「野ブタ。をプロデュース」特別編 (第3話・2020/4/25) 感想

日本テレビ・「野ブタ。をプロデュース」特別編(公式)
PRODUCE 3『恐怖の文化祭』の感想。
なお、原作の「野ブタ。をプロデュース」白岩 玄(河出書房新社)は未読で、ドラマも未見。
※ 私は本作を初見なので、ネタバレ等のコメントは無視させて頂きます。
修二(亀梨和也)と彰(山下智久)が信子(堀北真希)をプロデュース!信子はバンドーの嫌がらせで、年に一度開催される文化祭の実行委員に指名されてしまう。一方修二と彰は、多数決で決まったお化け屋敷を成功させることが、信子を人気者に変えるチャンスになると考え、協力する。非協力的なクラスメイトを尻目に、信子は必死にお化け屋敷の作り物をこなしていく。果たして信子は文化祭を成功させ、人気者になることが出来るのか
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
今回のど頭の"1カット目"が良かった、2つの理由とは…
※今回の感想は長文です。そして、演出と脚本に注目した感想になっております。
ドラマの1カット目って、そのドラマを印象付ける大事なカットなのだが、この第3話の1カット目は実に良かった。その理由は2つある。
[理由1] 暗転からの長めのフェードインだったこと
1つは、1カット目が暗転からのフェードインになっていたこと。これは、本放送時にも総編集されていたか分からないが、本放送時も同じだったら、なかなか良い編集だ。
実は、最近のドラマでは、この1シーン目の “どあたま” の所を、直前のCMからカットインする作品が多い。フェードインしても、ほんの僅か0.5秒とか、0.3秒とか短いフェードイン。しかし、本作の今回は約2秒半の長いフェードインを使っていた。
このフェードインの尺が長ければ長い程、直前の映像(普通ならCM、今回なら歌)から、『野ブタ。をプロデュース』の世界観に視聴者をゆったりと誘(いざな)う効果を引き出す。
それは、劇場の映画を見れば分かる通り、映画の多くはフェードインが長い。それも、映画監督はその長さに命を賭ける。それは「どうやって、観客を作品の世界観に引き込んでやろうか!」と燃えるところだから。今回の長めのフェードインは実に映像的に考えられている…と言える。
[理由2] 建物を強調するためのカメラの位置や照明の工夫
もう1つの理由は、主人公のいる(であろう)建物を強調するために、隣(近く?)のビルの屋上から、わざわざ撮影している点。これも最近のドラマでは少なくなっている。そのわけは幾つもあるが、第一に撮影許可を取る場所が増える、撮影機材を階上に上げなければならないと言う手間の問題。
特に、今回の1カット目を見ると、真ん中の建物の壁面には地面から、その建物の右隣のビルの屋上には裏側から照明が当てられている。当時はここまで手の込んだ撮影をやる作品が多かった。
でも、最近のドラマでは主人公の家の全景カットを撮影する時は、道路のカメラを置いてサクッと撮っちゃう。それも殆どが建物を下から上に向かって撮影しちゃう。これによって、似たような作品ばかりになってしまう。
これらのことからも、本作が、今と時代が違うとはいえ、1カット目に力を入れているのは、良い作品を作ろうと言う証し。今でも人気が続く作品であることが、たった1カットでも分かると言うお話だ。
修二の部屋から教室の場面へのフェードアウトと暗転に注目
そして、更に興味深いのは、冒頭2シーン目の修二(亀梨和也)の家の中のシーンだ。小学5年生の修二の弟・浩二(中島裕翔)の「ボクの兄」と言うタイトルの作文を利用して、第1話と2話であまり描かれなかった修二の内面性を、手紙の語りに現実の修二の映像を挟みこんで、修二の “内面の二面性” を上手く匂わせた。
