東京都足立区千住のキング・オブ・銭湯「大黒湯」、2021年6月30日、90年の歴史に幕… みっきーが幼少期に通ったキング・オブ・縁側「タカラ湯物語」の"おまけ"付き
みっきーの幼少期の大切な思い出が1つ無くなった、悲しくもホッコリのお話
個人的な投稿で恐縮ですが(って、いつもですが)。今回の投稿は、私の青春と言うか、幼少期の大切な思い出が、また1つ無くなった小さな悲劇のお話です。
みっきーは、東京"下町生まれ"で4代続いた"生粋の江戸っ子"
私が、東京都足立区、所謂 “下町生まれ” で、4代続いた “江戸っ子” であることは、これまでもお話したと思います。そして、生まれ育った町は「北千住」。アニメ『クレヨンしんちゃん』の両親が初めて出会ったのが「北千住駅のホーム」と、昨年だか歌手のあいみょんが歌っていました。
なんと「イトーヨーカドー」の日本1号店が北千住店
「千住」と言うのは不思議な街で、住所は「千住」なのに、小学校は「千寿」と書きます。そして、今や全国区となったスーパーマーケット「イトーヨーカドー」の日本1号店が北千住店。当時は、上りのエスカレーターしか無くて、下りは階段と言うチグハグな建物でした。
また、今は「マルアイ・ボーリング場」として残っていますが、昭和の頃は日本初の「月賦百貨店・丸愛」でした。
夏はコンクリート舗装の校庭に消防車が水とドジョウを放流
昭和の学園ドラマと言えば『金八先生』ですが、学校や土手以外のシーンは「千住」の町がロケ地でした。当時は、たのきんトリオや他のキャスト、撮影風景をよく見たものです。
小学校で思い出すのが、千住地域は地盤が悪く、よく水害にあう地域であったため、公立の小中学校の校庭が、土や砂ではなく「コンクリート舗装」でした。そして、夏になると、近所の消防署から各学校に数台の消防車がやって来て、「コンクリート舗装」の校庭の上に大量の “水” と “ドジョウ” を放水? しました。
生徒や親御たちは、水浸しになりながら、バケツへ必死にドジョウを取って、その日の夕食には「ドジョウ鍋」を食べるのが、習慣でした。こんな学校行事、他にもあったのでしょうか。
東京都足立区千住には、昭和の頃、10軒以上の銭湯があった
さて、水の話が出て来たので、ここから本題。
千住には昭和の頃から、たくさんの「銭湯」がありました。勤め人よりも自営業が多い地域でもあったからでしょうか、昼間の工場での労働で汚れた身体を家に帰る前に…
「か~るく、ひとっぷろ浴びて、ちゃっちゃと、いっぱい引っかけて、けえろうか?」
みたいな感じで。ほぼ、落語の世界ですよね。
現代語訳しますと「気軽に銭湯に入り、素早くビールでも一杯飲んで帰りましょう」ってことです。味も、素っ気もなくなりますね(笑)
「タカラ湯」の特徴は、キング・オブ・縁側の日本庭園
私の両親も、幼少期は小さな工場を営んでまして、意外にはぶりが良かったんですが、「家の風呂場は小さくて、いけねえな」とか言って、近所に数件あった銭湯から、一番大好きな「タカラ湯」に通っておりました。お金があるなら、大きな風呂作ってよって話なのですけどね。
「タカラ湯」の特徴は、中身が不明で茶色をした43度もある「薬湯」と、日本庭園を思わせる縁側から見る池のある風景。昭和の頃は「男湯専用」でしたが、最近は週替わりで女性も庭を楽しめるようになりました。
ハウスメイトのCM撮影に来ていた小西真奈美さんに偶然遭遇
そして、「タカラ湯」と言えば、美人女優さんがCM撮影に来る銭湯としても、地元では有名。まずは、2007年に賃貸経営のハウスメイトが作った「新しい街篇」に登場する「タカラ湯」の全景。小西真奈美さんが新しく引っ越してきた街(下町)で温かい人情に触れ合うストーリー(現在は放送されていません)です。

