スカーレット (第80回・2020/1/7) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『スカーレット』(公式サイト)
第14週『新しい風が吹いて』の
『第80回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
八郎(松下洸平)は個展の準備で忙しい。ある日、喜美子(戸田恵梨香)が弟子のケンカを仲裁していると、信作(林遣都)が来る。信作と百合子(福田百合子)の仲が良いことに気づいていた喜美子は二人に関する報告を期待する。しかし信作が口にしたのは最近の喜美子と八郎についての鋭い指摘だった。信作が帰った後は、何事もないように振る舞うものの、喜美子がいつの間にか学んだ陶芸の知識に触れ、八郎は複雑な思いを抱く。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
前回の、川原家でテレビを買うの買わないのについて一言…
昨日、Auさんから「昭和44年でテレビが無い家庭というのは、相当珍しかったように思います…」とのコメントを頂き、それに対する返事は『拍手コメントへ返信 (2020/1/6の分)』を読んで頂くとして…私も気になったから前回の録画を見直したら、玄関兼台所には、ガス炊飯器と電気冷蔵庫があり、洗濯機もあるのだから、昭和44年ならテレビはあっても良いような。
どうでも良いことだが、昭和44年の我が家にはテレビがあって、買った理由は父親が「小さい頃から、いろんな刺激を受けた方が良い」だったし、カラーテレビが町内で最初に設置された理由も「子どもの頃から、綺麗なものを見た方が良い」が理由だった。それで、こんなビクともしないテレビっ子が50歳過ぎまで成長したのだ(苦笑)
話を本作に戻そう。先述のAuさんがおっしゃるように「芸術家なのでテレビは買わないポリシー」と脳内補完するのもアリだとは思う。
だが、八郎は別にして、これまでの喜美子を見ていると、そんな大そうなポリシーのある人間ではないし、むしろ「お金が大事」、「お金のために一生懸命に働く」が喜美子のモットーだから、喜美子は「近所が持っているなら、うちも頑張ってテレビ買おう!」で盛り上がるのが、連ドラの連続性だと思う。
だって、母・マツ(富田靖子)だって、着て行く服を選ぶ余裕もあるし、川原家は代々、節約するイメージなど皆無なのだから…
アバンのような"もったいぶった脚本や演出"は止めるべき!
さ~て、いよいよ第80回の感想。前回のラストは、いつも通りのキモイ夫婦のイチャイチャと未来を語る話で終わった。しかし、今回のアバンタイトルでは、戸田恵梨香さんのアドリブ芝居をOKカットにした「大事な話」の引き伸ばし。そこへ、前回で百合子といい感じの信作(林遣都)が登場して、主題歌へ。
もう、こう言う “もったいぶった脚本や演出” は止めて、さっさと本題に進めば良いと思う。
私が、本作の「薄っぺらな会話劇」を大嫌いな理由…
主題歌明けには、前回が初登場だった八郎の2人の弟子、畑山順(田中亨)と稲葉五郎(永沼伊久也)が、窯業研究所の所長・柴田寛治(中村育二)の差し金であったことが判明。更に「大事な話」とはその弟子2人を明日には辞めさせると言う算段。
この時点で、弟子2人が、どれ位の期間を八郎のもとに居たのか不明だが、そう言う謂わば “人事” と言う大切な話はそこそこにして、柴田と喜美子と八郎は銀座で開かれる個展での、喜美子の衣装の話に花が咲く。こう言う薄っぺらな会話劇が、正直言って大嫌いだ。特に本作では、内容が大したことのない会話劇が多い。
私が本作の薄っぺらな会話劇が大嫌いな理由は簡単だ。俳優が喋っているのは脚本に書いてある台詞であって、俳優が演じている言葉に全く聞こえないからだ。ただの説明、単なる尺合わせにしか見えない。「言霊」と言う言葉があるが、本作の会話劇には「言霊」を感じない。本来なら、普通に脚本を書いて、普通に演じれば、それなりに見えるものなのだが…
薄っぺらな会話劇の直後に核心に迫る会話劇を繋げても無駄
柴田所長が帰った直後の、信作が絡んだ会話劇も同じ。半年後の火まつりの話、信作と百合子の仲の話と、どうでも良い会話劇の続きで、最近の喜美子と八郎夫婦への指摘の話へ移った。
これ、個展の着物、火まつり、百合子との仲の話とは、ドラマ上は全く違った次元の重要な会話。謂わば、喜美子の将来の方向性を幼馴染の信作が指摘すると言う重要な場面だ。
なのに、前段の3つの会話劇が「単純で薄っぺらな台詞のやり取りだけの会話劇」だから、集中し難くなってしまった。更に、重要な話の最後を “キックボクシングごっこ” で茶を濁して誤魔化した。こう言う無駄を挟めば挟むほど、説得力が失われることに、まだ脚本家も演出家も気付かないのか?
