見て、今週のサブタイトルが『サヤカさんの木』の意味が何となく分かったような気がします。
樹齢300年のヒバの木を切る話ではないですよ、きっと。森林にはたくさんの樹木が生きています。代表的なのは、スギやヒノキで、約50年生以上で伐採・利用されるために、木工製品の素材としても使い易い。しかし、ゆっくりと長い年月をかけて成長するヒバの寿命は一般的に300年ですから、ダントツに「ひとりぼっち」的なアイコンになるわけです。
それと、モネが東京に行くかもしれないサヤカを重ねたから、長老(と言うには早いが)山の姫と呼ばれたサヤカと、山の守り神的なヒバの木を重ねたタイトルにしたのではないかと。全部、勝手な想像ですので、正解も不正解も無いと思いますが…
お願い…
管理人が返信に困るようなご意見などには対応いたしかねます。書くならご自身の場所でやって下さいませ。
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