なつぞら (第65回・2019/6/14) 感想

NHK総合・連続テレビ小説『なつぞら』(公式サイト)
第11週『なつよ、アニメーターは君だ』の
『第65回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
東洋動画のアニメーター・仲(井浦新)から、再びテストの機会を与えられたなつ(広瀬すず)。風車に帰ると、咲太郎(岡田将生)が亜矢美(山口智子)と雪次郎(山田裕貴)に、漫画映画のアフレコを見て、そこでしかない芝居が生まれたと熱く語っていた。日が変わり、いよいよなつは試験の日を迎える。仲や井戸原(小手伸也)らアニメーターたちを前に、なつは動画用紙に鉛筆を走らせて…。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
『まんぷく』と『なつぞら』の"繰り返し"の違いを考察した
今回の感想に入る前に、先日も書いた『まんぷく』での逮捕と釈放の繰り返しに似た、『なつぞら』の不合格と合格の繰り返しの “違い” に気付いたので、備忘録として書いておこうと思う。それ以前に、なつの才能が、二か月半の放送しているにも拘らず、未だに “どんな才能” なのが分かり難いのもどうかと思うが…
『まんぷく』の"繰り返し"は、情熱と学習能力不足を描いた
さて、『まんぷく』では、 “繰り返し” によって、多少だが主人公や、その夫婦や仲間たちの…特に “情熱” が描かれたと思う。ただ、『まんぷく』が駄目だったのは、“失敗から学習する” ことを強調しなかった。だから、結果的に “繰り返し=学習能力不足” になって、最後は自業自得って感じに見えて終わったと記憶している。
『なつぞら』の"繰り返し"は、「なつは自然体」を押し付ける
そこで今度は、『なつぞら』に於ける「不合格と合格」についてだ。本作の “繰り返し” の特徴は、「やたらと短い期間の中で繰り返す」ことだ。
そのために、作り手の「なつだって、見えない所で苦労や努力をしています。決して、ヒロイン特権によって、余裕で出世街道を闊歩しているのではありません。なつは、いつでも自然体なのです。だから、嫌いにならないで」って意図が、見え見えになってしまっているから、シラケるのだと。
原因は2つの相反するマターを共存させるのに失敗しているから
ではなぜ、そう見えてしまうのか? それは、「才能が見過ごせない程で、抜擢せざるを得ない逸材のなつ」と「幾ら才能があろうと、なつだけを “何となく” を理由に特別扱いしない東洋動画の非ブラック企業アピール」と言う、相反するマター(事象や案件)を強引に折り合いを付けようとして、失敗しているからだと思う。
要は、前回で、ついに麻子(貫地谷しほり)の台詞の中で「天才」と言う表現まで用いて表現した「才能の持ち主である逸材のなつ」と、「逸材を特別扱いしないホワイト企業」と言う “矛盾” を無理矢理にストーリーに盛り込んだ上に、更に、物語をサクサクと進めるために、「なつの出世」を安易に “繰り返す” から、話そのものに説得力が無くなっているのだと思う。
サクサク展開に「ヒロインの出世」を安易に利用する点は『まれ』似!?