アバンを、こんな感じにしたら良かったのに…
これ、今回のアバンタイトルで、「かわはら工房」の庭先で、さり気なく「明日は 大事な話があるから休むんやないで」と喜美子が弟子2人に声かけをした直後に、弟子2人と入れ替わりに信作が血相を変えて喜美子に向かって来て「今日は お前たち夫婦に 言いたいことがある!」と言って、怪訝な顔の喜美子のアップで主題歌に行くだけで良かったと思う。
どうせ、総集編でバッサリ切られる会話劇で8分も消費するのは、明らかに馬鹿げているし、視聴者に無駄な視聴時間を強いているだけだと思う。
必ず数年間の時間経過を挟んで、結末の箇条書きしたらダメ
そして、前段の柴田所長が喜美子の「穴あき皿」に目を付けたくだりと、信作のこの台詞↓を受けて…
信作「ほやけど この3年 うん? 2年半か?
喜美子は ここ来るたんび
お茶いれて 掃除して 弟子の面倒見て。
こんなんばっかりやんけ。こんなんちゃうかったやろ」
これまた、唐突に八郎がこんなことを言い出す。
八郎「これ 日本陶磁器次世代展に応募しよう。
次世代展やったら 新しい賞やからな
女性陶芸家も受け入れてくれるやろ」
喜美子が「なに いきなり」と言ったくらいだから、本当に唐突だ。この会話劇を信じるならば、私が見たかったのは、この2年半の間で喜美子がどれだけ信楽の町だけでも女性陶芸家として辛い思いをしたのかや、八郎が喜美子のどこをどのように「僕も気にはなっていたんや」と感じていたのかを。
起承転結の結末だけ描いて箇条書きにするならまだしも、本作は、その箇条書きの結末の行間に、必ず数年間の時間経過を挟む。時間が経過したからこそ変化した結果だけ並べて、それも全て登場人物が言わされている台詞と、陶器などブツ(物)カットだけで描くから、つまらないのだ。
あとがき
「2年半」と「薄っぺらな会話劇」で、何とか15分間を持ち堪えた第80回。今回で、本作が端折れば端折るほど面白くないことがハッキリしましたね。そりゃあ、作陶をするシーンや、窯で焼くシーンや、喜美子や八郎が作った作品群を撮影するのは大変だとは思います。
しかし、そこを描かずして、俳優に記憶した台詞を次々と言わせて撮影して編集して音楽を付けただけでは、何も伝わらないのです。その登場人物の言葉と言葉がぶつかって物語が動くべきなのです。それを、後半の3か月に期待するのは無茶でしょうか…
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★本家の記事のURL → http://director.blog.shinobi.jp/Entry/13678/
【これまでの感想】
第1週『はじめまして信楽(しがらき)』
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第2週『意地と誇りの旅立ち』
7 8 9 10 11 12
第3週『ビバ!大阪新生活』
13 14 15 16 17 18
第4週『一人前になるまでは』
19 20 21 22 23 24
第5週『ときめきは甘く苦く』
25 26 27 28 29 30
第6週『自分で決めた道』
31 32 33 34 35 36
第7週『弟子にしてください!』
37 38 39 40 41 42
第8週『心ゆれる夏』
43 44 45 46 47 48
第9週『火まつりの誓い』
49 50 51 52 53 54
第10週『好きという気持ち』
55 56 57 58 59 60
第11週『夢は一緒に』
61 62 63 64 65 66
第12週『幸せへの大きな一歩』
67 68 69 70 71 72(Vol.1) 72(Vol.2)
第13週『愛いっぱいの器』
73 74 75 76(Vol.1) 76(Vol.2) 77 78
第14週『新しい風が吹いて』
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