俺の家の話 (第10話/最終回15分拡大スペシャル・2021/3/26) 感想 ※追記あります
追記について…
読者さんの “タイざいしゃさん” から、Web拍手のコメントで、観山家がお墓参りに行ったシーンの撮影について、ご質問を頂きました。私なりの解説を下記リンクへコメント返信の形で書かせて頂きました。ご興味のある方は、読んでみて下さい。あくまでも、私の推測で恐縮ですが(謝)
『Web拍手コメントへの返信 (2021/3/27に頂いた分)その2』
※感想の【第2弾】があります。下記から、どうぞ!
【感想/第2弾!】俺の家の話 (第10話/最終回15分拡大スペシャル・2021/3/26) 感想

TBS系・金曜ドラマ『俺の家の話』(公式)
第10話/最終回15分拡大スペシャル『最後に皆さん、家族を大切に! ぜあ!』の感想。
グループホームを抜け出し観山家にやってきた寿三郎(西田敏行)は、3度目の脳梗塞で危篤に…。多くの門弟や家族たちに囲まれ、最期の時を迎えようとしていた寿三郎の前に、いままで正体を隠してきた寿一(長瀬智也)がスーパー世阿弥マシンとして現れる。そして寿一の「肝っ玉!しこたま!さんたま!」の掛け声で、奇跡的に寿三郎は一命を取り留める。その後、寿一は新春能楽会で舞う予定の「隅田川」の稽古に励んでいたーー。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
原作:なし
脚本:宮藤官九郎(過去作/あまちゃん、ゆとりですがなにか、いだてん)
演出:金子文紀(過去作/G線上のあなたと私、恋つづ、逃げ恥) 第1,2,7,最終話
山室大輔(過去作/天皇の料理番、グランメゾン東京、テセウスの船) 第3,4,8話
福田亮介(過去作/初めて恋をした日、恋つづ、恋する母たち) 第5,6,9話
音楽:河野伸(過去作/おっさんずラブ、恋つづ、天使にリクエストを、知ってるワイフ)
最終回の感想は最後まで見終えてから書くスタイルでなく…
最終回の感想は、最後まで見終えてから書くスタイルでなく、最終回を初めて見ながら、気になったら録画を一時停止して、その都度思ったことを記して進むと言う方法を選んだ。それは、私の長年の勘で「この最終回は、想定外の結末が待っている」と思ったから。
だから、敢えて昨晩はリアルタイム視聴(以下 “リアタイ視聴”)をせず、今朝、新鮮な気持ちで見ながら、これを書いている。
※お待たせ致しました。結果的に、超、長文になっております(謝)
最終回は、意味深なファーストカットから始まった…
ワンカット目から、完全におかしい。あれは、銭湯でなく紛れもなく葬儀場の煙突だ。そして煙が出ている。なぜ、銭湯の煙突でないとわかるのか? 銭湯なら煙突に銭湯の名前が書いてある。それに、画面下にちょっと映り込んだ建物も煙突もそんなに古くない。だから… う~ん、意味深なファーストカットだ。
『隅田川』は能では珍しい母と子が生きて巡り会えない結末
劇中の時間は、2022年1月15日。そして、寿三郎(西田敏行)が稽古で「南無阿弥陀仏」と唱えるような、妙に能楽の演目『隅田川』を強調するような雰囲気。因みに、『隅田川』の内容については、前回でさらっと書いたが、今回でも簡単に触れておく。
簡単に言うと「子をさらわれた母が旅路の先で知る絶望」を描いた作品。隅田川の渡し船が、まさに漕ぎ出そうとする時に、狂ったような女性(シテ=主役)が現れる。乗船を渋る渡守(わたしもり=船頭みたいな人)だが、さらわれた我が子を探す身の上を語った和歌に共感して、乗せてやることに。
渡守が、人買いに連れられた少年が、ちょうど一年前に亡くなったことを悼んで、対岸で法要が行われることを語ると、女はそれが我が子であると知って泣き伏す。そして、渡守に案内された小さな塚で女が念仏を唱えると、少年の霊が現われて、女と手の手を握ろうとするが、夜明けと共に消えてしまった… と言うものだ。