因みに、この手紙の直後に修二が寝床に就いて何か思い悩むシーンから、次の教室のシーンへの繋ぎ目も約2秒半のフェードアウトを使い、更に0.5秒くらいの暗転を挟んでいた。もう、お分かりだろうが、修二の家のシーンまでが、主人公の紹介であり、本作が描こうとしている「青春の苦悩」のテーマの提示部分で、所謂「プロローグ」取った部分。
そして、暗転を挟んで教室からが本編。まるで映画のようにしっかりと編集されている。もう最初の数分間を見ただけで、スタッフの意気込みが伝わって来た。
屋上の手摺りにもたれかかっての修二のモノローグが秀逸
信子(堀北真希)は “バンドー” こと坂東梢(水田芙美子)の嫌がらせで、1年に一度開催される文化祭の出し物「お化け屋敷」の実行委員に指名されてしまう。修二と彰(山下智久)は、多数決で決まってしまったお化け屋敷を成功させることが、信子を人気者に変えるチャンスになると考えて協力を始める、夜のビルの屋上のシーンがあった。
そこでは、修二が屋上の手摺りにもたれかかって、モノローグを言うくだりがあった。この、修二の信子と彰に見せる顔と、視聴者だけに見せる顔の使い方が上手い。ちゃんと主人公であることが分かるし、信子を人気者にすることが、信子だけでなく修二自身も変える力になることを信じているように見せる。
だから、プロデュースが実は信子のためだけでないことが、修二の「どうする プロデューサー 桐谷修二 どうする… どうする…?」のモノローグが活きて来る。ホント、今回は序盤から良く出来ている。
ススキの花言葉は、「活力」「心が通じる」だから…
お化け屋敷の準備のために、彰と信子が夕暮れの土手でススキを集め、自転車に二人乗りで帰るシーンでの、彰と信子のやり取りが良かった。
彰「何年かしたらさ 思い出すんかな?」
信子「何を?」
彰「朝早く 3人で人形を作ったこととか
夕暮れに ススキ摘んだこととか
何年かしたら あの時は 楽しかったのよ~んって
思い出すんかな」
信子「…」
いいね、このシーン。年齢を重ねると誰もが思う「あの時は辛かったけど、今思い出すといい思い出だった」みたいなのを、全く分からない未熟なピュアな青春を、これまた、二人乗りの彰と信子が確認できない位のロングショット(引きの画)で、秋の季節感を出しながら、ススキを強調したカット。
知らない人がいるかも知れないが、ススキの花言葉は「活力」「心が通じる」。このシーンにピッタリではないか。脚本家の狙いに違いない。狙っていなければ、むしろ恐るべし直感と言わざるを得ない。
「真夜中のギター」の生演奏をバックに父と信子の場面は見応えアリ
何者かの仕業で、折角準備が終わっていたお化け屋敷の装置が破壊され、途方に暮れている暇もなく、修二と彰が奔走する。そこへ信子の母の再婚相手・小谷滋(伊藤正之)が饅頭を手土産に、文化祭にやって来る。
小谷は「朝 食ってないから お腹すいちゃった」と、一生に何か食べに行こうと信子を誘うが、幼い自分に対して他人行儀な態度しかとって来なかった小谷に、素っ気ない素振りの信子。小谷はすぐに仕事に戻ることになって、手土産を彰に渡してその場を去る。この直後からの脚本と演出、堀北真希さんの演技がいい。
信子が「焼きたらこのおにぎり」を掴んだ瞬間に、修二が先生2人と1969年の大ヒット曲「♪真夜中のギター」を演奏する曲を劇伴にして、信子が動き出すシーンが始まる。仕事に戻るためにタクシーに乗って去っていく小谷。1カット「お父さん」と言う信子の幼少期の回想がインサートされて、タクシーを走って追い掛ける信子。
「おとうさん」と呼べない信子が走る、走る。気付く小谷。止まったタクシーの中の小谷におにぎりを渡す信子。ここで、修二のハーモニカの演奏もピタリと終了。ホント、計算され尽している。
そして、このシーンが、先程のススキのシーンでの彰の台詞「何年かしたら あの時は 楽しかったのよ~んって思い出すんかな」に対して、無言だった信子に呼応しているに違いない。子どもの頃は小谷に憎しみしかなかったが、時が経つと辛かった過去が、今の自分を変える力になる…って。
「おにぎり1つ」で、ここまでエピソードを積み重ねるか!
