最愛の母の葬儀を終えて…
まえがき
先日(11/6)に投降した『今朝、最愛の母が亡くなりました…』に、たくさんのコメントを頂き、ありがとうございました。お陰で、大変心が落ち着き “初喪主(多分、お初で最後だと思いますが)” を何とか務めることだ出来たと思います。今回は、葬儀を終えるまでの備忘録を僭越ながら、当blogに残します…
本堂の外陣での、和尚さまの読経の中での納棺の儀…
亡くなった母の遺言に、「葬儀は質素に身内だけで、菩提寺でそっと執り行いたい…」とあったので、先日亡くなった当日に、そのまま菩提寺へ移動して、本堂の外陣で和尚さまの読経の中で納棺の儀が執り行われました。
父の納棺は葬儀式場でしたし、他の近親者の納棺の儀に立ち会ったこともありますが、大概は映画『おくりびと』のように静寂の中で執り行われるのが納棺だと思っていたので、法衣をまとった和尚さまが読経される中での納棺は、何とも言えぬ厳粛な仏教の儀式に感じました。
火葬場までの道のりって、全く別の景色に見えました…
そして、どうしても母に伝えたかったことを手紙に託して、棺の中へ。たくさんの花と共に出棺。何なんでしょうね。霊柩車の助手席で遺影を持って座る火葬場までの道のりって、知っているし馴染みのある道程なのに、全く別の景色に見えますね。秋晴れの暖かな日差しの町並みが、時間が止まった冷たい世界に見えました。
火葬炉の扉が閉まる時の虚しさ、儚さ、寂しさ…と僅かな安堵
火葬場に着くと、あとは葬儀屋さんの段取りに則って淡々と進みます。あれが良いですね。淡々とってのが。ドラマチックに盛り上げるでもなく、冷めているでもなく、淡々と。立ち会う人たちが静かに、亡き母と最期の別れを惜しむ大切な時の流れとシンクロしていく感じ。
そして、火葬炉の前室扉がスーっと閉まっていく時の虚しさ、儚さ、寂しさ、そして僅かな安堵…
火葬が終わるまでの時間も、私にとっては新鮮でした。いつもは、親が和尚さまと話をして待つのに、今回は喪主の私が和尚さまと副住職さまのお相手をしている。「これからは私がお墓を守るんだ」と言う気持ちを実感したひとときでした。
三途の川の緩流を渡れるよう願う御念仏が最も心が安らか…
小さな骨壷に入ってしまった母が、菩提寺の本堂に戻ると、故人が三途の川のほとりに到着する日とされる「初七日」の法要。故人が激流か急流か緩流かの、何れかを渡るかが決まる大切な日で、緩流を渡れるように願う法要。この時に唱える御念仏が最も心が安らかになります。父の時も…
もう報告する親もいないし、誉めてくれる親もいなくなった
昨夜遅くに、告別式が終わり家に帰って来たら、つい実家の母に「無事に終わったよ」と、スマホを手にして電話しようとしてしまって…。その時、初めて悲しみが溢れて来ました…
もう報告する親もいないし、誉めてくれる親もいなくなったってことに…
あとがき
少しだけ遺品の整理を妹と二人でやりました。子供の頃からのいろんな思い出の写真が出て来て、笑ったり泣いたり。結婚して姓は違いますが、妹を産んでくれた母に、また感謝です。
私の個人的な話に最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
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★本家の記事のURL → http://director.blog.shinobi.jp/Entry/13457/
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