そして、注目すべきは、能には「人を探す際に錯乱して狂う女が登場する作品」が多いのだが、その殆どが “無事に再会する結末” で、“母と子が生きて巡り会えない結末” は異例中の異例。そんな異例中の異例な『隅田川』を最終回の序盤数分間で強調するには、絶対に何かのフラグのはずである。
なぜか、序盤は「新しい観山家の日常」が淡々と描かれる…
さて、「絶対に何かのフラグ」だと勝手に確定した割に、本編は最終回だと言うのに、いつも以上にダラダラと。と言うか、グループホーム「照る照るハウス」から寿三郎が戻って来た「新しい観山家の日常」が、いつも以上に丁寧に描かれている。ダラダラと言うより淡々と。
そして、寿三郎の “死” が見え掛けた時、介護から解放される安堵感を感じたと話し合う踊介(永山絢斗)、舞(江口のりこ)、寿限無(桐谷健太)。そこへ寿一(長瀬智也)がやって来て、前回で強調された「離見の見©世阿弥」。
本当、なんか変。前回のラストで、「スーパー世阿弥マシン」の姿の寿一を和服を着た寿一が第三者の目で見ていると言う印象的なシーンがあったが、この淡々と描かれる日常を見ていると、まるで “幽体離脱” していたように記憶が書き換えられた。う~ん、なんだろ? このいつもと違う雰囲気は…
13分頃、CM直前に衝撃的な展開が!!!
そして、えっ!? 寿一が亡くなった!? いつ? どこで? 何で? CM前の直前テロップに「まだ さよなら なんて言えません! このあと 怒涛&衝撃の展開が!」とある。録画視聴だからサクッと飛ばせるが、リアタイ視聴していた人は、さぞCMが長かっただろう。逆に、広告宣伝の意味では、これ以上の効果は無いが…
寿三郎と寿一が、じわりじわりと「隅田川」へ重なっていく
CM明け、時間軸が2021年12月31日に戻った。「大晦日の年越しプロレスの日の話」だ。一瞬のブラックアウトが入って、寿一のナレーションが始まった。そして、正に怒涛&衝撃の展開である、「寿一の急死」が描かれた。前回だか、変なフラグは立っていたが、まさか試合中の事故が原因で急死をするとは!
劇中の登場人物たちも、信じられない様子だったが、私も全く同じ心境だ。なぜ、最終回で主人公が? 15分の拡大分がこれ? とか。もう、頭の中が混乱しつつも、どんな展開になるのか、じっくり見入った。ドラマの中の寿三郎と寿一の関係が、じわりじわりと「隅田川」へと重なっていく。
寿一の葬儀の描写が挑戦的で、流石と言わざるを得ない!
そして、前回での葬儀屋「スウィートメモリーズ」のスタッフ・鬼塚高吉(塚本高史)と寿一の「寿三郎の葬儀」の打合せが、寿一の葬儀で具現化される。更に、長州力(本人役)から寿一がもらった戒名「吹雪院親不孝革命居士」を「吹雪院親不孝脛齧居士」に変えると言う展開へ。
更に、フリースタイルの弔辞。想定外の主人公の急死、葬儀を描いているのに、弔辞は収拾がつかない感じで面白く。この辺の挑戦的な描写は、流石と言わざるを得ない。
秀逸なのは"認知症である寿三郎の視点で描かれていた"こと
そして、CM明けに、最終回のファーストカットが火葬場の煙突と煙だったことが明かされる。そして、28分、仮位牌(白木位牌)の奥に、寿三郎には生きている寿一が見えているシーンで、全部がシーン2の「観山家の朝食」から、全部が繋がった。俳優陣の妙な演技や、何かいつもと違う日常描写の意味もわかった。
とにかく凄いと言わざるを得ないのは、ここまでのほぼ全ての映像が、認知症である寿三郎の視点で描かれていたことだ。それを、視聴者に見抜かれないように絶妙な脚本と演出と演技で隠す。隠しまくる。そして、さらりと種明し。
確かに、寿三郎の周囲の人たちから見れば、現実を受け入れられない、現実を認識できないと言うことだが、寿三郎本人にとっては、「寿一は生きている」のが現実であり、真実であると言うわけだ。
クドカンが選んだ境界線のギリギリ正しい方を評価したい!