その後の、彰と信子のやり取りがそれを証明しているように思う。
彰「自分で言ってたじゃん。
『楽しいと思えるまでには 時間が かかる』って。
それと一緒でさ そういうのも
時間が かかるのよ~ん きっと」
信子「…(頷く)」
そして、タクシーの車内で信子がくれたおにぎりを感慨深げに食べる小谷。きっと、小谷も、幼少期の信子にしたことを悔いているのだと思う。それが、彰の「そういうのも 時間が かかるのよ~ん」に、これまた呼応してるわけ。エピソードの積み重ね方が上手いなぁ。
アルバイト学生3人の姿が消えていると言うのも面白かった
そして、前半はそこそこシリアス展開にしておいて、後半に入ると文化祭の本番。賑やかでコミカルな場面の連続。で、出口付近が感動的なお化け屋敷がなんであるかは伏せたまま、いい感じでアルバイト学生3人との記念写真を撮ると、その3人が写っておらず姿も消えていると言うオチもなかなか楽しい。う~ん、やはりメリハリの付け方が絶妙なのだ。
何とCM明けで、3人が"生霊"と言うオチのセンスの良さに脱帽!
そして、妙なタイミングでCMが入るなと思ったら(第1話で、本作のCMを入れるタイミングが素晴らしいと言った)、「生霊」だった…の言うのに、ちょっと感動してしまった。
普通なら、「実はこの学校で昔、イジメが原因で自ら命を絶った生徒たち」としそうなのに、「今はそれぞれが忙しいから、1年に1度だけ文化祭に気持ちだけ来る生霊」とするあたりの、センスの良さには脱帽だ。
「ここから外に出ても」ではなくて、「光の中に出ても」
いよいよ、修二と弟・浩二が一緒にお化け屋敷の中へ。ビビりまくりの兄弟が最後に辿り着いたのが鏡の前。その鏡に書いてある文字を読む浩二。
浩二「『今 手をつないでいる その人に出会えたのは
キセキのような かくりつです。
光の中に出ても その手を はなすことのないように』」
「ここから外に出ても」ではなくて、「光の中に出ても」と言うのがいい。彰と信子を逆光にして、修二と浩二が光の中に出て行く演出もベタだが、ここではこの位ベタな方が感動できる。
"変わらぬ不安"と"変わる不安"の矛盾こそが人生そのもの!
そして、文化祭の片付けが終わり、夜の校舎の屋上にいる修二と彰と信子が “長い一日” を振り返る。
信子「私ね 長い間 1人で掘ってたんだよね。
モグラみたいに 土の中を…。
そしたら 突然 2人が出て来た」
修二「2人って 俺たち?」
信子「うん。これから先も
また こんなふうにポロって
誰かと出会えたりするのかな?
もし そうなら 1人で土の中 掘ってるのも悪くないよね」
彰「会えるんじゃないぬ? いろんな奴と」
修二「そして いつか 二度と 会えなくなんだよな」
もう、この3人のやり取りだけでも、瑞々しい青春が描けているのに、修二と浩二との会話で、冒頭に登場した「ボクの兄」と題された作文に帰着した上に、また明日からも何も変わらぬ日々が待っていることに “不安” を覚える修二で終わるとは! 信子を変える “プロデュース” をしている修二が、変わらないことに対して不安を覚えると言う。
この矛盾こそ、人間の不思議なところであり、何歳になっても “変わらぬ不安” と “変わる不安” はつきまとう。大袈裟に言えば、正に今の新型コロナウイルス感染拡大を防止するために踏ん張っている私たちにも通じる永遠のテーマだと思う。
あとがき
今回は、中島裕翔さんがいい味を出して盛り上げたと思います。もちろん、亀梨和也さん、山下智久さん、堀北真希さんの存在感も素晴らしかったです。いやあ、シリアスとコミカルのバランスも絶妙ですし、泣かせる落としどころの作り方もお見事です。次回も楽しみです。
なお、本放送当時、読者の皆さんからたくさんの応援を頂いた山下智久さん主演の『アルジャーノンに花束を』の全話の感想もあります。最終回のリンクに全話の感想のリンクがあります。
アルジャーノンに花束を (第10話 最終回・6/12) 感想
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