なつぞら (第89回・2019/7/12) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『なつぞら』(公式サイト)
第15週『なつよ、ワクワクが止まらない』の
『第89回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
東洋動画では、なつ(広瀬すず)のアイデアにより脚本が固まり、ようやく短編映画の制作が動き出す。坂場(中川大志)は新人の神地(染谷将太)とともに絵コンテの作業に進もうとするが、なんでも勝手に決めてしまう坂場のやり方に、麻子(貫地谷しほり)は違和感を覚える。その頃、咲太郎(岡田将生)は、蘭子(鈴木杏樹)、雪次郎(山田裕貴)たち所属俳優をスタジオに集め、ある海外映画の吹き替えに臨もうとしていて…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
直ちに短編映画は完成し、次の展開に進んで欲しいのだが…
珍しく、アバンタイトルの 1カット目が「仕事の話をしているなつ」で始まった第89回。もはや原案としたはずのグリム童話『ヘンゼルとグレーテル』が “平成のゆとり教育仕様” となって、グリム童話のテーマが改悪された短編映画作り…と言う時点で、あまり興味がないから、さっさと短編映画は完成して、次の展開に進んで欲しいのだが…
何故「時間がない」ことを、台詞でなく映像で描かないのか?
更に珍しく、主題歌明けも仕事の話。だが、またこれだよ。と言うのが坂場(中川大志)のこの台詞。
坂場「時間がないんです」
何度書けば改善させるのだろう。どうして、脚本家と演出家は、この短編映画の規模を描かないのか? 上映スタイルとか鑑賞対象者とかスケジュール感とか。今なら、パソコンやスマホでタスク管理などもグループウェアでやれちゃうが、当時なら黒板とか壁にスケジュール表を貼って管理したんじゃないのかな?
少なくとも昭和40年代の小学校でもスケジュールは壁に貼ってあったから、せめて、演出家がカレンダーを壁にぶら下げて、嘘でも良いから赤や青のペンでスケジュールを書いたら良いのに…と思う。そう言う小道具も “令和感” を払拭できるアイテムだと思うし。
普通に録音スタジオにいる雪次郎に、不思議と違和感しか無い!
そして、今回は仕事の話で最後まで行くのかと期待した私がバカだった。僅か序盤の 3分直前で「短編映画作りの話は終了。主題歌があるから正味 2分程度しか無かったことになる。で、物語は、例の咲太郎(岡田将生)の海外映画の吹替版の話。
おまけに、あれだけ大騒ぎをして、「雪月」を継ぐだの、「川村屋」を辞めるだの、演劇を見て俳優になると言っていた雪次郎(山田裕貴)が、「声の仕事」の話に合流しちゃった。
そりゃあ、理屈では分かる。「俳優」「女優」「子役」「声優」なんてカテゴリー分けは、単なる都合の良い区分けであって、「役を演じる仕事」と言う点に於いては何の違いも無いと言うことは。
でも、私の目には、雪次郎は「舞台に立ちたい」から「雪月」も「川村屋」も捨てて俳優の道を選んだように映っていたから、普通に録音スタジオにいる雪次郎が不思議で堪らないし、敢えて言わせて貰えば違和感しか無い。「雪次郎は、これでいいの?」と聞いてみたい。
短編映画の映像にアフレコする時に、やるべきエピソードで無いの?