いや、これ、何度も書くが、凄く挑戦的な脚本、いいやドラマだと思う。これ、前回まで好意的に見ていた人でも、また初回で離脱した人も、恐らく “令和3年” の “ホームドラマ” としては、受け入れられるかどうかのギリギリの境界線を狙っていると思う。人によっては不快だろうし、怒りや批判も出てもおかしくない表現だ。
でも、敢えて、その境界線のギリギリ正しいと信じた方を選択して、脚本を書いた宮藤官九郎氏の、能「隅田川」を絡めて描いた “親子の情” の不可思議さや奥深さを、私は大いに評価したい。
「実は寿一はいなかった朝食」からは、ただただ見入るだけ
29分頃の、「実は寿一はいなかった朝食シーン」からは、もう、ただただ見入るだけだ。同じ映像なのに、事情が違うと全く違った映像に見える。これが映像のマジックだ。そのことを、巧みに利用して、寿三郎だけでなく、さくら(戸田恵梨香)や寿限無たちの心理まで、しっかりと見せる。見たくないと思っても、見えて来る。
寿一がいない世界の悲しみが。それも、しっかりと「隅田川」の舞台に重ねて…。そして、寿三郎の中にある寿一は入浴介助をしてくれた寿一であると言う現実。なんか、スゴ過ぎる…
脚本上の仕掛けも見事だが、演出と演技も素晴らし過ぎる!
36分頃、「隅田川」劇中で、死んだ息子の亡霊を出すべきか、出さざるべきかを世阿弥と元雅の間で論争があったと言う以前のシーンが繰り返させる展開も、もう言葉で表現できない位に、良く出来ている。「伏線だ」、「回収だ」、「後味スッキリした」と言う次元ではない。
「3」に近い「要介護2」の認知症を患っている寿三郎が、「前に 稽古場で 話 したな」と、ハッキリ思い出した、亡き息子との記憶。普通なら「回想シーン」と書くべきだろうが、この場面では「記憶のシーン」と書くべきだろうか。その中の次の寿一の台詞と、それに続く寿三郎の現実の台詞が、ここまでの “肝” になっていたのだ。
寿 一「俺が息子だったら出てくるよ だった会いてえもん」
寿三郎「会いたいから出てきちゃったのか?」
この直後の描写は、鳥肌モノだ。前段で、寿一本人も “死んだ気がしない” と言うような描写があったが。この「認知症の寿三郎の記憶のシーン」と「認知症の寿三郎が見ている世界」を重ねて、死んだ気がしない息子と、認知症で息子の死が理解出来ない父親が、本当の現実を知ると言うのを描いて来た。
要は、これまで見て来た最終回の殆どの映像が、「認知症の寿三郎が見ている世界」と「死んだ気がしない寿一が見ている世界」が交錯した “異次元の世界” だったわけだ。脚本上の仕掛けも見事だが、演出と演技による表現も素晴らし過ぎる!