因みに、『拍手コメントへ返信 (2019/6/13の分)』で少し触れましたが、読んでいない方のためにちょっとだけ。この物語を効率良く進めるために、「ヒロインの出世(転職や昇格を含む)」を安易に利用する点は、『まれ』と似ていると思う。と言うことは、まさか「朝ドラ100作目の記念作品」が『まれ』を超えて “迷作” になるってこと(怖)
咲太郎が登場すると、必ずと言って良い程に話の腰を折る
さ~て、やっと本日の本編の感想。前回のアフレコシーンで妹・千遥探しは信哉(工藤阿須加)に丸投げして、自分たちはアフレコ見学で盛り上がった “人でなし兄妹” による、おでん屋「風車」での無駄話で始まった。
とにかく、咲太郎(岡田将生)が画面に登場すると、必ずと言って良い程に話の腰を折る。今回も、レミ子(藤本沙紀)が「新劇に入りたい」との申し出に対して、こんななことを言った。
咲太郎「レミ子でもいけるんだよ 漫画映画は!」
レミ子「えっ?」
咲太郎「レミ子も 絶世の美女になれるんだ!」
レミ子「私が絶世の美女に?」
咲太郎「いや… パンダかもしれない」
まあ、時代が時代だから、咲太郎の言ったこと自体は当時ならセクハラにはならないだろうが。
"女性の外見イジリ" の不快感で「なつ上げ」が更に不快に
しかし、気になるのは、十勝時代なつ(広瀬すず)の農業高校のクラスメイトでポッチャリ系の「よっちゃん」こと良子(富田望生)を、なつを始め同級生たちが仔牛役にして皆で笑う場面に通じる、脚本や演出による “女性の外見イジリ” の不快感だ。
わかる。分かるのだ。きっと、そんなつもりで描いていないことは。でも、それがイジメの構造の始まり。そして、更に気になるのはこの “女性の外見イジリ” が、間接的に「なつアゲ」「広瀬すずアゲ」になっていること。まっ、その程度の作品だってことだ。
井戸原と仲の"2行の台詞の内容"こそ、映像で描くべきだった
「なつアゲ」の不快感は、これだけでない。例えば、8分頃の再テストの寸評を言う際に、井戸原(小手伸也)と仲(井浦新)にこんな台詞があった。
井戸原「短い間に よく ここまで上達したね」
仲「マコちゃんもね 君のことを推していたよ」
きっと、井戸原と仲が言っていることは(劇中では)事実なのだろう。しかし、このたった2行の台詞の内容こそ、映像で描くべきだったのではないだろうか。「どうやって短期間に上達したのか?」「麻子がなつの何に興味関心を抱いたのか?」を描かずに、妙な北海道弁でじいちゃんに思いを心で唱えても、こちらには何も響かないのだが…
富子が視聴者の最大の疑問を、なつにぶつけちゃって良いの?
作画担当に異動になったことを富子(梅舟惟永)に報告した時の、富子の台詞がこれ。
富子「そう… 動画に行っちゃうのね」
なつ「はい。すいません… 何だか 仕上げを裏切るみたいに…」
富子「裏切る? あなた 裏切るような力を持ってたの?」
凄いよ、この富子の台詞は。だって、視聴者が最も感じていた疑問を、本人にぶつけちゃっているのだから。これね、まだ「(私は見抜いていたわよ)あなたは 最初から裏切るような力を持っていたのよ」なら、前述の井戸原と仲の「なつアゲ」になった。
でも「持ってたの?」と疑問形にしてしまったことで、本作が「裏切るような力」を未だに描いていないことが証明されたのだ。こう言うことを理解して脚本家が書いているのか知りたくなる…
あとがき
12分頃、亜矢美(山口智子)が、なつの部屋に畳んだ洗濯物を置くカットがありましたが、あれは、なつの洗濯一切を亜矢美がやっていると解釈して良いのでしょうか。
そして、昼間に「川村屋」に兄妹でおしゃべりに行く時間はあるけれど、千遥を捜す時間も気持ちもないと解釈して良いのでしょうか? これでは益々 “人でなし兄妹” にしか見えないです。せめて、なつだけでも好感度が高まるような描写が増えるのを期待します。
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【これまでの感想】
第1週『なつよ、ここが十勝だ』
1 2 3 4 5 6
第2週『なつよ、夢の扉を開け』
7 8 9 10 11 12
第3週『なつよ、これが青春だ』
13 14 15 16 17 18
第4週『なつよ、女優になれ』
19 20 21 22 23 24
第5週『なつよ、お兄ちゃんはどこに?』
25 26 27 28 29 30
第6週『なつよ、雪原に愛を叫べ』
31 32 33 34 35 36
第7週『なつよ、今が決断のとき』
37 38 39 40 41 42
第8週『なつよ、東京には気をつけろ』
43 44 45 46 47 48
第9週『なつよ、夢をあきらめるな』
49 49 50 51 52 53 53 54
第10週『なつよ、絵に命を与えよ』
55 56 57 58 59 60
第11週『なつよ、アニメーターは君だ』
61 62 63 64
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