さて、アニメーション制作の過程は簡単に端折るのに、吹替版の製作現場は、効果音の作り方やアフレコの方法まで、咲太郎の説明付きで描いた。山寺宏一さんのアフレコ現場を見られるとか、声優に興味関心のある人には面白いし、楽しいとは思う。私も同じだ。
しかし、やはりこの構成はおかしい。だって、主人公のなつで描かれている本作の主軸である「短編映画作りの話」は、「テーマとストーリーとキャラクターの関係性」を稚拙な描写ながら描いている時点だ。要は、作品作りの「いろはのい」の、とても大切な部分。
でも、咲太郎で描かれている「吹替版の話」は、完成した映像に声優が声で命を吹き込むって話。これ、本当は、短編映画の映像にアフレコする時にやるべきエピソードでは無いだろうか? いや、もしかして、その時またやるとか? 結局、いつもの “大人の事情” で、あれこれ出演者を出して視聴率稼ぎをするから、物語に違和感しか生まれないのだ。
なつの麻子への態度が「イジメの構造」以外に見えないのだが
そして、主人公のなつが本作へご帰還して下さったのが、11分過ぎ。でも、舞台は会議室でも絵を描いているでもなく、喫茶店のアイスティーのアップから始まる、咲太郎の声の会社の話。結局、場面は変わっても、内容は 3分過ぎから、ず~~~~~~と咲太郎。
で、12分過ぎにやっと「短編映画作りの話」に正式にご帰還。ところが、なつ(広瀬すず)から驚きの言葉が発せられた。
なつ「私は マコさんと一緒に作りたいんです」
え~と、私の記憶が正しければ、仲(井浦新)と井戸原 (小手伸也)からは、先輩の麻子(貫地谷しほり)がまとめ役で、若手のなつと坂場の 3人で短編映画作りをしなさい…と言う話でなかったっけ?
その上、ここ数日の描写を見る限りでは、どう見ても脚本家と演出家の意図としては、制作の主導権を握っているのは なつで、“なつの才能アゲ要員” として、おバカな新人監督見習いとして、“サゲ” て描かれているのが坂場で、坂場の稚拙っぷりとなつの才能を明瞭化させているのが神地(染谷将太)。
そして、なつ才能と、なつと板場の仲良しっぷりを強調するために、麻子が平成風に言えばハブられ、昭和風に言えば仲間外れに描いている。
会議の場で無視し続けて、自分の兄の会社を東洋動画に捻じ込みたいがために、麻子を喫茶店に呼び出して、「私は マコさんと一緒に作りたいんです」って。これ、昭和でも平成でも令和でも、立派な「イジメの構造」だと思うが。
いつも仏頂面でイラつく麻子に「私の目標」発言でご機嫌取り?
だから、脚本家もイジメに見えないように、こんな台詞をなつに与えた。
なつ「この会社に入った時から マコさんは 私の目標なんです」
ここも、好意的に解釈しようと頑張ってはみたのだが、どうしても、こう見えちゃった。とにかく自分が中心で短編映画作りを進めたいなつが、演出面は坂場の才能を、作画については絵コンテも描ける後輩アニメーターの神地を手に入れたから、いつも目の前で仏頂面でイラつく麻子に、ちょっと声を掛けてご機嫌取りをしていると。他に、どう見えるだろうか…
あとがき
ついに、『半分、青い。』の鈴愛にも無かった “ズル賢さ” まで、なつに備わってしまった…そんな 15分間だったように思います。ここまで共感出来ないヒロイン像を盛り込み続ける意味があるのでしょうか?
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【これまでの感想】
第1週『なつよ、ここが十勝だ』
1 2 3 4 5 6
第2週『なつよ、夢の扉を開け』
7 8 9 10 11 12
第3週『なつよ、これが青春だ』
13 14 15 16 17 18
第4週『なつよ、女優になれ』
19 20 21 22 23 24
第5週『なつよ、お兄ちゃんはどこに?』
25 26 27 28 29 30
第6週『なつよ、雪原に愛を叫べ』
31 32 33 34 35 36
第7週『なつよ、今が決断のとき』
37 38 39 40 41 42
第8週『なつよ、東京には気をつけろ』
43 44 45 46 47 48
第9週『なつよ、夢をあきらめるな』
49 49 50 51 52 53 53 54
第10週『なつよ、絵に命を与えよ』
55 56 57 58 59 60
第11週『なつよ、アニメーターは君だ』
61 62 63 64 65 66
第12週『なつよ、千遥のためにつくれ』
67 68 69 70 71 72
第13週『なつよ、“雪月”が大ピンチ』
73 74 75 76 77 78
第14週『なつよ、十勝さ戻って来い』
79 80 81 82 83 84
第15週『なつよ、ワクワクが止まらない』
85 86 87 88
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