寿一が紋付の和服(晴れ着)を着て、寿三郎の傍らにいる…
そして、「少年の霊」を演じる秀生(羽村仁成)のカットが入って、寿三郎の「着替えてらっしゃい」の台詞をきっかけに、映像が「認知症の寿三郎が見ている世界」と「死んだ気がしない寿一が見ている世界」が交錯した “異次元の世界” へ戻ると、寿一が紋付の和服(晴れ着)を着て、寿三郎の傍らにいる。
この場面で秀逸な選択だと思うのが、寿一が「隅田川」の “シテ(主役=狂ったような女性)” の衣装を身にまとっていないこと。ここで寿一が “シテ” の衣装を着ていれば、寿一が父親と同じ舞台に立ちたいと言う気持ちの強さが表現できる。でも、それだと寿三郎が寿一の未熟な芝居を認めたことにもなってしまう。
だから、ここは晴れ着で良いと思う。人間国宝としての寿三郎と、能楽の奥深い世界観、宗家を継ぐにはまだまだな技術の寿一を上手く表現したのではないだろうか。
「ニシン」は、何気ない祖父と孫のやり取りだが…
「数の子」から「ニシン」の漢字のくだりも良かった。「ニシン」の語源には、「二親(にしん)」説と「二身(にしん)」説がある。
「二親」とは劇中で寿三郎が言っていた “二人、二人、親、親” の意味での父母のことであり、正月やお盆に両親の長寿を祈って食べる魚と言う説。一方の「二身」は身を二つに割いて食べることや、二つに身を割ることから「妊娠」を語源とする説もある。
何気ない、祖父と孫のやり取りだが、子孫繁栄と長寿を上手くあしらったホームドラマらしいエピソードと言える。
宮藤官九郎氏からの長瀬智也さんへの感謝の気持ちとエールだと思う
50分過ぎの、寿一に向けた寿三郎の謝辞のような台詞も良かった。
寿三郎「寿一 お前は大したもんだよ」
寿 一「えっ?」
寿三郎「よくやったよ 寿一 みんなのことを 笑顔にしてくれてさ
奮い立たせてくれてさ
ひと様の分まで戦って 舞って ケガして 笑って
そんなやつは いないよ
まあ 国の宝には なれなかったけど
家の宝には なれたな 家宝には なれたな
お前は 観山家の人間家宝だよ いよっ 人間家宝 観山寿一」
寿 一「褒められちゃった」
想像の域を出ないが、恐らくこの寿三郎の言葉は、宮藤官九郎氏からの長瀬智也さんへの感謝の気持ちとエールだと思う。なんか、鳥肌が立って来た。
この気持ちを、どう綴ったら良いのだろう? とにかく、長瀬智也さんは、この作品を最後に表舞台から降りると噂されている。しかし、この寿三郎からのエール、それを聞いて「終わっちゃうから」「しょうがないよ そういうもんだから」と締め括る寿一の優しい眼差しと、安らかにも見えた一瞬の笑顔に、明るい明日が見えたような気がした。
「会いたくて」と、さくらを山賊だっこする寿一のシーン
そして、寿一の “きょうだい” たちが、「泣かないと 先進めないよね うちら」と言う、身内の死の辛さや悲しみの場面から~の、青空のもとでの桜の木の下で、さくらが寿一に “山賊だっこ” されるシーンの切なさと清々しさと美しさ。
更に、前段での「俺が息子だったら出てくるよ だった会いてえもん」に繋がる「会いたくて」に、涙が止まらなかった。
寿一の「出たい」と前向きな気持ちと、「出られない」と言う哀愁が見事に融和した素晴らしいラストカット
更に、終盤の畳み掛け方も凄かった。踊介とさくらが一年後に結婚。その後の、寿一のモノローグによる「俺のいない俺の家の “未来” の話」も面白いし、リモート食事の寿一の映像を使った「寿一のいない新しい朝食シーン」も良かった。
また、ラストシーンとなった、「観山寿一 追悼試合」のリングに「出たくて」と、天から舞い降りて来たマスク姿の寿一だが、マスクを外した瞬間に姿は消えて、マスクだけがリンク上に残る、あのカット。寿一の「出たい」と前向きな気持ちと、「出られない」と言う哀愁が見事に融和した素晴らしいラストカットだった。
"ロス"と言うより"愛おしい"と言う感情の方が強い理由…
さて、「あとがき」の前に、本作を最終回まで見終えて感じた感想を書こうと思う。
それは、昔から多くの心理学者や精神科医が扱って来た、重要な心理学的なテーマの一つである「笑い」についてだ。
そもそも、人間と言う生き物は基本的に、周囲の人たちが爆笑すればつられて笑い、号泣するともらい泣きをし、怒りが渦を巻くような環境では自然と興奮する… と言うような “同調性” を持っている。これは、集団生活を営んで来た生物としての能力として当然のことだ。
そうなると、面白いものを見聞きして “自分から” 笑うことよりも、誰かが笑っているのを見聞きして “つられて笑う” ことの方が、自然な「笑い」なのではないかと考えたのだ。だって、「つられて怒る」とか、「つられてキレる」とか、ほぼマイナスなイメージではないだろうか。
でも、「つられ笑い」と言うのに、マイナスのイメージは殆どない。そして、「つられ笑い」に似たものに、「もらい泣き」と言うのもある。これは、恐らく「笑い」と「泣く」と言う感情が、紙一重であり、表裏一体であるからだと推測する。
ぼちぼち結論へ行こう。ドラマ『俺の家の話』の登場人物たちは、良く笑う。「ここで、笑うの?」と言う場面でも笑う。怒ったり悲しんだり辛い思いもするけれど、印象的なのは “笑顔” ばかり。そんな登場人物たちの “笑顔” を見て “つられ笑い” をした私や読者さんたちは、どうなったか?
