スカーレット (第87回・2020/1/15) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『スカーレット』(公式サイト)
第15週『優しさが交差して』の
『第87回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
喜美子(戸田恵梨香)は大量の小皿を注文したひろ恵(紺野まひる)と打ち合わせをして、意気揚々と家に帰る。すると八郎(松下洸平)と三津(黒島結菜)が、三津の提案した食器セットの絵を前に談笑中。喜美子が二人の仲の良さに居心地の悪さを感じていると、八郎は「個展は中止しない」と喜美子に告げ、東京に下見に行くことも明かす。喜美子は小皿作りに取りかかるのを遅らせて、同行したいと申し出るも、八郎は可否を答えない。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
アバンタイトルが、前回と繋がっているのは良かったが…
さあて。前回では、 15分間しかない朝ドラのラスト50秒残しで、喜美子(戸田恵梨香)が「カフェ・サニー」にやって来て、最後の13秒間で橘ひろ恵(紺野まひる)して、いよいよ喜美子が大量生産だろうと何だろうと、粘土をいじり陶芸する姿が見られると期待した。
そして、何とか今回のアバンタイトルも、八郎(松下洸平)と三津(黒島結菜)、信作(林遣都)と喜美子の一番下の妹・百合子(福田麻由子)の2大イチャイチャと無駄話が描かれずに、前回の続きから始まって、久し振りにホッとして始まった第87話。思えば、とっくに “残りが2か月半” しか無いことになっているのには驚いた…
ところが主題歌明けは仕事そっちのけの寸劇まがいのコント
ところが、主題歌明けになった途端に仕事の話はそっちのけで、やっぱり信作と百合子の話になっちゃった。なっちゃったら当然、信作の両親の忠信(マギー)と陽子(財前直美)も絡んで来て、いつも通りのコントまがいの寸劇コーナー。
奇しくも陽子が「邪魔してしもうた」と言っていたが、脚本家も、この寸劇が本編に取って “邪魔” なのを承知で書いているなら、残りが2か月半しか無いのだから、真剣に「ヒロインが信楽初の女性陶芸家の朝ドラ」の本編に集中して欲しい。
八郎は三津のことを「松永さん」と呼ぶのが引っ掛かる…
で、寸劇は2分間もやったのに、肝心のひろ恵が喜美子にどんな発注をしたのかはバッサリカット。そして、舞台は「かわはら工房」に移り、これまたいつも通りの、妻の留守中をいいことにイチャイチャしている “不適切な男女関係” にしか見えない朝ドラにも不釣り合いな描写から始まった。
これ、私だけの違和感かも知れないが、八郎は三津のことを「松永さん」と呼ぶ。ここが、どうも引っ掛かるのだ。やはり予想通りの “既定路線” になるから、わざと他人行儀の呼び方にしているのか、それとも年下だろうが、弟子だろうが敬意を払って苗字に「さん」付けで呼ぶのか。なんか、わざとらしくてモヤモヤする…
喜美子は絵付け師だったのに"生みの苦しみ"を知らないの?
先日の感想で、「喜美子は八郎に対して過干渉過ぎる」と書いた。そのように、私には見えている。少なくとも、八郎の方がほんの僅かでも世間に陶芸家として認められており、自分の作家としての方向性に苦悩するのは当然で、その先が見えない “生みの苦しみの世界” に、一筋の光を刺したのが三津であるのは間違いない。
ここの、描写は作り手と私は同調していると思う。そして、丸熊陶業初の女性絵付け師として、これまた一応は才能を信楽周辺と限定されるものの、同じ“生みの苦しみの世界” を知るはずの喜美子が、「個展は中止しよう」と言う “見せかけの優しさ” を八郎に言ったのが解せないのだ。
そこが、解せないから、今回の中盤で描かれた、“喜美子が二人の仲の良さに居心地の悪さを感じている” から、喜美子が「個展は中止しよう」と言ったように見えてしまうのだ。
今週が"夫婦の終わりの始まり"なら、もっと明瞭に描くべき
いよいよ、良く分からなくなって来た。Yahoo!テレビのあらすじによると “喜美子が二人の仲の良さに居心地の悪さを感じている” とある。これが今回に始まったことでないのは、視聴者も喜美子も同意だと思う。だとすると、喜美子は、個展をやると今以上に八郎と三津が仲が親密になるのを恐れて、個展中止を提案したってことになる。
しかし、少なくとも、八郎の方がほんの僅かでも信楽を超えた世間に陶芸家として認められており、自分の作家としての方向性に苦悩するのは当然で、その先が見えない “生みの苦しみの世界” に、一筋の光を刺したてくれたのが三津であるのは間違いない。ここの、描写は作り手と私は同調している。
そして、丸熊陶業初の女性絵付け師として、これまた一応は才能を信楽周辺と限定されるものの認められ、同じ “生みの苦しみの世界” を知るはずの喜美子が、陶芸では(一応)師匠である八郎に対して「個展は中止しよう」と言うのは、要は “三津への嫉妬” ってこと?