©ハウスメイト
最初は、東京都足立区の隣りにある荒川区がロケ地で、都電(昭和の頃は「チンチン」と鐘の音がするので「チンチン電車」と呼ばれていました)が走る街を散策します。結果的に、私と妻は、この街に新築マンションを買って、終の棲家にするつもりでいます(今は、妻の仕事の関係で千葉県民ですが、5年後には都民に戻ります)。
そして、2か所目に訪れるのが「タカラ湯」。実は、この撮影現場に偶然居合わせた私。あまりにコニタン(小西さん)が可愛すぎて、握手をして貰うのを忘れたくらいです。残っていた写真が小さくてすみません。
石原さとみさんも座った「タカラ湯」のキング・オブ・縁側
そして、もう1つは、女優の石原さとみさんを起用した東京メトロ「Find my Tokyo.」シリーズに登場した「タカラ湯」。

“キングオブ縁側”と称される風情豊かな縁側がある銭湯を訪れて身も心も癒やされる石原さんが印象的なCMでした。
キングオブ縁側から歩10分で行けたキングオブ銭湯"大黒湯"
この “キングオブ縁側” に対抗して存在したのが、「タカラ湯」から徒歩10分の場所にある「大黒湯」。こちらの称号は “この “キングオブ縁側” に対抗して存在したのが、「タカラ湯」から徒歩10分の場所にある「大黒湯」。こちらの称号は “キングオブ銭湯”。詳しい解説は、下記の記事を参照して頂くとして。
「今日はどこの銭湯に行こうか?」と相談するのが毎日楽しみ
とにかく、私の小学生時代は、チャリンコ(当時の子どもたちは「自転車」なんていいませんでしたから)に乗ったら、10分以内に銭湯が5~6軒ありました。だから、学習塾やお稽古事が休みの友だちが集まって、「今日は、どこの銭湯に行こうか?」と相談するのが、毎日の楽しみでした。
7月1日なので2011年に撮影した「タカラ湯」の"七夕"を紹介
次の写真群は、2011年に撮影した「タカラ湯」の “七夕” の様子です。まず、全景。ここで屋根の上から猫みたいな動物が、屋根からぶら下がるお菓子や干し魚を狙ってるように見えませんか? 少し見づらいですが、右(上手)から1/3、上下の真ん中くらいの屋根の縁辺りです。

ここで屋根の上から猫みたいな動物が、屋根からぶら下がるお菓子や干し魚を狙ってるように見えませんか。次の写真が、その猫のような動物のアップ。「へちま」と「和手拭い」を巧みに使って、如何にも “銭湯の主” って感じ。レトロな感じも良いですよね。

続いては、七夕と言えば短冊ですが…

ここでは「カミソリ」が飾ってあるのが、風情を感じませんか?
夕方の「大黒湯」は、任侠の世界を垣間見れた大人の世界
その数軒の中でも、ひと際、小学生には敷居が高くて入りづらかったのが「大黒家」。なんか、今ではちょっと表現し難いですが、当時の言葉で申しますと…
「夕方の日が高いうちから、身体中に “もんもん” が入っている強面のオジサンがずら~っと並んで、子分が親分の背中を流してる」って雰囲気。 わかりますよね、任侠の世界なんですよ。「大黒湯」の前のお寿司屋の息子さんが「エスパー清田」
でも、そんな「大黒湯」も、昨日2021年6月30日に、90年の歴史に幕を閉じたようです。また、1つ子どもの頃の思い出が無くなりました。
因みに「大黒湯」の道路を挟んだところにお寿司屋さんがありまして。そこの息子さんが、1970~80年代にかけて超能力者としてマスメディアに取り上げられた人物で、「エスパー清田」、「清田少年」の実家でした。数年お兄さんだった清田少年が、公園にいた私の目の前でスプーンを曲げたのを見たのは今でも忘れません。そして、あれがトリックだったとは…
あとがき
ドラマ『コタローは1人暮らし』での、銭湯のシーンを見て、個人的には密かに自分の幼少期と重ねて見ていました。今の我が家の近所にはスーパー銭湯すら徒歩圏にはないので、なんか寂しいですね。それと、コロナ禍でなかったら、千葉県から東京へ足を運んで、もう一度大黒湯に入浴してみたかったです。
最後に、今日は「7月1日」なので、浜崎あゆみの楽曲の中でも大好きで、「7月1日」を意味する『July 1st』と言う楽曲を皆さんに贈ります。夏の始まりに恋も始まると言う素敵な曲です。でも、その裏に前日である「6月30日」が、登場人物にとってどんな日なのか考えると、しみじみします。今度、詳しく解説してみます。
★本家の記事のURL → https://director.blog.shinobi.jp/Entry/15708/
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