きっと、登場人物に対して “同調性” が作用して、まず簡単に感情移入できる。感情移入ができるから “つられて泣く” ことも出来る。そして、“もらい泣き” が出来るから、心の底から共感できる。共感できるから楽しくなる。心から楽しくなるから、愛おしい存在になる。それがドラマ『俺の家の話』であり、全ての登場人物だったと思う。
もちろん、「笑い」の “ツボ” は、人それぞれ違うから、本作への思いも人それぞれなのは当然のこと。でも、一定の “似た者同士” 的な感覚の持ち主同士だったら、寿一や寿三郎やさくら、その他の登場人物たちの “笑顔” に心を動かされたと思う。
当然、私もその一人だ。実は、コロナ禍になって約1年、「つられ笑い」や「もらい泣き」を意識的にするようにしている。映画やドラマを見たり本を読んだら、す~っと世界観に入ってみる。そして、その中に身を投じてみる。すると、少しの間だけコロナ禍を忘れることが出来る。
笑って泣いて、また現実に帰って来る。すると、ちょっとだけ気が楽になる。本作は、私にとって打ってつけのドラマだった。だから、終わった今も “ロス” と言うより “愛おしい” と言う感情の方が強い。だって、物語は終わったけれど、ドラマはいつでも心の中にあり続けるのだから…
©TBS
あとがき
まさか、能「隅田川」」と認知症だからこそ可能な、最終回の怒涛と衝撃の展開。流石に、「認知症の寿三郎が見ている世界」と「死んだ気がしない寿一が見ている世界」が交錯した “異次元の世界” を持ち込んで来るとは思いませんでした。また、舞台袖での寿三郎と寿一のやり取りは、ドラマ史上に残る名場面だと思います。
人の存在は “いるだけ” で価値がある… と言うことを真摯に描いたと思います。今、自暴自棄になる人や様々な苦境に晒されて困惑している人も、“いるだけ” で生きている価値も意味もあるのです。そして、主人公の死を通して、生きることの尊さや思いやりの大切さを強く気付かせてくれた本作に感謝です。
感想の最後で恐縮ですが、第6話の感想に「47回」、第7話に前々回の「77回」、第8話に「83回」、そして前回の第9話には「91回」も、Web拍手を下さり(投稿時点で)、ありがとうございます。ブログを書き続ける励みにさせて頂いております。そして、今日も運が良いのか悪いのか分かりませんが、仕事が無いので放送翌日に投稿出来ました。
さて、本作は終わりましたが、この作品を通して当blogを知って下さった読者さんも、これから他のドラマの感想も書きますのでよろしくお願いいたします。では、最後の最後に皆さんご一緒に「ぜあっ!」。
また、本作の Blu-ray & DVD BOX が発売されます。先着特典が付きますが、Amazon と楽天市場のどちらで購入しても、特典が同じと言うのも、本作らしい優しさを感じます。下記のリンクから予約購入できますので、よろしくお願いいたします。
オレンジさん、世阿弥の本をご購入いただき、ありがとうございました。また、私がご紹介した『【施設数No.1】老人ホーム検索はみんなの介護』を利用されて、医療施設とステーション併設の住宅が見つかったようで良かったです。
上記のサイトにある「みんなの介護コミュニティ」は、誰かに相談し難い介護の悩みや相談を書き込むと、同じ経験や体験をした方がアドバイスをくれるので、私も大いに助けられました。こんな場所も使って、やっていったら良いと思います。本作は最終回を迎えますが、今後も、他のドラマの感想にもコメントを頂ければ嬉しいです。
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【これまでの感想】
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