それを誤魔化す会話劇こそが、今回の中盤で描かれた “喜美子と八郎のすれ違い” であり、“夫婦の終わりの始まり” ってこと? ここの部分、あやふやに引っ張らずに、小出しで良いから明瞭に “描き始めた方が良い” と思う。誰も、好んで朝ドラで、ダラダラした不倫劇や離婚劇を見たいわけでは無いと思うから…
八郎を生みの苦しみから脱出させるのを三津にしたのが失敗
そして、喜美子は、八郎の「個展を中止する」と言う最終決断を未確認のまま、ひろ恵から「200枚の大量注文」を「今のうちやったら 電動ろくろで1日でできる」と受注してきちゃう。ひろ恵が「喜美子さんの絵付けの力を是非 生かして下さい言うてくれたから…」受注したと喜美子は言っていたが、結局、喜美子の心情が殆ど見えて来ない。
これが、八郎への “同じ陶芸家としての嫉妬や対抗心” なのか、八郎の気持ちを三津から自分に向かせる “妻としての嫉妬” なのか。そこが本当に不明瞭。そう見える理由は簡単だ。
八郎に、“生みの苦しみの世界” からの突破口を提案する役を、窯業研究所の所長・柴田寛治(中村育二)と美術商の佐久間信弘(飯田基祐)にせずに、喜美子が八郎に「陶芸を教えて下さい」と願い出たのと同じ、若い熱血漢の女性キャラ・三津にしたから。
無駄話と無理な時間経過で、恐ろしく喜美子の心理描写が雑
要は、本作は、三津に然り、信作と百合子の結婚話に然り、本編に無関係で無駄な部分が多過ぎるから、肝心な主人公の心情の “変化の流れ” が極めて掴み難くなった。だから、無駄なエピソードの増加と無理矢理な時間経過によって、喜美子の心理描写が恐ろしい程に雑になっているから、喜美子が別人に見えていると思う。
あとがき
う~ん、ここまで脚本と演出に、無駄が増えて雑になると、あとはナレーションで補強するしか無いですね。都合の良いことに、本作のナレーターはNHKアナウンサーですから、働き方改革の範囲内で、追加のナレーションを書いて録音した方が良いと思います。もはや、俳優さんの演技で、どっちの嫉妬か? なんて描ける次元ではありませんから。
早く、スタッフにこのことに気付いて欲しい。まだ、2か月半ありますから、不倫でも離婚でもするならするで、きちんと、陶芸家と言う仕事を描く朝ドラになって欲しいです。
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【これまでの感想】
第1週『はじめまして信楽(しがらき)』
1 2 3 4 5 6
第2週『意地と誇りの旅立ち』
7 8 9 10 11 12
第3週『ビバ!大阪新生活』
13 14 15 16 17 18
第4週『一人前になるまでは』
19 20 21 22 23 24
第5週『ときめきは甘く苦く』
25 26 27 28 29 30
第6週『自分で決めた道』
31 32 33 34 35 36
第7週『弟子にしてください!』
37 38 39 40 41 42
第8週『心ゆれる夏』
43 44 45 46 47 48
第9週『火まつりの誓い』
49 50 51 52 53 54
第10週『好きという気持ち』
55 56 57 58 59 60
第11週『夢は一緒に』
61 62 63 64 65 66
第12週『幸せへの大きな一歩』
67 68 69 70 71 72(Vol.1) 72(Vol.2)
第13週『愛いっぱいの器』
73 74 75 76(Vol.1) 76(Vol.2) 77 78
第14週『新しい風が吹いて』
79 80 81 82 83 84
第15週『優しさが交差して』
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